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「馬を制する」というメッセージから、今年のテーマのヒントをもらう

こんにちは。とても久しぶりです。

「記事」というと、ちゃんと形を整えなきゃとか、人が読んで面白いと思われたいなどという気持ちが先行してしまい、遠のいていました。

でも、もっとフランクにイージーに、好きなことを思いつくままに書いてもいいのではないかと思ったので、今、思うことを書いてみようと思います。

私は四柱推命で日干支が「壬午」です。

この干支は暗号異常干支の一つで、霊感干支です。

特徴の一つに「正夢で予知できる」というのがあります。

以前から夢占いの本を読んだり、たまに夢日記をつけたり、夢に注目はしていたものの、予知夢を見たことはなかったのですが、もしかして、受け取れきれてないだけかもと思うようになりました。

占星術の惑星、サイン、ハウスでも、四柱推命の十干、十二支、柱でもそれぞれに象徴するものがあって、この世界にあるものはそれぞれに分類されていると思います。

でも、私はそのほとんどを知りません。もし知っていたら、夢に出てきた物や人、行動を、それら占術の象徴から、何かを予知出来るのではないかなと思いました。そしたら、星の運行や、干支の巡りから何か分かるかもしれません。そしたら、単純に楽しいなと思いました。


年が明けて七日に、昼寝をしたら、夢を見ました。

暴れ馬を制御する夢でした。しかもかなり簡単に。そして、その綱は二本あり、一本がオレンジ、そしてもう一本が黄緑でした。何かのメッセージかしら?と思い、検索してみました。「馬を捕まえる夢」を見てみると、「大きな成功、人生をコントロールし、目標を達成する力、新たなチャンス到来」などのキーワードがありました。

オレンジと黄緑も意味があるように思います。

調べると、オレンジは「元気、活発、社交、親しみやすさ」、黄緑は「成長、若々しさ、生命力、希望」などの意味があるそうです。

このイメージで目標、チャンスに向かっていけば上手くいくんだなと思いました。


そして、最近、図書館で目について借りてきた本を読んでいたら、「馬が牛に囲まれて牡牛の角に腹を刺されて死ぬ」という場面が出てきました。

牡牛が馬を制する。また馬を制するというメッセージです。

私のアセンダントは牡牛座です。私の「人柄、他人が見たときの印象」などを使って、目標、チャンスに取り組むと達成するということなのかなと思いました。

オレンジと黄緑のイメージをアセンダントに落とし込むのは、出来るかもと思ったので、やってみようかなと思います。

ちなみに、1ヶ月ほど前にソーラーリターンがあり、先ほど、ソーラーリターン図を出したら、月以外の個人天体が1ハウスにありました。ほぼコンジャンクションで水星がアセンダントに乗っかっています。

これから、しっかり読みますが、1ハウスがこの一年のテーマになりそうです。

オチもない話ですが、こうやっていろんな物からメッセージをもらって、それに素直に従うとどうなるかな?というのも今年のテーマとして実験的にやってみようと思います。

今日、星読みラジオで、木星の象徴に「桜」があると言っていました。こうやって、いろんなものの象徴を自分の中に増やして、メッセージを受け取りやすくしていきたいです。

つらつらと書きました。ありがとうございました。

みなさま、今日も良い一日でありますように。

緊張しやすい人へのメッセージ

1/29のアウルブックのライブ配信に占い師・ライターである大柴あまねさんがゲストで登場。書物占い(ビブリオマンシー)のやり方を教えてくださったので、さっそく占ってみました!

すぐにやってみるのは、なんだか海王星牡羊座期っぽいですね〜🐏


使った書籍は、目の前にあった鏡リュウジ先生のご本。

ステッキはないので、気に入っている色のペンを使用しました。

偶然にも表紙と同じ色合い。

一文字を採用、空白はやり直し。


問いは、自分でも悩みになっている

「緊張しやすい人のためにメッセージをください」

にしました。


出てきたお告げはババーン



「で」という文字。

文字の形や連想された言葉から

メッセージを読み解いていきますね。


📖 ✨ 📖 ✨ 📖

自分の内側に不安やモヤモヤといった“濁り”を抱えていますね。

その濁りは過去の経験から積み上げてきたものでしょう。

それが緊張を引き起こしているのだと思います。

「失敗しちゃいけない」

「恥ずかしい」

「どうしよう、怖い」

頭の中がそんな思いでいっぱいかもしれません。


すごく緊張している時、

手に意識を向けてみてください。

手の状態はどんな感じですか?

冷たいですか?

汗ばんでいますか?

震えていますか?

緊張時の手の感覚を少しでいいので味わってみましょう。


そして、その感覚を素直に受け取ります。

「あ、いま私の指先、すっごく冷たい」

ただそれだけでいいです。

緊張を一旦受け止めることができます。

「緊張しちゃダメ」と否定せず、認めてあげることが大切です。

手の中にある不安や恐れといった“濁り”をそっと握りしめてみて。


責任感が強くて真面目なあなた。

力みすぎないことを心掛けてみてください。

準備はしっかりできていますよ。

少しだけふわっと抜けている部分があっても大丈夫。そのぐらいがちょうどいい。


最後に

「で?」と問いかけられている感じもしました。笑

なんだか「緊張しいなのはしょうがないじゃん、それも私なのよね〜」と

観念してまるっと受け入れてしまえということかもしれません。

📖 ✨ 📖 ✨ 📖


どんな感じがしましたか?

響いたところがあったらマーカーを引いてもらえると嬉しいです☺️


下書きをしたあと一旦アウルブックの新着を読んでいたら、ゆみさんの投稿に遭遇。ビブリオマンシーされたことが書かれていて、しかも同じ「で」だったので驚きました! とてもとても素敵な記事です✨✨

