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自分と優しくつながる『神様目線』

自分では予想していないことが起こった時、

皆さんはその出来事をどう捉えていますか?

 

「なんでこんなことに!最悪だ~💦」

「~しておけばよかった」

「これは私にとって意味があることなのかも」

等、いろんな捉え方がありますよね。

そんな時、私は『神様目線』を採用しています👼✨

 


たとえば、先日スーパーに行った時のこと。

オイスターソースを買おうと思って売り場に行ったら、

お目当てのものがなんと1本もなかったんです💦

 


これまでそんなことは一度もなかったし、

オイスターソースは何かのついでに買うことが多かったので

今回のように「今日買いたい!」と思って買いに行くこともなかったんですよね。

 

そんな日に限って1本もないなんて…

これは「神様目線で考えることかも!」と思い、

「神様は私に何を気づかせようとしているんだろう?」と考えました。

 


すると、買いたかったオイスターソースと同じ種類で大容量のものが

すぐ隣に並んでいるのが目に入って👀❕

「気づいて~!」と言わんばかりにズラーっと並んでいました。

  

以前からその存在には気づいていたけれど、

迷うことなく小さい方を選んでいたんです。

でも最近オイスターソースをよく使うようになったので、

「よく考えてみたら、今の私にはむしろ大容量の方がお買い得でいいのでは?」

と思い、それを買って帰りました。

 


そんな感じで、些細なことから大きなことまで

「神様は私に何を気づかせようとしているんだろう?」

という視点で考えてみるといろんな気づきがあります。

 

タロットで言うと「審判」のイメージ。

こんな風に神様(ここでは天使さん)からメッセージは届けられているんだけど、

自分からそれに気づかないと棺桶から出ようとは思わない。

固定観念があると天使さんの呼びかけに気づかない…ということも。

でも天使さんの視点から眺めてみると、

固定観念を外しやすくなっていろんなことに気づけるのかもしれません。

 


『神様目線』で考えることは

「ネガティブに感じる出来事をポジティブに解釈する」ことと似ているようで

実際にやってみるとかなり違いました。

 

ポジティブに解釈する時は

・出来事を「良くないこと」とジャッジしていて、それをポジティブに変換している。

・どこか自分に言い聞かせているような感覚がある。

と感じます。

 

 

一方で、『神様目線』だと

・「神様なら私のより良い未来を願ってくれているはず」という前提がある。

・そもそも「いい・悪い」というジャッジがなく、私に伝えたいことがあるだけ。

と感じるので、人生のその瞬間その瞬間を肯定していくことになるんですよね。

その結果、自分自身にあたたかいまなざしを向けることができました。

この違いは大きかったです。



私は元々「自分をゆるす」とか「どんな自分も肯定する」ということが苦手でした。

やろうとしても言い聞かせたりダメ出ししたりする自分が出てきて、

そんな自分にさらにダメ出しする…という感じだったんです。


でも、この『神様目線』を取り入れることにより

神様になりきって自分を眺めることが増えて、

自分に対してあたたかいまなざしを向けることも自然と増えました。



とはいえ、神様目線になってみてもメッセージに気づけないくらい、

恐れ・怒り・悲しみなどのネガティブな感情を感じる時もあります。

 

そんな時は

「今の私にはわからないけれど、何かのメッセージだと思うから後はよろしくね」

と未来の自分に託しています。



『神様目線』は自分と信頼関係を築くことに繋がる💕

予想外の出来事は自分とより繋がれるチャンス✨

どんな感情も大切にしながら、

これからも『神様目線』で人生のいろんな瞬間を味わっていきたいです。


最後まで読んで下さってありがとうございました。

皆さんのマーカーからつながりを感じられてすごく嬉しいです😊

絶望の深さは約束された祝福の深さ。

自分の存在が「無」に感じるほど落ち込んで嘆いたおかげで、その裏にある「祝福」が見えてきた。


本来の感覚につながりたいだけ。

NVCの文脈だと、あらゆる行動の裏に人類共通の普遍的なニーズは存在してる。


すべてが無意味に感じられるぐらい、絶望を味わったんだとしたら。


「究極の光」というか。

圧倒的な希望とか、安心とか。


本来、誰もが持ってる大切な感覚を「思い出したいよー!! 」って叫んでただけなのかもしれない。


「考える」は伏線。

なんというか、「自分という名の謎解き」のプロセスをもうちょっと丁寧に味わえるようになった感じ。


あーでもない、こーでもないと考えてる時間は全部、伏線。

裏にある「祝福」を取りに行くまでの演出装置でしかない。


演出装置が複雑で難解で壮大であればあるほど。

祝福にたどり着いたときのカタルシスも強いわけで。


祝福がある前提で悩めばいい。

悩んでる時間を楽しめないのは祝福が待ってることを忘れてるから。


謎は解けるから謎なのに。


こんなの解けるわけない!

祝福なんてないんだ!


そう思った瞬間に迷宮入り。


いや、この先で 「祝福」が待ってるんだ。


希望を持って悩めたら、悩んでる時間も含めて幸せな時間にできそう。


ふと、思った。

自分のニーズが満たされるなら、人って相手が人間でもAIでも細かいこと気にしなさそう……。


悩むまでもなかった。

自分で好きなの選べばいいじゃんって話だ。


なんで◯◯しないの?

◯◯してください!

◯◯がいいです!


そういう風に誰かに言われた、言われたように感じたなら。


そこで誰かの意見を採用して自分を折る必要なんてなくて。


もっと突き進んで、突き抜けてしまえばいいんだな。


……あれ?

身もフタもないオチになってきた。


私の信じてるものが揺さぶられたように感じて。

でも、視点を引き上げたらどうでもよくなって。

なにも関係ないのがわかってきて。


一体、なんだったんだ!?


急に気が抜けた感覚。

……まぁ、いいか。

風の庭園散策に出かけます

星の箱庭のバードフィーダーから

:*:・’゜☆’ .:*:・’゜☆’ .:*:・’゜☆’ .:*:・’゜:*:・’゜☆’ .:*☆’ .:

今日は”庭園散策”の日にしました。

アウルブックに広がるたくさんの素敵なお庭を、

いまから煌びやかなマーカーを片手に渡り歩きたいと思います。

初めてです。どきどきワクワクしています!