この文章を取り消そうかなと思いましたが、これも何かのご縁と思い、投稿させていただきました。

今日から始めました

アウルブック

何か新しい事が始まった事は知っていましたが、

文章は苦手だし‥

書く暇ないし‥

と今まで見ないできましたが、

本日まゆさんとあまねさんのYouTube LIVEを

拝見したのでアウトプットします♡

私も射手座で金星山羊座、あまねさんと一緒です。

文章が苦手なのですが、プロと同じ天体を持っているという事で、自信につながり書いてみる事にしました笑笑

-今日の気づき-

先ず、1つ目。

今日のホロスコープで海王星土星コンジャンクションに対して月双子座でスクエアでした。朝から交通の乱れ🚃通勤ラッシュ中に運休すごい星の采配😱

そして2つ目は、ずっと手放そうと思ってなかなか手放せなかった案件を、この海王星牡羊座入りにあやかり、手放したところ、またすごい引き寄せがありました🤩

ずっと心を縛ってい固まっていた事が、ふっと解けて軽くなった1日でした。

最後に昨年末、父を亡くして

なんとなく進めずにいたのですが、

まゆちん先生の『命日占い』をやっと見る事が出来、父からのメッセージを受け取る事が出来ました。🥹

まゆちん先生が本当にやりたかった、この死生観という分野に、なかなか脚を踏み出せなかった私ですが、父の死を受け止め、やっと昨日読む事が出来ました。

母にも命日占いから父からのメッセージを届け

る事が出来、喜んでいました😭本当にありがたいです🙏

この場をお借りして、まゆちん先生に御礼申し上げます。

そしてそして、極め付けに

娘から彼氏ができたという報告‼️がありました。

バレンタイン💘前だから⁉️と言っても

まだ小4なんですけどね😂

私も小学生の頃

好きな男子がいたっけなぁ?と思い出したのでした。

しかも自分から告白したそうです笑笑。

ここ数日の出来事を一挙にまとめて

備忘録とさせて頂きました。

ここまで読んで頂き

ありがとうございます😊✨

また気づきがあったら

これから書いていきます🩷

          2026.1.30 ピュア🪽

「野良の詩人」はじめます

おだやかだけど

少したよりない冬の陽射しが

今日はなんだか力強く感じた

わたしの中に確かにあったのに

ずっとずっと無視してきたもの

わたしの心は

いいえ

わたしの身体は

言葉を欲している

確かにここにあるものに

言葉という輪郭を与えてほしいと

ずっとずっと呼びかけていた

声なき声で叫んでいた

これからのわたしはもう

上手に生きるだけじゃない

この声を形にする

という意思を真ん中に置いて

やっぱり上手に生きる


***

はじめまして。

深水ゆきの(ふかみゆきの)と申します。

Owlbookでは、「野良の詩人」として活動してみようと思っています。

「野良」と言ったのには、理由があります。

新旧・国内外問わず、詩を読んだことはそれほどありません。

文学を学んだこともなければ、読書量だってそれほど多くありません。

でも、10歳から20歳ごろまでの多感な心を、詩を紡ぐことでなんとか消化して、生きてきました。

詩をちゃんと知っているとは言い難いけれど、でも言葉を綴らずにはいられない。

そんな自分のこれまでを「野良」という言葉にこめました。

太陽と水星が牡牛座のわたしにとって、五感で感じるままに言葉にすることは、とても大事な営みなのです。


とはいえ、詩を書かずにいられなかった自分を、つい最近までずっと受け入れられませんでした。

「若いころの詩やポエムなんて、黒歴史」

どこかで聞いた言葉が、いつだって頭の端にあったからです。

かつて詩を書いたノートは、結婚するときにすべて捨てました。

誰にも見せられないようなものは、これからはつくらないほうがいい。

そう思って、言葉を綴ることもやめました。

天秤座の月ゆえに、他者とのバランスに安心を求める心が、強かったのかもしれません。


2018年からの7年間、自分とたくさん向き合ってきました。

重たい思い込みをひとつずつ手放してきました。

(天王星が牡牛座に入っていた期間とぴったり重なっていて震えます。)

そうして最後に現れたのは、叫びのような願いでした。

「この身体が感じていることを、表現したい」

言葉で表現することになんらかの執着をもっていることには、ずっと気づいていました。だけど黒歴史を増やすのは嫌だから、詩以外の表現方法がいい。

コラムやエッセイや小説をなんとかして書けないか、長年模索していました。でもどうしても、何かがかみ合わない。

そんな折、とあるYouTubeライブをみていたら、心のざわめきが我慢できないぐらい大きくなりました。そのライブでは、出演者の方々が自作の詩を朗読されていました。

ずるい、うらやましい、くやしい

そんな気持ちがあふれてきて、最後まで視聴することができませんでした。

わたしにだって言葉はあるのに。

とっても素敵な言葉なのに。

でもどうせ、受け取ってくれる人はいない。

そんな嘆きに気づいたとき、わたしは詩を書くことをやめられない自分を、受け入れようと決めました。

そして、改めて言葉を綴っていく場として、言葉と感性でつながることを意図したプラットフォームであるOwlbookを選びました。


***

身体からわきあがる声なき声を拾い上げて、詩にのせること。

それを誰かとわかちあうこと。

その過程で、ほかならぬ自分が自分の感覚を肯定すること。

この営みは、人を心からいきいきさせてくれると信じています。

詩やポエムを書くことは、黒歴史なんかじゃない。

自分の感性を、生きている実感を、その表現を、恥じる必要なんてない。

この世に必要だから、あなたをつうじてその言葉は表れたんだ。

声なき声を持つ人が、その言葉をこの世に表せますように。

命のこもった言葉をわかちあえる仲間が、増えますように。


そんな願いをこめて、わたしはわたしの詩を書いていく所存です。

これからどうぞよろしくお願いします。


無垢を生きる?海王星牡羊座

 いつもありがとうございます。

 昨日、易経の64掛の25番が出た事を投稿で書きましたが、どーももっと深い示唆があったのかも?と本日感じています。

 ヒューマンデザイン的に言うと、実は今海王星はまさに25番のゲート上に位置しています。

 そして2025年度のソーラーリターンは、おそらくほぼ全員に近い方が海王星が25番ゲート上で迎えています。

 ですから昨日の

 天雷无妄

 とは、多くの方が課題として出てくる可能性があるとも言えます。

 アウルブックの投稿内でもちらほら出ている

 宇宙に委ねる

 それです。

 私が、海王星が牡羊座に入った時に、フォトリーディングの活性化中に、けたたましいベルが近所の家で鳴っていた事を、投稿で書きましたが、実に面白い事がわかりました。

 フォトリーディングしていた著者の方は25番ゲートの量子的飛躍をさせる51番をネイタルにお持ちの方。

 『今』という時と、私自身のソーラーリターンとのクオンタムリープを起こしたからこそ、私が何だか鎖が弾けまくる!!!という体感になったのかもって思っています。

 この25番の天雷无妄ですが、ヒューマンデザイン的には、集団的なものから個人の道に進むというゲートだそうですので、時代背景を考えても何だかピッタリだなという気がします。

 ただ、海王星があるというのは、ミスリードも起きやすいと記載がありましたから、やっぱり何かズブズブっと深みにはまるような惑星の一面を持っているのだなと感じさせます。

 ✴︎✴︎✴︎

 話しは戻して🙏

 その鎖が弾けまくる!と、ぐわーっと動いた時の感覚は何かと言うと、まさに

 与えた意味を体験する

 それが腑に落ちて来たことだったんですね。占星術は好きですが、そういった体系化されたものからの解放って言うんでしょうかね。

 体系化されたシステムからの解放なら、もう、そういうものは不要っていう意味?と思う方もいるかもしれないのですが、なんと言うか…そう白か黒かではない感じで、解放されたこそ

 自由に使えるようになる!

 という不思議な感覚で、使い方の反転みたいな感じです。

 そして、それは自分自身の感性等にも波及して

 『感じた』は、正しいか誤ってるかではない

 自分が感じたなら、それは自分にとっての真実

 ホロスコープやタロットに見出してるものを体験するという事であり、それは人によって違うわけですよね、本来。

 それほど自由を与えられている私達なんだ!って根拠なく、ぐおーーーと腹から湧き上がってきた27日だったんです。

 25は51と繋がる事で『イニシエーション』のチャネルになるそうで、その体感そのものでしたが、だからこそ未知の領域へ進んでいく勇気を促されてるわけでもあります。

 これは、51番持ちの著者のおかげだと思っています。めっちゃ若い方で、私にとっては、すっごく今まで感じた事がない程の新鮮なエネルギーを体感した体験でありました。

 人間関係ってこれなんですよね。(今回は深い人間関係ではないですが笑)ひとりで完結するものもあれば、誰かと関わる事でクオンタムリープを起こし、まさにパズルのピースがばちーんとあう感覚。

 私は、人間関係にロマンはくっつけない方ですが、惹かれるや、嫌悪感は、案外こういったエネルギーの引き合いだったりしますが、人間関係というものを端的に教えられた出来事でもありました。

 ちなみにですが、私は今ヒューマンデザインには見出しています笑

✴︎今朝、起きぬけに天雷无妄の意味が深まる✴︎

 一晩寝かせると本当に意味が深まります。

 今朝、いつものように目覚めの最中に起きたのが、委ねるという意味の深まりです。

 個人では、どう足掻いても、私達は合意的現実で生きています。

 特に人間関係の問題(人間の悩みや問題は多くが人間関係ですね)は、個人の采配ではなく他者や人々の集まりの社会で連携していますから、それが来たる時ではないと事態そのものは、動いていかない

 という事の腑落ちだったんですが、これはよく言うコントロールの手放しか…

 その来たる時というのは、単に何もしないということではなく、今、自分が向き合う事だったり、なんらか自分にとって今必要な行動はあるわけで、成長ポイントがあるはずなんです。

 そして到達した時に開く何かがある。

 宇宙に委ねるというのはそういうことか…と感覚を深める事になりました。

 ✴︎おしまいに✴︎

 海王星が牡羊座に入り新しい感覚の方も多くいると思います。ただ新しいからこそ沢山の失敗を私達はします。

 そもそも牡羊座のサビアンシンボルのストーリーは実験そのものに私は感じさせます。新しい生き方とは、未知のものだからこそ失敗して当然であり、自分の人生に挑む姿勢が求められるという気もしています。

 また25番の徳が、泰然自若の徳だそうで、ちなみに易の徳とは価値を創り出す力だそうです。

 泰然自若、どっしりした大人(たいじん)の価値を創り出す、宇宙に委ねる力を養うことが、新しい生き方に必要な事かもしれないですね。

世界の味わい方を変えてみよう。

NVCにおける感情の話を聞いたり、あるコミュニティで抽象度高めな話を聞いたりして。

なんかもっといいやり方がありそうだな……と思っていたら。

1月30日のNVC朝ライブ」で答えをもらったかも。


現時点の私の理解度で思いついたことを書きます。


妄想と事実。

客観的に見れば、私が内面世界で見てるものは全部、妄想なんだよね。

だけど、現に私が見てるのは事実だから。

私は「私にとっての事実」として扱ってます。


昔は見えないものを見てる自分を責めてたし、罪悪感もあったけど。

「私にとっては事実だよね😌」としてからは、あんまり気にならなくなりました。


いい・悪いの判定をしなくなったおかげで、他者の見てるもの(神・龍・天使やその他のメッセージなど)も純粋に楽しめてるって感じです。


という前置きをして、NVCの話に戻ると。


感情に意識を戻そう。

前回の記事(セルフリセットループを終わらせた。)を例にするなら。


「私は絶対に幸せにならない」


ってのが聞こえた時点で一旦ストップ。


「で、私は何を感じてる?」と自分に聞く。


私はその「声」が聞こえたとき、「うそでしょ……」って思ってる。

「うそでしょ……」の前に感じてる感情が実はあるんだよね。


私はすぐ思考&分析が始まるタイプで、体の感覚に意識を向けるのってあんまり得意じゃないんだけど。


NVCには「感情リスト」があるから。

リストを見て、しっくりくる言葉を選んで、感じるのをやってみるとよさそうだなと思った。


たとえば

びっくりしたよね。

どきっとしたよね。

とか。


そうやって感情を感じた先でニーズとつながれたら。

「私は感情を守ろうとしてたんだ……😭」みたいになって。

あたたかい感覚を味わう状態(自分とつながった状態)になれるっていう感じなのかな?


感情のいいところ。

感情にいい・悪いは存在しない。

コレなんだよなぁ。


1月28日のNVC朝ライブ」によると。

普段、気づいてないだけで感情って実は体でいつも感じてるらしい。


体に意識を向けて感情に気づく習慣があるだけで、やさしい世界になりそう。


思考&分析の危ういところ。

過去の私がそうだったように。

思考&分析が始まると、決めつけや思い込みのもとが生まれる。


たとえば、「私はお母さんに○○された」という事実があったとして。

思考&分析(妄想とも言う)をやっちゃうと。


「今」以外に視点が移り、思考の飛躍によって思い込みや決断が発生してしまう。


「じゃあ、お母さんは私のことが■■なんだ」

「もう二度とお母さんに○○されないように、私は△△しよう」

とか。


この思い込みや決断が悪循環を生む可能性がある。


(もちろん、自分や他人を決めつけたり縛るような思い込みや決断をしたければやってもいいんだけど。

NVCを知っていれば「やらない」が選択肢に入る。

それだけでも違うはず)


体の感覚(感情)に意識を向けたなら。

いい・悪いのない(ジャッジのない)世界に行き、今に戻れる。


そしたら、誰も悪者にしないし、喜びにつながれるし。

喜びを起点に行動できるし、人生がより素晴らしくなるゲームを展開できる。


NVCが生み出す好循環。

……NVCすごくない?

私ならタロットで遊びたいシナリオを再設定しながら、現実でガンガン行動しちゃうかも。

(私としては、もうそのルートに突入してるつもり)


なんかもう、すごい世界に変わってしまうよねっていう。

個人的には世界の仕組みがめっちゃシンプルになった感覚です。


自分で決めたルールにハマってる場合じゃない。

それぞれ全く違う場所で聞いてた話が一気に統合されて。

あー!そうだったのか!って、ひとりで勝手に納得する感じ。


ここからどう変わるのか。

私もめちゃくちゃ楽しみになってます☺️✨

あなたの名前で生き方とか使命がわかる?

 射手座の私は自己探求が好きです

今日のテーマは名前、、、

 名前がつく前のあなたに願いや祈りが込められてつけられたもの 

誰がつけてくれたの?

どんな思いが込められてるの?

名付けしてくれた方に直接聞いてもいいけれど

名前からあなたを感じ取ることしてみない?

名は体を表すっていうけれど

実は名前通りの人柄だったり

名前の漢字の意味通りに生きていたりするもの

氏名=使命なのかもしれない 

太陽の生き方にに迷ったらあなたの名前を

よく見たり言ったり感じたりしてみて

言霊とか音霊というように

文字や言葉や音には意味や祈りが込められているのを感じられるかも?


例をあげてみますね


名前 沙宙 さちゅ

沙は小さくてきれいな物につける頭語

宙はそら、宇宙、空間、地についてない所

さ はサラサラ流れる感じ

ち は血のようにミャクミャクと流れる感じ

ゅ はゆっくり拡がる感じ

自分の中に流れている綺麗な熱が周りにエネルギーとなり自然と拡がっていく

こんなイメージになりました✨

自分の中を綺麗にしときたいから

体や心を清めて周りに素敵なことを自然に

振りまいていけたらいいなと思いました✨


皆さんも自分の名前から色々感じで見てください

たっくさん答えを抱えてる身体とコミニケーション-自分が持つ智慧と繋がる-

 いつもありがとうございます。

 投稿はしとくもんだ!と、改めて感じさせる事がありました。

 アウルブックってホントに簡単に見直しができます。

 前回の下弦の月の頃、眠りから目覚める時に『肉体の大切さ』を受け取ってアウルブックに、投稿しています。

 それがなんともじわじわ実感させられる事が起きてるのと、そのメッセージを受け取った頃に、その重要さに繋がる出逢いをもしてる!と振り返りってわかりました。

 現実ってすごい!ミラクル!