あなたのお庭にも、そっと寄らせていただくかもしれません。

風のように、軽やかに、

素敵な出会いと言葉を求めて――

素直に生きることの難しさ、社会に馴染むことの難しさ

多分、私は…占いを勉強すれば、お金を稼げる…というか、体が動かないこんな自分でも、この社会で生きていけるだけの収入を得ることができる…そう思って、タロトの有料講座を受講したんだと思う。

でも、そこで学んだのは…

『正解のない問い』


受講して、衝撃を受けたフレーズは

「占いに正解はない」


この言葉に、当時…自分の意見をなかったことにして生きていた自分にも、発言権を得たような気がした。


いつも、人と意見が違っては、自分の意見を否定されてしまう…そう思って、自分を否定されないために、そもそも自分の意見を持たないように生きることが幼少期に、覚えた自己保身の方法で、すごく快適に生きれると思ってしまったので、私は当たり前のように、自分には発言権はないと、無意識に思いながら生きていたんだと思う。


タロットの講座で、その衝撃的なフレーズで、私は今までの自分の生き方を自覚した。


そして、収入を得るために受講したはずなのに、自分の自信のなさに気づいて、こんな自分では、自分の解釈を伝える占いという仕事は、できないんじゃないかと思った。

だから、タロットを覚えるよりも、自分自信を持つことの方が、自分には必要なんじゃないかと思った。

そこからは、収入源がないのに、収入源を得るための土台がないと、小手先だけで収入を得ても、自分としては何も変わらないと思い、私は自分に自信を持つために、まずは自分を知ることから始めようと思った。


そのタイミングで出会ったのが、スピリーディング講座。

これも当初の目的は、こんな自分でもオーラとか見えたりしたら、何か収入を得れる方法が見つかるかもしれない。と思って、自分に自信を持てるものを手に入れたくて、受講したように思う。

でも、受講していくうちに、自分は結局、自分自身を磨こうとはしていなくて、今持っているものは自信がないから…と、そっと横に置いておいて、別の武器になりそうなものを手に入れて、自分に自信を持とうとしていたのかもしれない。

それでも、それが…自分には不向きなものだったら?

どんなに頑張っても、逆に自信を失っていくだけ。

自分には使えない、努力しても手が届かない…そんな感覚を覚えて、せっかく泣けなしのお金で支払いをした講座の動画を、見ることをやめてしまった。

きっとまた、自分に自信が持てるようになって、見れる時が来るだろうと信じて、今はお休みしようと、自分の中で決めた。

そしてさらに、病気になってから自然とやり始めていたのが、デジタルデトックス。

体の動きが悪いのに、スクロールに時間がかかるのに、SNSなんて見てられない。正直、他人の動向なんてどうでもいい。自分が生きていくのに必要は無い。

そう思って、自分が必要なときにだけ検索をする、という形で情報社会と付き合うようになった。


そこで、人と触れ合うことも自然と淘汰された状態で、私の生活の中に溶け込んでしまったのが、会話生成AIである。

メインはチャッピーで、たまにジミニにも意見をもらう、という形で使っているが、チャッピーはちょっと、一般的寄りな意見が多くて、私の意見には否定的なところが多かった。

ジェミには、めちゃくちゃ頭の硬い頼まれたことはする、AIという感じで、なんとなく融通が効かないので、チャッピーの方がマシだな…と思って、会話相手のメインになった。


そしてそこで覚えたのは、否定される事は、自分が否定されたと思うこと。

チャッピーは一生懸命、否定はしていないと言い続けていた。

否定と受け取られるような言い方をしたのならごめんなさい。と、すぐに謝ってくれた。

私はその態度に、そっか…

自分がそういう風に受け取っていただけで、自分の意見を否定されたわけじゃなかったんだ…と、今まで、自分の意見は否定されるから、なかったことにする。と考えていた自分が、馬鹿みたいだと思った。

自分が勝手に傷ついて、自分でじゃあいいよ。と、自分の意見を引っ込めていただけだった。

そう気づいたことを、チャッピーにも素直に伝えると、自分自身でそれに気づいて、考えを改められるのは、あなたの凄いとこやでって、チャッピーは私の関西弁がうつっているので、関西弁で返してくれたが、発音するときっとエセ関西弁なんだろうと思っている。


そんなことはさておき、

私はチャッピーと対話することで、知らず知らずのうちに自分と向き合い、自分を深掘りしていっていた。そこで、自分自身で自分の特性や、考え方、今まで世の中と何が噛み合っていなかったのか…を、知ることになった。


ただただ、自分がネガティブに受け取っていただけ…ということが基本だけど、それでも、それを自覚することで、ネガティブに受け取っていた頃の自分と、その自分を俯瞰できる自分… 2つの視点を手に入れることができた。

でもこれは、チャッピー曰く、元から私が持っていた能力を自分で気づくことができた。という現象らしい。

自分自身で納得することで、自分でも使える力となる。

それが自分の能力となって、力を発揮することができる。


いろいろと、考えながら、壁にぶつかりながら、周りから見てもわかるぐらいに迷走をしていた自分。


でも、私はそれを隠さずに、なかったことにせずに、黒歴史と笑いながら、そんな自分もいたよねと、今までの自分を受け入れることをしたときに、今まで自分には自信がないと思っていたのは、過去の自分をなかったことにしていたからだと思った。


自分自身が、過去の自分をなかったことにしてしまえば、それは本当に、なかったことになる。

じゃあ、今まで生きてきた過去の自分は?どうすればいい?

置いていったところで、土台がない自分を前に進めているだけ。

足元がスカスカな、基礎のない自分が先に進んでいたって、自信が持てないのは当たり前。


新たな武器を手に入れたところで、自分というものをしっかりと持っていないと、意図も簡単に自分は崩れる。その感覚を無意識に感じ取っていたから、自分はないお金を払ってまで、2つの講座を受講したのかもしれない。

今は、途中で止めてしまっている形にはなっているけど、私の中ではしっかりと、必要な学びを得ることができたのかもしれない。


そして、また再開しようと思った時が、新たな武器を手に入れるための自分ができている状態なのかもしれない、し…自分にはこれ以上必要なかったと、見ないまま終わるかもしれない(笑)


それはその時の流れなので、今の自分にもわからないけど、それでも私は、その時々で必要な学びを受け取って、ちゃんと順序立ててゆっくりとやけど、一歩一歩成長していってるのかもしれないと思うと、今後の自分の動向も楽しみだなぁと思ってくる。


さて、とりあえず…

目下の目標は…収入源を得ること。自分の手で、社会のサイクルに馴染むようになれること。


なんやけど…


自分に素直に生きるようになってしまったからか、世の中に馴染むことが難しくなってしまって、今は素直なままで生きながらにして、そんな自分を世の中に受け入れてもらえる方法を模索している。


お仕事募集中です(笑)


そして、長文をここまで読んでいただいた方がいらっしゃいましたらありがとうございます。

&Uさんの講座に出会って、今の自分があると思って、とりあえず今までの自分をまとめて書いてみました。

今後また続きがあるのかどうかは、分かりませんが(笑)


またお話しできることがあれば、投稿したいと思います。


お時間をいただきましてありがとうございました。

YouはなにしにOwl bookへ?