 ってまた改めて興奮していますが、

 今朝は、朝一で、(エネルギー的にですが)自分のフィールドから、ワクワクのエネルギーを引っ張り出して浴びています!

 そのせいか、そう感じてしまうのかも!って思っています。これが感謝だったなら同じ現象でも感謝を感じる。

 感情を選ぶってそのくらい簡単な事って最近実感する事が多いです。

 体験したい!って思う方は、是非体験の意図を投げておく事をオススメしますし、投げたら忘れてるくらいがちょうどいい。

 体験されてる方は共感して、やっぱり〜!だよね〜!って気持ちを⤴️してもっと自分の体験の中で連鎖を起こしてくださいませ!

 ✴︎✴︎✴︎

 今朝は、身体からたっくさんのメッセージを受け取ったのですが、それを書き出していた後に

 『今、気づいていた方がいい事ある?』っていうのと『アウルブックへの投稿のテーマもある?』って立て続けに尋ねました。

 その後、ふと目が『易経』の本に向いたんです。

 私は、もともとビジョンで受け取るというのが少なかった方ですが、最近すっごく増えているんですね。

 それと同時に、この肉体の目も自動的に必要な方向へ向いていくのを度々体験しています。まるで目自体が意識を持っていて『こっちだよ』って指していくんです。

 五感の向上が六感や七感を向上させますね…

 それはさておき、

 それが『易経』の本だったんです。

 えーー!それ?って正直思ったんですけど、

 まあ、やってみるか!

 です。

 はて、どうしようか…🤔

 と思いついたのが、そこも身体の手に任せたのです。結果的にいわゆるビブリオマンシーってもの。

 で、64掛あるところの出たところが25番でした。私はそのページ自体がメッセージと感じたので、そのままページ事受け取りました。

 天雷无妄

 様々な解釈はあると思いますが、私の場合には

 不安な時こそ天に任せておく

 いわゆるよく聞く宇宙に委ねるという表現ですね。不安な時ほど、こうした方がいいかなとか動き回ったりして余計な事をして事を大きくしてしまう事ありませんか?

 ちょうど昨日、ちょっとした事で、不安に駆られる事があった直後でしたから、なるほどなあ〜と納得してしまいました😅

 というか…方向性のドリームワークでも同じ答えを受け取ってるんですけどね…💧ははは…

 ✴︎✴︎✴︎

 上記の体験は一例ですが、

 手段はビブリオマンシーだろうとタロットやホロスコープでもいいですが、自分の中の智慧がなんと伝えているのか?に着目することがすっごく重要だと私は思っています。

 そこがホロスコープを指し示したなら、ホロスコープに、タロットならタロットに、自分に今必要な答えやヒントはそこにあるって事だと思います。

 私は、占星術は好きですが、占星術やタロットそのものはそれ程重要ではないと思っています。

 ✴︎おしまいに✴︎

 現象だろうと、タロットやホロスコープだろうと、自分がそこに意味を与えたら、意味が発生するというのを知識ではなく、はっきりとそしてより深く体感する事が起きました。

 それは、まさに海王星が牡羊座に入った一昨日に起きたんですね。

 それこそ自分ではまだ認識できない何かが、エネルギーレベル(見えない領域)で起きたんだと思っていますから少しずつ現象として出てくるのではないかと思っています。

 そんな中で、この身体とのコミニケーションにおいて、たっくさん答えを持ってる事も今朝だけで、てんこ盛りな事を体験しました。

 私はアウルブックでは自分の体験を中心に書いていますが、

 投稿の継続を通して、自分が体験してる事というのは、私という個人の為ではなく、他者に伝える為のものでもあると思うようになってきたからです。

 それは誰も同じです。

 もちろんワクワクするような体験を伝えたい思いはありますが、ちょっと隠しておきたいなという体験を投稿する事も重要だと思っています。

 私自身は、この『委ねる』というのも数年前からの課題的なものでありますが、ダサい体験(全てを言う必要はないですが)は公開の勇気が必要です。

 これが重要で、

 自分のプライドを捨てる事にも繋がり、また他者へ勇気を与えるものでもあります。

 アウルブックは、それができる場ですから可能な限り、必要に応じて投稿はしていこーかなと思っています。  

セルフリセットループを終わらせた。

やたら「決める」という言葉を聞くようになったり。

アウルブック内でもアンダーテール(ゲーム)ネタを見かけるようになったり。

なんだろう?と思っていたけど。


前回の記事(過去の決意を終わらせた。)がきっかけで突然、ひらめいた。

私の「ケツイ」がループを生じさせていた説。


銀色で透明な決意。

私の場合、寝起きは自分の内面とつながりやすい時間。

目を閉じたままぼーっとしていると、「銀色の金属片のような小さなもの」を見つけた。

その銀色のかけらに意識を向けてみると……。


私は絶対に幸せにならない。


うそでしょ……って思った。

なんの曇りも迷いもなく、まっすぐで透明で、すごくクリアな決意。

なんでも弾き返すバリア的なものがあるように私は感じた。


アンダーテールで言うところの「フラウィ」みたいなのがいたんだよね。

あえて擬人化するなら見た目は「キャラ(アンダーテールの世界ではじめて地下に落ちてきた人間)」みたいな感じ。


この決意のことを一時的に「銀色」と名付けた。


「銀色」と話す。

「銀い色」と一緒に泣いた。

何十年間も「銀色」は私を守ってくれていたとわかったから。


「銀色」が守っていたのはネガティブな感情。

「幸せにならない」と決めてたおかげで、私は忘れないでいられた。


この決意がなかったら、私は人間として大切な半分を失ったまま、今も生きていたかも……。

「悲しいってなーに?😀」とか平気で言っちゃうような、ちょっと危ない人になってた可能性がある。


以前の私はネガティブを感じない人間になろうとしてたから。

それで生まれた「副作用みたいな決意」なんだと思う。


幸せが続きそうになったら破壊する。

ループが生じるのは、たぶん怖いから。

方向性としては2つ。


自分の存在(ネガティブな感情)を消されるのが怖い。

幸せであり続けるのが怖い。


順調に幸せばっかり感じてるみたいだから、これ以上は幸せにならないでおこうね☺️(無意識リセット開始。イマイチな状態が続く……


っていう地獄みたいなループ。


それだもん、ひぐらしの梨花(りか)ちゃんみたいな女の子が私の内面世界にいるわけだよ……。

まちがいなく100回はループしてるはず。


「100%成功すると決まってないなら動きたくない」

「同じループはもう繰り返したくない」

と言いたくなるのもわかる。


(詳細は「見えない世界の話。」を参照。

梨花ちゃんみたいな女の子がきっかけで「糸」や「月の人」を見つけて今があると思うと。

過去の決意を終わらせた。」もだけど、トゥルーエンドへ向かってる感めっちゃある)


もう、終わりにしよう。

今の私はネガティブな感情をなくそうとするのをやめてる。

ちゃんと味わう、感じると決めてる。


だからもう、君が必死なって守る必要はなくなったんだよ、と。

「銀色」に伝えてあげた。


うれしいような、さびしいような、なんともいえない泣き顔をしてたけど。

「銀色」は、わかってくれたみたいだった。


私は幸せになっていい。

願望実現系のやつで「決めるからそうなるんだよ」って話はよく聞くけども。

やってもうまくいかなかったのは自分のせいだったみたい。


「幸せにならない」って意識の深い部分で決めてるから、幸せに直結するものは自動で無効化。

(そうなるのは「ネガティブ感情を守る」という自分の優しさが発動した結果)


そんなことしてるなんて普通、気づかないって😂

見えない世界からのヒントがなかったら、ずっとわからなかったと思う。


ふーんって無意識にスルーしてたものの多さにも気づけたから。

動画とか見返したいやつが大量にあります。


芋づる式にほかの決意も……。

うまくいってないときほど、うまくい方法を探し回っていた過去の私。


それすらも自分の決意の表れだと今はわかる。


今の私では何の価値も与えられないから、勉強しなくてはいけない。


みたいなやつ。


そんなことないからー!😂って、過去の私に言ってあげたい。


自分の人生がそうだったように。

そのときの自分にできることを精一杯やったらいいだけ。


背伸びしなくていい。

ムリしなくていい。


今のあなたでもできることはあるよ!


そんな感じの声が私の心の中で響いてます。

ようこそ、新しい海王星の時代🌊

こんばんは、うしです。


ついに海王星が牡羊座へ移動しましたね~🥳

改めて、165年に1度のこのタイミングを生きていて、その上”165年に1度のタイミングを生きていることを知っている”というのは凄いことだなあと思いながらこの文章を書いています。


2ndイングレスは本日2026年1月27日午前2時34分、4室でASCは射手座。前回の1stイングレスは2025年3月30日、5室でASCは蠍座でした。

この1stイングレスである2025年3月30日~10月22日(7月5日~10月22日は牡羊座での逆行期間)が海王星牡羊座時代のエピソード0であり前奏だったわけですが、その期間中に訪れた大きな節目である夏至当日に、まさに前奏曲が流れているような体験をしていました。

2025年の夏至のテーマは『変わりゆく時代をつなぐ分岐点』。ASCが乙女座のラスト(29°)、MCが双子座のラスト(29°)で、乙女座は12室とASCのダブルハウス、太陽がイングレスした蟹座は10室のインターセプトというのが印象的な夏至図でした。12室から1室へのダブルハウスは今世この地球に生まれる前にやり残したことを抱えながら地球に生まれてきたような感じで、インターセプトしている10室に太陽が入るというのは蟹座的な社会的自立、つまり女性の社会進出だったり、男女ともにある”女性性”を発揮した社会での在り方というところに時間が掛かる、遅咲き、注目されづらい、みたいな感じでしょうか。この日、「やっぱり私はこの人(達)とやり残したことがあってそれをやりに来たからこそ今日ここに呼ばれたんだな」と思うことがあったし、昨日の記事にも書いたように、今の仕事に対して「もう違うんだな」と思ったのが2023年だったのだけど、次に行くべき場所が見えているようで見えていないもやもやとした感覚が今以上に強かったなあと思います。

高市氏が内閣総理大臣になられたのが2025年10月21日の天秤座新月(天秤座は4室のインターセプト)というのもかなり興味深いですが、海王星が逆行中で牡羊座から魚座へ移動する前日であったというところも面白いなあと思ったりしていて。しかしそう思ったら、突然内観を深めるターンがやって来て「将来的にはこういうのをやりたいんだよな」っていう明確なビジョンが見えてきたのも、その流れで「内観パートナー」というワードが届いたのも10月で、逆行中ではありながらも牡羊座に居た時だったなあなんてことを思い出しました。昨年は木星が蟹座へ移動することもあって年始から「2025年は小惑星リリスを開く(自分の根源的な、統合されたエネルギー感覚を思い出す)」というところに意図を置いていたので、木星からの恩恵がここでやってきたのかと思っていたのだけど、それだけの影響ではなかったのかも。将来的にはひっそりと佇む隠れ家の主として美味しいお茶とお菓子を用意して、その扉をノックしてくれた人と他愛もない話をしたり内観を深めたり占いをしたりただただ静かに編み物をしたり、そんな蟹座的な、4室的な存在に還っていきたいなあと思っています。いつか私もトリエルさんみたいにバタースコッチシナモンパイを振る舞いたい。作ったことないけど。

今回、海王星が巡って来た牡羊座は、私のネイタルチャートでは深い関係隠されたものを表す8室を担当、ソーラーハウスシステムでは精神世界見えない世界を表す12室。6月30日に獅子座へ移動する木星も、ネイタルチャート上では12室を担当、ソーラーハウスシステムでは家庭心の拠り所を表す4室へ入ります。

牡羊座8室には小惑星スピリットとパート・オブ・スピリットのダブルスピリットがあるので、そこへスピリチュアルな海王星が入って来るというのも中々興味深いなあと思ったり、イングレスチャートでは4室でのイングレスなので日本全体的に自分の居場所というところへの影響が強いのかなあとは思っているのですが、ASCが射手座で、ネイタルでは射手座はIC(4室)を担当しており、それに加えて、ネイタル海王星は山羊座18°。天王星(17°)とコンジャンクションしており、こちらも4室(5°前ルール採用で5室。カスプは19°)。山羊座は牡羊座と同じ活動宮ということもあるし、なんてったって牡羊座の火星期が始まるので、今回の海王星の移動は個人的に物凄く大きな影響があるのではないかなあと踏んでおります。何を見て、何を感じていくのか、この場所で何を共有することができるのかとても楽しみです😌


今回は、これまでと少し趣向を変えて、この海王星牡羊座イングレスについて、私個人に関してはどんな始まりとなっていくのかタロットに聞いてみたので共有してみます。私個人について聞いたことではあるけれど、私と繋がってくださる方にとっても何かしらメッセージになるのかもしれないし、カードを見て直感で感じたものがある方はそれもそれとして受け取りたい方は受け取っていただけたらと思います💌

💐\どどん!/ と出てきてくれたのは大アルカナの0番、the FOOL。美しい蝶の羽を羽ばたかせ、未知の冒険に旅立つカード。蝶は変化変容の象徴、アイリスの花言葉は良い便りメッセージ希望。対応しているエレメントは風(近年では天王星を当てはめている解釈もあって、私も風星座の守護星の中では一番合っているなあと思うので一つの解釈として採用しています)。

💐バックカードはKnight of Swords。未知の世界を探求するために冒険心を燃やしている双子のカード。対応しているサインは双子座。私の中では魂の双子カード。(描かれている花は菜の花っぽいけれど葉っぱの特徴が菜の花のそれではなくミモザ系の葉っぱなので、もしもそんな花をご存じの方がいらっしゃったら何という花なのか教えを請いたい🥺)(ちなみに菜の花の花言葉は小さな幸せ将来の希望初恋純粋な愛希望新しい始まり協力団結繁栄