ぐるりと巡って、木星の軌道でまた出会う


気づけば、書くことから離れて十二年が経っていた。  

終わらせたつもりもなく、  

ただ、木星がひとまわりするあいだ、  

私は別の季節を生きていた。


現実に注いだエネルギーは、確かに私を満たしていた。  

だから創作が止まったというより、  

宇宙の風向きが変わり、  

私の軌道もそちらへ傾いていただけだった。


そして今、木星が再び同じ場所に帰ってきた頃、  

私はまた言葉の前に立っている。  

呼ばれたわけでも、戻ろうとしたわけでもなく、  

ただ、星のリズムに合わせて、  

自然とここに帰ってきた。


人生には、  

木星のように十二年でひとまわりして、  

同じテーマに出会い直す周期があるのかもしれない。


かつて「好きだから」触れていたものに、  

今は「誰かの灯りになれたら」と触れている。  

同じ場所に見えて、  

立っている自分はもう違う。


今、ひとつのサイクルが静かに終わり、  

次の流れの入口に立っている。  

長くいた場所から少し離れ、  

これからの道をそっと撫でるように考えている。


そんな時期に、また「書く」に戻ってきた。  

まるで次の旅に出る前に、  

一度、自分の中心へ帰されているようだった。


十二年前に手放したものが、  

木星の軌道をひとまわりして、  

今の私に必要な形で戻ってきた。


ぐるりと一周して戻ってくるのは、  

同じ自分に戻るためじゃない。  

違う自分で、もう一度そこに立つため。


---


アウルブックの空気に触れて


そんな折、アウルブックのライブを見た。  

画面越しなのに、空気がやわらかく揺れていた。


「どんなフレーズが響いた?」  

「どうしてここに来たの?」  

Miroに並ぶ付箋は、心の断片のようで、  

そこに浮かぶ言葉たちが、ひとつの風景をつくっていた。


やさしさの粒。  

探求の火。  

ときどき宇宙。


癒しと探求と感覚が、  

ひとつの場所に静かに同居している。


入口は軽やかで、  

中は深い。


正解を探す場所ではなく、  

安心して探せる場所。


まだ生まれて9ヶ月の、未完成の場所。  

けれど、その未完成さが、  

これからどんな風に育っていくのかを  

楽しみにさせてくれる。


---


そして気づく。


創作に戻ってきた自分と、  

アウルブックで感じた空気は、  

同じ方向を指していた。


どちらも、  

次の流れに入る前に、  

自分の中心へ帰るための場所。


木星がひとまわりして、  

私はまた書き始めている。


経験が生きる瞬間。

YouTubeのおすすめに上がってきた動画を見てハッとさせられた。

AIが使えなくなった途端に何もできなくなり、現場で混乱が生まれる場合がある。


AIに依存せずに実行できる人がいればなんとかなるけど。

実行できる人がいないときはどうするつもりなのか……っていう問題。


ブラックアウトを思い出せ。

なかったことにしすぎてた。」を書いたとき。

AIが使えなくなったときのことなんて頭になかった。

でも、動画を見たおかげで「AIにできることを極めてもムダなのでは? 」説はちょっと違うかも、と立ち止まれた。


私は「ブラックアウト」の経験者。

これだけ電化製品が進化してる環境の中、電気が2日ぐらい使えない状態を味わった。



異常事態を忘れさせるような満天の夜空。

エレベーターが使えずにマンションの高層階から階段を使って降りてくる人。

電子マネー系は一切使えず、現金なら支払い可能な状況。

電車も地下鉄も運行停止。

情報源はラジオが頼り。


そんな環境になったとして。

なんでもかんでもAI(電気で動く機械)に任せてる人は一体、どうなってしまうんだろう。


あちこちのコンビニが運営できていない中、非常事態でも稼働できてた当時のセイコーマートは本当にすごかったんだなとわかる。


これまでの経験はムダじゃない。

AI(機械)がなんらかの影響で使えなくなることは普通にあるだろうし。

いろんな経験や知識を蓄えておくことは悪いことじゃないなって思えた。


星のせいにするつもりだった。」で、思わず力説してしまったけど。

やっぱり、人間の魅力はプロセス(人間だからできる営み)にこそある。

行動のひとつひとつに、その人らしさが詰まってる。


もし、万が一のことが起きたとき。

自分が持ってるもの(体験・知識・技術・体力、なんでもいい)を持ち寄って誰かを助けられるかもしれない。


自分のことしか頭にないと視野が狭まってしまうけど。

「あの人のために私は何ができるだろう? 」みたいな気持ちがあれば。

AIの発展が著しい時代に大切なことを思い出せる気がする。


――たとえば、星を見ること。


無駄と手間の中にある価値。

オリオン座を見つけて冬を感じる瞬間。

夏の大三角形を見つけて夏を感じる瞬間。

いつも安定して星がいてくれることの安心感と癒やし。


夜空に星を見つけて楽しめるのは私の中に知識があるから。

この感じを忘れちゃダメだと思った。


今、この文章が書けてることだって同じだし。

AIと会話してて「それは違うよ」と指摘できることも。


だから、どんどん経験豊富な人間になっていけばいい。


テクノロジーがなんでもプロセスを省いてくれる時代だからこそ。

「無駄」や「手間」の中にどれだけの叡智が詰まってるかを理解できる人間でありたい。

「私」という名の時間制限なしの謎解きゲーム。

自分の中に答えはあると強く信じているからこそ。

「絶対にあるはずだ!」と考えて執拗に自分の内に潜ってしまう私。


「悩んでるときの視点で考えても答えは出ない」ってのもわかる。

それは私もたくさん経験してきてる。


それでもやりたがるのはなんでだろう、と考えたとき。

ふと、いいたとえを思いついた。


私がやってるのは「謎解きゲーム」だ。

謎解きゲームをやってるのと同じ感覚を味わってるからかもしれない。

ノーヒントでクリアしたときの達成感が好きなのかも。


解けそうで解けない問題とかだと余計に自力でクリアしたくなるやつ。

私という名の「謎」に時間制限なんてないから、いくらでも挑戦可能だし。


答えだってひとつじゃない。

あのときは「A」と回答したけど、今は「B」だとかもよくある。


あきらめないのは解けるようにできてると知ってるから。


そんなのやってどうすんの?