💐「もう一声!」ってことで補足として出てきてくれたのは9 of Cups。願望成就のカード。葡萄の花言葉は思いやり信頼陶酔好意。対応しているサイン×天体は融合統合霊的な繋がりスピリチュアル根源への回帰×発展と拡大の魚座の木星(居住の座)。

これから始まる未知の世界は願望成就の世界。今持っている願望がどんなルートで叶うのか、仕事に関しても恋愛に関してもな~~~~~~~んにも分かっていないけれど、ぜ~~~~~~~~んぶ大丈夫だよ、ちゃんとここから始まっていくよって言ってくれているような、そんなメッセージでした😌

私は所謂”基本的なよくある絵柄のタロットカード”というものを持っておらず、持っているのがこのBeautiful Creatures TarotとNicoletta Ceccoli Tarotというかなり癖強な布陣なので、本来のタロットの意味も汲みながら、今回は敢えて解説書の言葉に注目してみたり花言葉に注目してみたけれど、基本的には絵柄から直感で感じることを受け取るスタイルを取っています。

the FOOLとKnight of Swordsというところで天王星が双子座へ移動する4月26日頃にも注目しておきたいなと思っているし、2ndイングレスのチャートも中々に興味深いのでまた改めて記事にしたいなと思っています~!

タロットいじってたら「貘(ばく)」が出てきた件。前説02

「前説」という言葉には、以下の意味があるそうですね。

GoogleAIによる概要

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前説(まえせつ)とは、ライブやテレビ収録の本番前に、観客への諸注意やマナー説明、会場を盛り上げるためのトーク、簡単なネタ披露などを行うことです。主に若手芸人やADなどのスタッフが担当し、出演者の登場前に観客のテンションを上げ、本番への期待感を高める役割を持ち、芸人にとっては平場のトーク力や対応力を鍛える重要な場でもあります。

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単なる前置き的な説明の機会…という程度にしか思っていませんでした(汗)前説って言葉には、こんな実際的な意味があったんですね。

こんな面白くない内容、前説ナメんなとか思われそうですね…(汗)

知らなかったとはいえ、言葉を使ってしまったからには、面白くなるよう頑張ってみましょう。自信ないですけれど。

(前説じゃなくて、考察とか導入とかいった言葉だったら、よかったのかな?…でも、ソレもなんかしっくりこないんですよね。難しいものです)

ともあれ何事か制約の無い世界なので、自由にやってみようと思います。


改めまして、

昔から、タロットをテーマに考えていることがあり…その考えをまとめて、本を書きたいと思うようになりました。

(ちゃんと売れるものにしたいという願望があります。)


西洋から日本に輸入されてきたタロットは大変、魅力的で…本当に多くの方々を魅了してやまないものと思います。


占いのツールとしてばかりではなく、これまでタロットに見いだされてきた人や物事へのナラティブとしての作用や展開…

自分の考えていることは、タロットに込められているという0から21の旅路物語に、ちょっとならず違う視点をもたらすものとなりそうです。


その視点から見つめるタロットは、読み手によっては、たとえば

古く神秘学に謂われてきた『セフィロトの樹』をなぞらえたり

聖書を紐解けば、マタイの書にある『十人の乙女のたとえ』というくだりをなぞらえることもできそうで

段組みを眺めると、お能で聞いた『神男女狂鬼』として捉える事も出来たりと

今、思いつくのはコレくらいですが、特に10(人類らしく、手とか足の指の数)で、まとめられた話は様々、取り込んで考える事が出来そうです。


なので私は仮に、“貘(ばく)”と呼んでいます。

悪夢を食べてくれるという幻獣ですね。


ただしマイナスの扱い方もある気もします…

占いのツール・タロットを扱うからには、やはり読み手の心根・心がけ次第ということで。


この“貘”とは、どう付き合ったらよいのでしょう?

占いをしているときは大概の場合、全く現れません。

けど、この“貘”の性質を知っていると、読み解きの参考になるかもしれませんし

逆に、あまりにも“貘”に傾倒してしまうと…柔軟な読み解きができず発想力が縛られてしまうかもしれません。

そこは読み手を信じてみようかなと。


さて、“貘”とは何のことを話しているのでしょう?

それは、前説が終わった頃にでも。

(いっそタロットそのものが、占いそのものが、本来的には“貘”の一種なんじゃないかって気付きでも、よいと思います。)


前説が必要な理由は…「概念」というものが話の骨になるので、まずは血の通う肉体や顔…表情・感情、動きなどが見えるものとしてイメージしやすくするためです。

いきなり骸骨を見せられると、怖くなったりしますよね?

概念の世界でも、同じことがあるように思うんです。(それで失敗したことが、あった気がするので…)


動物のバクのされこうべだけ見せられても、不気味だし意味がわからないですよね。素人にはバクともわからず単に動物の頭蓋骨だとしか思わないし、そんなものいったいなんなんだって話で。

現実の動物・バクを犬猫みたいに飼うことは難しいでしょう。でかい。というか調べると、どのバクも絶滅危惧種として個人が飼うことを禁じられてます。夜行性だし、悪夢を払う験担ぎにしても、よほどの数奇者でなければ飼う気にもならないかもしれません。


そんなリアルのバクではなく、心に見る“貘”なので…コレについてを、どう書き表したらよいのかわからないままですが、不定期で、アウルブックに書いていこうと思います。

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実際の動物で言うバクでは、私はマレーバクが好きです。

身体の模様は独特の白黒で、もしかするとパンダロストの方々には、より印象的かもしれません。(全くの別物ですが…)

仔バクの模様など、とても瓜坊(イノシシの仔)っぽくて、でも足の爪が大きくて、不思議な存在感があります。

身体つきは、毛足が短く意外とスラッとした印象で、もっちりした感じがあり…ガラス越しに目の前で泳いでいる姿を見たことがありますが、動きはとてもダイナミックです。

普通(?)の茶色いバク…アメリカバク、ベアードバク、ヤマバクなどですね。も、バクに共通する独特の愛嬌があって、かわいいと思います。

特にバクは、鼻と耳に愛嬌を感じます(笑)


日本には野生のバクが存在せず、中国からの仏教伝来とともに、邪気払いがあるとする貘の伝説や毛皮などがもたらされたとのこと。

貘は夢を喰う…という言い伝えは、日本で発展したものなのだそうです。

きっと漫画や小説・アニメなどにも見てきたように、日本国は物語の分野でも伝統を重んじながらも施される魔改造大国たる片鱗を感じます(笑)

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タロットを、詩的解釈や修辞学的な捉え方をする試みとして、様々なスプレッド方法は楽しめるかもしれません。

もしかすると、様々なスプレッドの読み解きは、時の運で並ぶ絵札に占われる人にも、その詩的解釈や修辞学的な知的作用というものを刺激することで、行き詰まっている日常や関心事に対し、新たな視点や新鮮味をもたらすのかも知れません。

つまりスプレッド法の多様性は、そのまま展開される心の旅路の多様性といったところでしょうか。


動画占い師さんのオリジナルスプレッドの見事さたるや、各々方の心の旅路の豊かさ・言わば添乗員としての行き届いている様子など、さすがだなぁと思って視聴したりしますが

旅物語を辿ることで、占われる側は新たな発見や気分転換があると思います。


ナラティブとして、タロットを捉える。

としたら、タロットの持つ占いとしての神秘は、どこへ行くのでしょう?

占術ツールを触媒として、そのままセッションする占い手と占われる側の双方に、人間そのものから神秘は醸されるのではなかったかな、と。

それも一つの命の輝きだと思います。

人は、自分なりの命の輝きを求めているところもあり、占いもまたソレを人にもたらしたり指し示したりする営みだったかもしれません。


タロットそのものに感じる神秘の正体は、なんなのでしょう?

もとい、なぜ人はタロットを扱って神秘を発揮してきたのか?(シェルレェル…超現実主義での営みも、その一つだったかなと)(コバトンボは衒学者…にも満たないヘタレなので、詳しく知りたい人はイロイロ調べてみてください。『魔術的芸術』とか、アンドレ・ブルトンとか、その辺だったと思います。)

昔から、人々の手に手に渡り、道具として使われる用途に応じて姿を変え品を変えて、それなりの遍歴・歴史を持っているから…人間は各々が持ち合わせる・人となりの神秘で応えてきたのでしょうか。

始まりの頃、画家たちに見出された絵柄、数・札の意味内容なども、どうしてこうなった?という謎…長年をかけて手に手に渡らい、人々の醸してきた文化的営為そのものも、本当にミスティックです。


もはや人間、というだけで神秘なんでしょう。

神秘そのものであり、神秘を担うもの。

(けど、たぶん人間が神秘の領域たり得るには機微に満ちているからこそと思い込んでいるためか野暮はいけないと畏れている。平拍子が常の環境で裏拍を取り逃しがちなのを悔しく思う。みたいなこと?とか。関係ないと思うんですけれども、この世に生まれてきたこと・生きているだけで十分、神秘なのですから。)

もうちっと視野を広げると、生き物という神秘的な現象が、広い広い宇宙のなかで、今のところ地球上(と、地球由来のもの)でしか人類は知り得ていません。

宇宙探査には、何があるのかということそのもの、純粋な興味・知的本能…いずれ実用性や資源としての関心のほかに、生命の痕跡を探る・生命の可能性を探す、というものがあります。

宇宙探査の科学者たちが求めてやまないように、生命現象そのものが宇宙では神秘です。


そもそも宇宙そのものからして神秘です。

その宇宙という神秘のなかに、生命現象の一部として生きている私たち人類もまた、れっきとした神秘の一部だろう…という気付きを辿れます。


じゃあなぜ心臓は奇跡を識ったときめきにビートを奏でず平たい日常を襲う諸問題に心疲れて生きている…みたいなことになってる人々が、行き詰まりに悩む人々が、現実では尽きないのでしょう?

自他の醸す奇跡に慣れっことなり、神秘の只中たるはずの日常に想像力なく生きていれば、ワクワクする気持ちも忘れてしまいます。いずれ悩みに囚われてしまうかもしれません。

想像力を疚しく喰われた悪夢を常とし、いっそ悪事に荷担して生きているならば、絵空事の貘を知ったとて、あまり意味はないのでしょう。


…違うなぁ。

こういうことを書きたいわけじゃない。

話はどこでしたっけ?

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あ。そういえば、たぶん

大事なことを考察していません。


「ナラティブ」って、なぁに?(爆)


コレ、なんにも調べないで流してたらダメな気がしました。


端的に「物語」と訳されますが…ではストーリーとナラティブの違いは、なんでしょう?

人生で各々が経験してきた物語は、同じ国や地域に生まれても、同じ学校や家庭にあっても、違ってきます。

「体験してきた物語」を、ナラティブって言うらしいです。

ゲーム用語としてのナラティブから、私は言葉を知りました。

ゲームでのナラティブに関する研究は、とても進んでいるようです。

参考サイト:

「ペルソナ」「キャサリン」「メタファー」に実は共通点? 橋野 桂氏×副島成記氏が語る,記憶の設計論とは[G-STAR 2025]

https://share.google/v3eajGpWLjG3jnlYt

[CEDEC 2013]海外で盛り上がる「ナラティブ」とは何だ? 明確に定義されてこなかった“ナラティブなゲーム”の正体を探るセッションをレポート

https://share.google/6d5NMwsziCGmPEUt7


タロットをモチーフにしたRPGゲームといえば『ペルソナ』シリーズが有名なようです。初期作をプレイしてきましたが、もうシリーズとして世界を跨いでいるんですね。(ちなみに私は4が好きです。)

かつて発祥の頃はカードゲームだった占いツールとして知られるタロットは、現代になってコンピューターの中で“先祖返り”して、またゲームになっちゃった!?…みたいですね(笑)

そういう視点で見ると、また面白い・興味深いところです。


スミマセンうろ覚えや読みかじり(理解に確信がないまま)でラフに説明しているので、本来的な意味でのナラティブとは厳密にはかなり違ってきてしまうと思うのですが…

たとえばRPGゲームがあるとします。

たくさんの人が、そのゲームをプレイします。

そのプレイヤー各々についてですが

たくさん予備知識を仕入れてからプレイする人と

全くの予備知識なしでプレイする人とでは

なんだかプレイ内容…体験していく物語に違いが出るもんなんだと思います。


そーゆーのの各々を、ざっくりナラティブと。

ナラティブ・フィールドを展開するゲーム製作者たちは、ユーザーに向けて三者三様・十人十色・千差万別で皆、思い想いに楽しんでくれと。


そーしますと

操作方法や、たとえば剣と魔法の世界観についてなど、そこから?という基本的な知識と経験の有無は、ゲーム世界にスンナリ馴染めるかどうか、という違いも出てきます。

(逆に、プレイすることで基本的な知識や世界観を楽しく覚えさせたり、操作方法もスンナリ身につけさせるゲームは、素晴らしいゲームだなって思います。)

タロットで言えば、たとえば

0番のカード名称は愚者で、その意味内容は云々…1番は魔術師で云々…2番は…

と、この0番から21番までの名前から意味内容を知っているかどうか、が基本的な知識にあたるのでしょう。

(剣と魔法の世界では、ドワーフがいたりエルフがいたり…各々がどんな種族でどんな生活をしているのか。戦闘ユニットとして考えると、どんな特性があるのか?…といったような)

ただしゲームに関しては、プレイする本人が楽しく遊べるのかどうか…という部分が重要なので、その為には、ありったけ予備知識が必要な人もいれば、予備知識ゼロどころか取説すら読まないでゲームスタートする方が楽しい、という人もいるでしょう。

占いをする時も、占いができるかどうかという事と、絵札や卦の意味内容の理解度は、あまり関係がない…という事と、たぶん共通します。(※ちゃんと読み解きたいなら、よっぽど天才肌じゃない限り、参考になる読本は要ると思います。)


そこでタロットに見つけた“貘”のことですが

つまり、これはゲームでは無いのですが…占いでも無いんです。

なんというか、読み物なんですね。

読み手によって読み解き方・プレイ内容が変化するナラティブ・フィールドそのもの、みたいなもの?なので

ちょっと予備知識があった方が遊びやすい…もとい読みやすいのではないかなと。

それで、きっと前説が長くなるのですが

読み手によって、予備知識に興味の浅さ深さに違いが出るのも、その後の物語体験には違いが出るのだと思います。

(前説など必要ない人も、少なくはない気がしています。)

なお、今後もここで述べていく前説なる長話についての把握は、本当に、ざっくばらんで良いと思います。

その方が、細部にとらわれて矛盾が気になるといったことには陥らず、読む上での自由度は高いかも知れません。


ナラティブって結局なに?ちょっと何言ってるのかワカラナイ…という人には、どう言ったらよいのかな(汗)

タロットを、占い道具ではなく

物語を編んだ物として見てみると、人によって読み取るものが違ってくるよ、と。

いわゆる『千夜一夜』と言えるかわかりませんが…どう説明したらよいのかをどことなく考えあぐねていた日々は、少なくとも数年間くらい忘れながら十数年くらい経ってる感じです(汗)


どうしてタロットは物語が編めるのでしょう?