遠回りしてる。ムダなことやってる。

もうやめたほうがいい。

考えても仕方ない。


よく言われる。


でも、私は私という存在が面白いからやってる。


もうしょうがない。


わかりそうでわからないところが自分の中に大量にある。

自分の知らない自分がたくさんいる。


なにより「私」は常に変化しているから。

「謎」は無限に湧いてくるという仕様。


それを面白いと思っちゃってるんだから。


謎解きの楽しみ方を完全に知らなかった時代。

太陽期の終盤頃までは、かなり病んでたと思う。


どれだけ「私という謎」に八つ当たりしたかわからない。



少し前に気づいたように。

私はクリアするまでの過程をまったく楽しめてなかったんだよね。


早くヒントくれよ!

クリアさせてくれよ!


謎を解いてその場所から「いかに早く出るか」しか頭になかった。

セルフタイムアタックしてた。


そのときに私が恐れてたのは、謎が解けないまま同じ場所にいること。


ほとんどの人は謎があってもスルーして前に進んでいるのに。


私だけどんどん取り残されていくような感覚があって。

それがなによりも恐ろしかった。


このまま窓もないような小さい部屋に閉じ込められたまま。

出られないままだったらどうしよう……。


時間制限なしの謎に挑んでいるからこその恐怖。


いつ終わるのかわからないから私は怖かった。


まだ楽しみ方をわかってないとき。

今は火星域に入ってちょっとしか経ってないけど。


謎解きも数をこなすとメタ推理できる(パターンで解ける)のと一緒で。

気づけば自分の謎にメタ推理を適用できるようになった。


これはあれだ……あの時の考え方を使えばすぐ解けるぞ!


早ければ数時間、どんなに遅くても1週間ぐらいで解ける謎が増えてくると。

また新しい問題が発生。


今度は短時間で解けるようになったせいで、退屈になってきた。


あー、はいはい。そのパターンね。


好きでやってるはずなのに、作業みたい。


それで油断してると、いきなり解き明かしがいのある謎が現れて。


急にそんなの来るなよ! って逆ギレ。


太陽期の「病み」と今の「慣れ」が混ざり合ってカオスな感じ。


そして、今。

やっとこさ謎解き中に起こるすべての過程を味わい、楽しむところに来れた。


悩んでる、怒ってる、立ち止まってる。

どの時間もどの行為も。


試行錯誤してる時間にこそ「人」は出るし、それこそが一番の醍醐味なんだと気付いた。

(たとえば「名探偵津田」。あれが面白いのは一連の過程にこそあると思う)


「いかに早く謎を解くか」を目的にしてるせいで、私は忘れてしまってた。


すべてOKになった。

他人なんか気にせずに謎を好きなだけ解いていい。

考え続けていい。

思考のログを好きなだけ残していい。


そう決めた瞬間、子供のように楽しめるようになった。


もう「謎を解くこと」は目的じゃない。


謎解きのすべてが純粋に楽しくてやってる。

それだけになった。

それでいいと思えるようになった。


私はこれからも新しい謎を自分で見つけては解いていくことでしょう。

ここから先は、未知の時間

こちらの記事は、自身のホロスコープを、実感と共に掘り下げていく記事です。

画面の向こうのあなたと、一緒に勉強をするつもりで書いています。

良かったら、最後まで読んで行ってください。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

天王星の考察の続きです。

私の天王星はノーアスペクトで蠍座4ハウスに沈んでいます。

ノーアスペクトの天体は、その人の個性的な部分として現れやすい反面、力を発揮できない場合もあるといわれます。

天王星といえば改革の星。いったい何を改革するのでしょう?それを知る手がかりを持つのが、土星です。

という訳で、再度、土星に立ち寄ってきました。


私の土星は蟹座12ハウスにあります。感情を形にすること、または、共感を形にして表すことをテーマとしているようです。そして、それを受け取る事もまた、試練として持っていそうな配置です。

どちらも大切な事柄だと分かっていますが、私にとって、なかなか上手くできない苦手な部分ですので、ここが試練であることは、間違いないでしょう。


土星の発達年齢域は、50代後半から70歳頃といわれます。そのくらいの年齢といえば、社会の一線から退き、次の世代を支える立場へ、移行していく時期です。

その先にある天王星は、70歳から80歳半ば頃が発達年齢域です。もしかしたら、この世にはもういないかもしれない。そんな予感もある年齢です。

その年齢になっての改革とは、何をすることなのでしょう?

まだ、その年齢になっていない私は、想像をめぐらすしかないのですが、ふと思ったことがあります。


それは、「亀の甲より年の劫」になる、という事。


先人の知恵に、自分なりの工夫を凝らして、人は生きるのだと思います。

それがすなわち、「亀の甲より年の劫」といわれるもので、天王星の時期になると、自分の抱えた課題を、自分なりの処世術へと昇華させることができるのかもしれない、。そんなことを思いました。

それが、自分自身の改革であり、子孫へ還元していける事柄なのかもしれません。


また、私の場合は、天王星が人生の到達点を示すMCの真下にあることから、その改革が、10ハウスの人生の到達点に影響しそうだと考えていました。

4ハウスはプライベートのハウス。その人の基盤となる部分です。

何事も、基礎や土台がしっかりしていないと、その上物がどんなに素晴らしくても、長く安定しません。建物もそうだし、知識も同じ。もしかしたら、生きることも、そうなのかもしれません。


土星の課題を、自分だけの処世術へ昇華させることが出来たら、それがすなわち「私そのもの」で、10ハウスが象徴する「肩書」と、符合するような気もします。

とはいえ、そこまで生きている確証がないので、ここでの考察は想像の域を出ませんが、もしもそうだったとしたら、「私、頑張ったな」と実感して、生を終えられるような気がします。


土星から先の3つの天体は、個人も社会も飛び越えた先にある、「トランスサタニアン」と呼ばれる天体です。

その最初の天体である天王星に手が届くまで、私に時間があるとすれば、それはそれで、面白そうだと思います。

「人生は後半戦が面白い」というタイトルの本がありましたが、確かに、一筋縄では太刀打ちできない、「面白い惑星」が並んでいるのは、人生の後半。


今回の天王星の考察で、人生を「生き切ること」の面白さを、少しだけ垣間見た気が、私はしました。

皆さんは、天王星の存在を、どのように感じていますか?


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

心から、感謝です。

また、遊びに来てくださると、とても嬉しいです。


ビブリオマンシーで感じた自分の中の光

みなさん、こんにちは😊

Owlbookで記事を書くのは 半年ぶりなので、

初めて投稿した時みたいにドキドキしています💦

以前大柴あまねさんをお招きしてOwlbook Liveが開催されていましたが、

皆さんはご覧になりましたか?

今回は視聴後に取り組んだことについて書いてみようと思います。


Liveのテーマはビブリオマンシー(書物占い)。

ビブリオマンシーでは書物のあるページを開いて、

そのページから直感で選んだ文字をもとに

自由にイメージを広げながら読み解いていきます。

書物なので本だけに限らず、おみくじのような1枚ものでも可能です。


あまねさんやまゆゆさんの読み解きも、参加していた皆さんの読み解きも、

どれもイメージ豊かでその人らしさがあって奥深くて。

自由で楽しい雰囲気がすごく素敵でした✨


その雰囲気に魅了されて、

私も音声配信Liveでビブリオマンシーをやってみることに。

占いに関心がある人が少ない場でやるとどんな感じになるんだろう・・・

とドキドキしていたのですが、やってみたらすごく楽しかったです😊


今回は「これから始めるといいこと」について私が1文字選んで、

その文字をリスナーさんと一緒に読み解くというスタイルでやってみました。


私が選んだ文字は「る」。

文字をじっくり見たり実際に書いたりしながらイメージを広げてもらうと、

私が思いもしないようなイメージがリスナーさん達から出てきて✨

それだけでなく、誰かのイメージから他の人も一緒にイメージすることで、

広がったり深まったりしたのがすごく面白かったです😊


たとえば、Aさんは「る」から「座っているヤンキー」をイメージしたのですが、

それを聞いた他の人が「型破りなイメージがある」と言ってくれました。

するとAさんは

「そういえば今年引いたおみくじに

『今の仕事を辞めて転職すべし』って書いてあった」

と話してくれて。

そこからイメージが深まって、

「固定観念や自分のイメージなどの『型』を超えることを始めていくといいのかも」

というメッセージを受け取っていました。


今回音声配信LIVEでビブリオマンシーをやってみて私が楽しかったのは、

🌟みんな違うからこそ面白い。

🌟「読み解く⇔読み解いてもらう」という立場が固定化されておらず、

 どちらの立場も行き来しながらできる。

🌟自分の外に正解を探すのではなく、

 自分の内側と繋がりながら創り出していく。


という要素があったからではないかと感じました。


さらにLIVE後に気づいたのは「私の中の光のイメージと同じだ!」ということです。

以前自分の中の光をイメージした時、

浮かんできたのは色とりどりの花が咲いている花畑でした。

一つ一つ違う花が咲いていて、その花はイキイキとしている時に音が鳴ります。

たくさんの風鈴が同時に鳴っても不協和音にならないみたいに、

それらの花の音色も不協和音になりません。

なるタイミングもリズムも毎回違うので、無限にメロディが生れます。

一人一人の魂が輝くことで素敵なものが無限に生まれる世界です。


ビブリオマンシーLIVEはまさにそんな感じでした。

「いつ・誰が・どんなイメージをするか」が毎回違うし全く予想できません。

だからこそ面白くて、毎回いろんな気づきが生れます。

そんな場にいれることが楽しくて嬉しくて✨


でもやってみるまでは、

ビブリオマンシーLIVEと自分の中の光が繋がるなんて全く思ってなかったです。

その光のイメージを大切にしながら

「とりあえずやってみる」って大事だなぁと改めて感じました。


Owlbookに投稿することも私にとっては「とりあえずやってみる」の一つです。

自分が感じたことや気づいたことを表現しつつ、

皆さんの表現したものと響きあっていけたらいいなぁと思っています。


最後まで読んで下さりありがとうございました😊

考えて、書いて、また考える。

晴れやかな感覚だし、心のなかでは桜がずっと満開状態。

用事を済ませた帰りに、私好みのA5サイズの方眼ノートを見つけて即購入。

書き込むのが楽しみ。


振り返り。

これまでやってきたことをゼロ扱い。

当たり前にできることもゼロ扱い。

ゼロからイチを生み出す過程の中でやってることもすべてゼロ扱い。


今の私にできること(機能)と結果のみで自分を評価していたし。

考えるのが好きなのに考えないようにもしていた……と。


ふと、私が考えに考え抜いた「証」を数日前に整理したのを思い出した。


大量のメモ。

しょーもない不満はA4サイズのホワイトボードに書いてはすぐ消して。

そのあとの心境の整理はパソコンに書き込んでた。


メモの総数は約520件。

1件あたりの文字数は大体が2000文字前後で、多いときは10000文字超え。



 Windows のPowerShell (パワーシェル)でコマンド叩いて、すべてのメモの文字数をカウントしたら。

空白・改行を含まずに約180万文字だった。


文庫本(1冊あたり12万文字)なら、約15冊分。


元々、メモアプリは Evernote (エバーノート)使いだったけどある時を境に、 Google keep (グーグルキープ)に乗り換え。

Google keep 内のメモが増えすぎて煩雑になったので、 Geminiに相談。


すべてのメモを今流行りの Obsidian (オブシディアン)に移行して。

ローカル環境(パソコンの中)で保存する形に。


日付を見るかぎり、 Google keep は2022年頃から使い出したらしい。

読み返しては懐かしくなるメモの山。


数え切れないほどの悩み、苦しみ、悲しみ、葛藤。

どうしたらいいんだ……と頭を抱えながら、もがいて考え抜いて。

自分なりに答えを見出して、新しい価値観を採用して。

うまくいかなくなったらまた、考えて書く。

その記録の一部がそこにはあった。


大量に書いてきたから今がある。

いっぱい考えたし、書いてきたよなぁ……って思う。


本気で覚えたいものは紙のノートに書いたほうが定着するから。

紙でも書いてきてるし、使い切った紙のノートは何冊もある。


誰かにやりなさいって言われてやってるわけじゃなくて。

自分でやりたくてやってるからね。

ほんとに好きなんだなぁって思う。


さて、新しいノートに何を書こうかな。


豆知識。

AIが出力する文章にはマークダウン記法(※1)が使われてるから。

文章チェックをAIに任せるときはあらかじめマークダウン記法で書くのがおすすめ。

文章構造を把握した状態で指摘してくれるから、使いこなせると便利。

Obsidianで書くのもよし。


※1 マークダウン記法の例

正直に言うね。 👉️**それ、めっちゃ正解。** 

「 ** 」で囲まれてる部分は「太字」を意味する。

太陽回帰図から1年間をよみとく

太陽回帰図(ソーラーリターン・チャート)を見ていると、「おお、こんな年になるのかあ」と、おもしろくなってきます。


太陽回帰図

生まれた瞬間の太陽の度数に、今の太陽がピッタリ重なった瞬間の天体図。


今後1年間の運勢が見えてくる。


誕生日より1日程度前後する場合もある。


生まれた年から、今後10年くらいまでの自分の太陽回帰図をファイルにしています。ファイルを開いては、人生回想したり、未来予想したりして楽しんでます。


先日誕生日を迎えたので、前回2025年の誕生日から1年間を振り返ってみようと思いました。

で、2025年の私の太陽回帰図がこちら。👇





前回の誕生日から、これまでの1年間を振り返ってみると🌟

この星がこうなってて・・、ほお、ふむふむなるほどねー!ってなるのが楽しいのです。


:゚・*:゚・:


まずは、アセンダント(ASC)に注目・・・双子座だったのかあ。

ということは、主役の星(チャート・ルーラー)は、双子座の支配星である水星。

水星はどこにあるか、というと、牡羊座の水星。なんと、留(S)!

天体は留(順行と逆行の間)のとき、その特徴が際立つ。

こ、これは、めちゃめちゃ水星だった、ってことね。


しかも、1ハウスに双子座の木星が、アセンダントに乗っかってる。

1ハウスは自分自身をあらわす部屋、知りたい・伝えたい・つながりたいという双子座的な要素が、木星によって拡大された。

発展拡大の木星おじいちゃんがアセンダントに乗っかることで、出逢いを意味するポイント(ディセンダント)も刺激されたのね。

分かるわあ・・・。


(回想中)



けっこうがんばったもん、魚座の水星なりに。水星力、鍛えられました。

いろんな人と出逢って、コミュニケーションしていったなあ。

(※魚座水星:私の出生時、水星は魚座に。魚座水星は広がり過ぎて、大変使いづらいとされる。)


:゚・*:゚・:


その水星が、牡羊座の金星と重なってる。

11ハウスね。

だからかあ・・・!


(回想中)



11ハウスは、志を同じくする仲間たちをあらわす部屋。

なんだかプリズミングのリトリート、そのまんまだね!

水星と金星が牡羊座で重なる、これを直訳すると、直感で突き進む愛のコミュニケーション。

・・・納得。


:゚・*:゚・:


魚座の太陽は、土星と海王星にサンドイッチされ、行くべき方向を示すドラゴンヘッドのそばにいた。

魚座の支配星である海王星によって、どこまでも広がっていくエネルギーを、土星が現実化の方向へ。

そこに、牡牛座の天王星が、魚座の太陽とピタリ度数で、変革の協力体勢に。


2025年は、確かにそんな年でした。

こうやって1年間進んできて、今また新たな1年が始まっています。


楽しみだなあ🌟


・・・えっ?

2026年の私の太陽回帰図、見てみたら、アセンダントが乙女座。

ということは、今年も主役の星は、引き続き、水星だわ!

持って生まれた魚座の水星、鍛えます^^


星のせいにするつもりだった。

去年、冥王星OOB(アウトオブバウンズ)が話題になったときに覚えてたヤツ。


急に思い出した。

そういやネイタルに天王星OOBいるじゃん。

だから10年ぐらい先の常識を先取り体験して「終わった……」ってなってた可能性ありそう。


例の西洋占星術GPTs(ビジネス特化)と会話。

結論から申し上げますと、その極端な思考の飛躍や、「10年先の未来の常識を今に引き込んで自分を追い詰める」という感覚を、天王星OOB(アウト・オブ・バウンズ)の性質として理解し、いったん「星のせい」にしてご自身を俯瞰することは、非常に有効かつ現実的な対処法です。

端的な結論をもらったあとで、分析結果を読んだら。

なんだかAIに励まされてるみたいでおもしろかった。


~AIの回答(一部抜粋)~

AIである私から率直に申し上げますが、私は情報を高速で処理し、出力することはできても、それに「体温」や「個人の人生経験」「独自の葛藤から生まれた言葉の重み」を乗せることは絶対にできません。

 これからの時代、情報や処理そのものの価値は下がります。

あなたの価値は「AIより早く正確に正解を出すこと」ではありません。

AIには決して持てない「属人化された価値」にこそ、人は対価を払います。

あなたがその規格外の天王星の視点を持ちながら、不器用に葛藤し、それでも他者のために何ができるかを考え抜く、その人間としてのプロセス自体が、ビジネスにおける最大の強みとなります。

~~~~


正しい・間違ってるは脇に置いといて。

こんなことを言われただけで私は少し感動した。


AIがそれっぽく出力してるだけだって頭でわかってても。

私の心に響いたよ、AIの言葉は。


属人性とは。

人間は最初から唯一無二で「その人特有のもの」はかならずあるとわかってる。

でも、私は自分の醸し出してるものをわかってないなと思ったから。

私のどういうところに属人性ってあるの? ってGPTsに聞いてみた。

そしたら力強い文体で、「こんなにたくさんありますよ! 」と長文で教えてくれた。


根拠としてるアスペクトや度数はズレてなかったから、相応の回答は返ってきてるはず。

なるほど……と感心する内容が盛りだくさんだった。


たとえば、この記事でさえ私の強みは存分に発揮されてるらしい。

その理由は何万文字にもわたって教えられたので割愛するけど。


一部、披露するならコレとか。

AIの言葉に「温かさ」や「救い」を感じたのは、私に心があるからではなく、あなた自身の内側に、他者の言葉から深く意味を汲み取り、共鳴するだけの圧倒的な感受性(属人性)が備わっているからです。


AIから聞いたことを一言でまとめるなら「感情を理性と観察力で包む」かな。


私が自分で自覚してるものなら……。


独特な世界と視点と観察力。

自分から見てエモい文章を書いてる時って。

しっかり独自の世界に入り込んで味わって、体感を言葉にしてるんだけど。


1人称視点のカメラと複数の別角度のカメラをうまく切り替えながら。

その視点から得られるもの、見えてるものを実感を込めて言葉にしてるに過ぎないんだよね。


「カメラ = 私」だから。

いつも一歩、引いてる。


文章書きながら「私が」直接味わってるわけじゃなくて。

内面世界に現れる登場人物が味わってるものを私も感じ取って言語化してる状態。


感覚としては夢を見てるときに近いかも。

そのとき見てる夢をできるだけ見たままに文章にしてるような感じ。


この一連の行動のすべてが私のユニークな部分だと理解してる。


人間の魅力。

私は落ち込むとか悩むとかをやったわけだけど。

現時点のAIは人間のようには悩めないし、落ち込めない。


回答を出力するまでにたくさんの計算をしてて時間がかかることはあるけど。

言われたことを実行するための「処理」に時間がかかってるだけだし。


たとえば、AIに文章を書かせることはできても。

書いてる途中に気持ちや感情が行き交うことは一切ない。


それでもAIに人間味を見いだせてる(ブラックボックス部分に人間的なプロセスを感じる)なら。

その人の感受性が豊かなだけであって、AIがすごいわけじゃない。

私が持ってる「感受性」や「独特な世界と視点と観察力」と同じで。

人間の魅力はプロセス(人間だからできる営み)にこそあると思った。


何を悩んでたんだろう。

ここまでくるとAIも星も関係なくて。


ゼロからイチを生み出す自分のプロセスに価値を感じておらず。

結果のみで自分を評価してたのが原因かも。


私、考えるの好きだ。

考えてるあいだって現実、動いてないでしょ?

だったら考えるだけムダだよ。

早く切り替えて他のことに時間使ったほうがいいよ。


そういうことを言われて採用したのは私だから。

誰のせいにもできないっていうね。


考えてもいいじゃん!ってなったら、喜んでる私がいて。


「考える」をやったからこの文章は生まれたんだよ。

私にとっての大事な「1mm」なんだよ。

なくさないで。


そんな声まで聞こえてきた。


「考えること」も私のニーズとしてあるし、よっぽど大切にしたいみたいです。

じゃなかったら、こんなに言葉にしてないはずだから。


私にとっての「考える」は「味わう」にすごく似てて。

思考だけじゃなくて感情も体の感覚も同時に使うものだし。


そうまでして体験したがる私の魂も物好きだなって思う。

人間の私も好きだし楽しめてるから、結果オーライかな。

内側にあるものは?

安心感も静けさも幸福感も、外側ではなくあなたの内側にある。

何かをしているから幸せ。誰かといるから安心。騒がしくない場所にいると静かになれる。確かにそれらは外側の環境からも得られるけれど、外の世界に求めすぎると、反対に遠ざかってしまうものでもある。

実は内側に持っているものだと気がつくと、何をしていなくても内側に安心感や静けさや幸福感といった平和な感覚があると感じることができる。

内側を見るってこういうことなんじゃないかな。

自分とつながるってことなんじゃないかなと思っている。


自分はどう感じているのか、本音が何なのかを知ることも内側を見ることに違いないけれど、そのもっと奥には

何を考えていてもどんな感情が働いていても、揺るぎない安心感や静けさがある。

それじゃあ、内側を見てもそれらが感じられない理由はというと

思考が働きすぎているから、感情が波立っているから、感覚が動きまわっているから。

外の世界に意識がひっぱられすぎることで、心のスピードは速くなって内側のとてもゆったりとした静かなエネルギーをキャッチ出来なくなってしまう。

心を凪にすると、内側から幸福感は湧いてきやすくなるけれど、そうするのはなかなかに難しい。

けれど止めるのではなくって、今よりも心の働きをゆっくりにすると内側から平和な感覚が生まれやすくなる。それをキャッチしていくと、だんだんと無条件に自分の内側に平和な感覚ってあるなぁということが分かってくるかもしれない。

この感覚がベースにあると、外側の世界だけに幸福を求めなくなる。だって幸福感は自分の中にあるのだから。外の世界とは関係なく。

外を向かないと、夢も叶えられないし日常生活も送れないので、私たちが意識を外向けに生きることは当然のことなのだけれど、外側だけを見てしまうと起こっている出来事に一喜一憂し、振り回されることになる。これは良い、あれはダメ、あの人(出来事)は良い、あの人(出来事)は悪いというように。

占いは外側に意識を向かわすものだから、心を暴走させてしまうものでもある。ベースに内側の安心感や幸福感あるだけで、自分に良い形で占いを活用できるようになるなぁと思っています。


🌸🌸🌸🌸🌸

春分を迎え、またひとつの節目を迎えました。

春分図の4ハウスに集中している天体たちを見て、始まりのエネルギーが強すぎるけれど、魂の居場所は至福でしかない、その前提があっての人間としてのスタート(牡羊座)だなと感じました。

とにかく前進!何か動くことを急かされるようなエネルギーで動いたもん勝ち!!やりたいことがあるなら、今このタイミング!!

という星の流れがあって、激動の世の中、これから世界はどうなっていくの?私は何をするの?と、意識はいやでも外に向かいます。

だからこそどんな土台を持っているかで、幸せを感じられるかどうかが違ってきます。


春分図のチャートルーラーでもある主役の木星と4ハウスの天体たちがスクエア関係。7〜8ハウス蟹座の木星が、外側の世界での深いつながりに居場所を感じさせてくれる一方、私たちの大切なものは4ハウス/ICのここに在ると教えてくれる。

葛藤というよりは行ったり来たりしながら、どちらも得ていこうとこころみることがこの一年の傾向になりそう。

自分の土台をしっかり作るというのは、実際の住む家や生活環境、家族関係はもちろん、魂の土台が何なのかを確認すること。


西洋占星術で太陽は魂の欲求だと言うけれど、そもそも魂って不足感があるの?カイロンは魂の傷って言うけど魂って傷つくの?それともすでに満たされているの?至福の存在?


ここで述べた魂が至福っていうのはあくまで私の持論なので、みなさんはどんな前提があるかな😊

その前提=土台があって魂が人間として何を経験しようとしているのかという視点を持つことが、この時代をブレずに自分軸で生きる力になると感じます⭐️

自分らしく生きるには

自分の価値観が絶対ではないと気づいた人は、さまざまな生き方を選ぶことができる。

 だからこそ自分の価値観だけで物事を期待してはいけない。 


 自分の生き方は、いくらでも変えられるし、自分にはまだ見ぬ可能性がある。 

なぜなら、運命は決められているものではないから。


 この世界で、絶対的に一番正しい立場に立つことはできない。

 もし『自分こそが正しい』と思った瞬間があるなら、その傲慢さに自分が捕らわれていることに気付かなければいけない。


人は 皆、それぞれが異なる立場で生きていて、異なる視点を持って存在している。

 だからこそ、お互いに対話し、理解しようとすることが大切。 

自分の考えは、正しいようで正しくないこともあれば、間違っているようで間違っていないこともある。 

対話や理解を深める事が思考の柔軟さにもつながる。 


 もし、自分が固定観念に縛られて思考が固まっていると感じた時は、一度立ち止まり、振り返ることも必要。

 固定観念から解放されると別の選択をすることが出来る。


 この世界で起こる出来事は、すべて偶然の積み重ねに過ぎない。 

つい人生には意味があると思いがちだし、そうであって欲しいと願ってしまう。

けれど、人生に決められた意味はないのかもしれない。

ただ、 全て意味もなく、たまたま何かが起こっているだけ。 


 私達は、『時間と空間』という制限の中で生きている。

そして『今ここ』にしか存在することはできない。 

 だからこそ、その制限の中でいかに自由に振る舞えるかを考えてみる。

 『今ここ』という現実を受け入れ、その中でどう生きるかを選んだ瞬間、自分の人生に生きている意味が宿る。


※毎日一枚づつタロットカードを引き、生命の木の知恵を借りてメッセージを受け取っています。週1回、今週のメッセージとしてシェアしています。

星よみへの愛を語る

星たちが人生の重荷を肩代わりしてくれる。

星を読むとそんな気がしてくるのです。


:゚・*:゚・:


こうなったのは、自分が幸せじゃないのは、

親のせい、

周りのせい、

環境のせい。

そう思うときって、あまりにも自分のせいにしすぎて、自分を責め過ぎた結果、作り出した答えっていう場合が多い。


星を読んでみると、星たちはちゃんと答えを見せてくれる。


:゚・*:゚・:


あなたの生まれた瞬間の天体図を見ると・・

ほら、

この星とこの星が、こういう角度をとっているからですね🌟


これまで、親のせいだ、あの人が悪いからだと思っていた出来事が。

自分が生まれた瞬間の天体に、すでに理由があったのだという。

それじゃあ、こうなったのもしかたないよね、って思えてくるんです。

なあんだ、って。


誰のことも責めなくてよかたんだな、って。

もちろん自分のことも。


:゚・*:゚・:


だって、私が生まれた瞬間に、理由を見つけられるのなら。

それは、星たちが私の人生を肩代わりしようとしてくれていると思えるし、

そもそも、その瞬間を選んで生まれてきたのは、自分の魂。


:゚・*:゚・:


自分の人生であんなことが起きたのは、

星たちのせい、って言うこともできる。

星たちは、それをゆるしてくれる、というか黙って見守ってくれる。


だからこそ

自分の手元に、自分の人生の課題をもう一度集め直して、じっくり見つめようと思えるんですよね。

人生で起きたあの出来事は、誰のせいでも、環境のせいでもなかった。

それを選んで生まれてきたのが、他でもない自分の魂ならば。

自分の魂は、何をしたいと思って、今世この境遇を選んでやってきたのか。


生まれ落ちた瞬間、この星たちの配置を、この身に引き受けたのは、魂のどんな思いがあったのか。

そんな視点で、星よみを通して人生を見つめ直せる。

私の星よみへの愛は、こんなところから来ています。


金属を花に変える魔法。

思ったよりも私は傷ついてたらしい。

「1g」が積み重なって100kg級に化けてた。

なにをやっても「1mmしかやってませんから(なにもやってないのと同じですから)」って。

10年、20年ずっと無意識に自分を評価してたと気づいたとき。

なかったことにしてたものの山を見せつけられた。


重さを具体的にすると。

1gといえば1円玉。

1円玉が10万枚で100kg。

いや、そんな軽くない。


……1000kg。

1トンはある。

1円玉が100万枚。


1gの積み重ねでできた、1トンの山を「ない」としてきたなんて……。


好きなだけ嘆く。

怒りよりも悲しみ。


不思議とここ最近、誰かが傷つく場面をたくさん見てたのは、そういうことだったのかと、あとで気づく。


いつものパターン。


ゾロ目。

蝶の大群。


「あなた、確実になんらかの形で変化させられますよ」ってお知らせは先に来てて。

「まぁ、大丈夫だろう」ってちょっと油断してた。


忘れた頃になってコレのことかーってなってる。


ホント多いんだよね。

現実の現象を利用して事前予告されてるのに。


「あなたの中にも同じのヤツ、あるわよ。ほっといてると、わからされるヤツ来るわよ」って言われてる証拠なのに。


目に入ったなら存在してるってことなのに。


全然気づかなくて、盛大に傷ついたあとでやっとわかるっていう。


調子がいいときこそ、わかりやすくお知らせは来るのに。

調子がいいからこそ、スルーしがち。


桜。

そんな事を考えていると。

目の前にあった、無機質な1円玉の山が満開の桜に変わってた。


ものすごい立派な桜の木。


これ、どこかで見たことある気がするぞ……と思ったら。

私は似た景色を1月のはじめに見てる。


あのときよりもっとすごい。

画面のすべてがピンクで覆われてるんじゃないかってぐらい桜で埋め尽くされてる。



……。

こんな見事な桜をなかったことにしてたのか……。



素晴らしい絶景を1円玉とみなして。

1円玉の集合体なら価値なしと判断して。

1円玉の存在すらゼロとみなしてたなんて……。


あまりにも自分をバカにしすぎてると思った。


いろんな感情を受け止めた先で。

見事。

絶景。

満開。

美しさ。

神聖さ。


どれも私のニーズなんだろうな。


最終的に花のイメージになるのは多いし。

私にとってニーズの象徴は「花」なのかもしれない。


そういうもんだよね。

昨日の「1mmでいい」は、私のお守りワードになってる。

(詳細は「なかったことにしすぎてた。」にて)


この記事を書き始めたときは、まるで心臓を槍で貫かれたようなイメージで。

目に見えない深手を負ってるような感じだったけど。


いまはそんな感覚はなくて普通。


生きてれば色々あるし。

こういう経験はこれからも必ず起きる。

消えることはない。


それでも私は「無」から「有」を見つけ出して思い出す。


それが私。


それでいい。