もしかすると、卜占(ぼくせん)ならではの特徴かもしれません。

なかでもタロットは、多彩なスプレッドを展開して多くの人々を魅了してきただけあって、浪漫タップリです。

タロットは、そもそもどんな物語(歴史と環境)によって編まれたのでしょうか?

0から21まで描かれている個人個人の辿るという数ある旅路は、いったいどんな物語を持ち合わせていたのでしょうか?

“貘”は、いたずらっぽく笑っています。

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私がタロットに見つけた“貘”は、たぶんプログラミング用語的に言うところの“エンジン”です。

占いツールに組み込まれてみて機能するタイプのものだとして…タロットは恐ろしく相性が良かっただけかもわかりません。

というか、タロットからしか、私には“そのようなもの”は見つけられませんでした。

(というか、他の占いツールをじっくり検証したわけではないので、本当のところはわかりません。)

エンジンというからには、タロットという窓を介して、人生というナラティブ(旅物語)を経る際に有効な推進力…に、なるはずです。

行き場のないエネルギーには適切なリズムとパイプラインを与え、夢や目的に対して、より有効な活動が保てるよう…に、なったらいいな(笑)


“貘”で何をしたいのかというと、私は『パロ』みたいなものを目指したいと考えています。

メンタルコミットロボット「PARO-パロ-」 | NDソフトウェア https://share.google/neevW55RhIZyo6PJA


イーロン・マスクが、日本のロボット産業を評価した時、技術は(効率の鬼に支配させるのではなく・支配のために技術を扱うのではなく)人々の笑顔や幸せのためにある。といった主旨のことを話したそうです。

その違いがわからないなら、価値あるものはつくれない、と。

(ショート動画の拾い読みなので、実際の言葉とは、ちょっと違うかもしれませんが…)


「何を目的としてつくるのか?」が重要なのかなと。

パーパスを問う。とでも言うのでしょうか。

…パンパースじゃありませんよ(爆)

パーパスとは、たぶん志(こころざし)とか目的とかいった意味だったと思います。

ナラティブ(物語)は、あるペルソナ(人格)によるパーパス(志、目的)の容れ物あるいはジム(鍛錬の場、道場)、でもあるんだと思います。

(ナラティブには、居場所に近い心理的な作用があるかもしれません。人格の揺らぎ・目的設定の甘さといった要因次第では、程度も様々な依存に陥る可能性を考えるので、注意点だと思います。)


『パロ』は、接した人を笑顔にするロボットです。

でも、私の見つけた“貘”は、愛嬌はありますが、『パロ』のように、可愛いねぇ〜ってナデナデできる感じではありません(汗)


見た目や感触の問題でカバーできるにしても、中身に向いている容れ物になるものだとすると…

解像度高めのガチリアルな容姿をしたロボットが、どうやったら人間を笑顔にできるでしょうか?(汗)

『鉄腕アトム』みたいに、人々と笑顔で交流しながら、彼にしかできない仕事をする。

ロボットとの会話や交流で、かけあい漫才やコントみたいなことにもなる(爆)

もしかしたら“貘”は、そこまで応用ができる発見かも知れません。盛り過ぎですけれども。

私たちは、ひょっとしたら“貘”を搭載したロボットを相手に人間と変わらない交流をしながら、人間として大事なことも必要に応じて教えてもらったりできる・間違ったことをしたら適切にツッコまれて諭してもらえる…なんて未来が、あるかもしれません。

“貘”なんて関係なく、まずは手元の端末を介したAIで人間との交流を重ねて、その内にそうなっていく…んでしょうね。(人類は様々なプログラミング・エンジンなりインターフェイスなりデバイスなりなんなりを目的に応じて考案して開発して…すでにやってきていることと思います。ただロボット開発をする目的によって、その優先順位には高い低いがあると思います。)


そんなわけで、ここではタロットをかたどった木札をパタパタ繰り出して人間と交流を図るカラクリ人形みたいなイメージで、“貘”の仕組みについて考えながら肉付けをしていこうと思います。

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昔、いわゆる手塚治虫の黒本(黒いカバーをしたシリーズの漫画単行本)で『鉄腕アトム』の表紙に、アトムの顔の中身を描いたものがありました。

アトムはロボットだから、あの顔は“殻(仮面)”なんだな・漫画やアニメでも研究所でのアトムの様子を見てきたように、中身は機械なんだな…って、子供なりに端的にわかりました。

人間も、トルソーなどで見ても筋肉だけの顔になると、まぁあんな感じの印象を受けると思います…たぶん一般的には不気味です。

でも、子供の頃から手塚治虫の『ブラック・ジャック』とか読んでたので、私は(もちろん、絵的な表現での)中身を見ることには慣れっこだったみたいです。不意に中身を見ても、あぁそういうものなんだなって、(人間の骨格や表情筋がどうなっているのか?といった)事実や(空想科学上だけどもロボットなるものの)実際的なものとして受け入れることができていたと思います。

あの頃、誰でも深いことは考えず、そんな感じだったように振り返ります。今の時代でも同じようなんだと考えます。

生体でも機械でも、脈絡なく中身が見えている状態は、たぶん非日常性とか異常性を覚えます。人によって、このことの感じ方の差は大きいと思います。

概念を伝える上で語られる概論や概要も、もしかしたら老若男女や立場を問わず、むき出しの筋肉や骸骨のような印象をもってソレを気持ち悪く思い、受け止めがたく感じる人も、あるのかもしれません。

(また、あまりにも単純化された概念に生きることは、暮らしをシンプルにする反面、同じ概念を共有できない人々とは、人間らしい交情を紡ぐに足りないものも出てくるかもしれません。)


かつて西洋で魔女が気味悪がられたのは、キリスト教とその教会が取り仕切る社会では、本質の扱い方が異質・非日常だったから…かもしれません。

そうしたこととは関係なく、西洋の精緻な静物画には、果物の他に、時には髑髏や狩猟の獲物が描かれたりしていますので、ちょっと驚いたりします。

タロットは、ちょっとそんな古典的な雰囲気が、絵札の象徴には、あったかもしれません。


まずは“貘”としても、いずれは可愛いねぇと言ってもらえる・愛される方向で、なんか面白い・興味深い話になればな、と思いながら下手っぴな前説を綴っています。

海王星から受けとるもの

海王星が牡羊座入りしました。

165年の新しいサイクルのスタートです。

魚座のワンネスの状態から新しい命が生まれ、その命が12サインを一周してワンネスへと返っていくサイクルで、まさに生まれた瞬間が牡羊座の初期度数です。

新しい命が宿った海王星がもたらすものは新たな直感やビジョンかもしれません。

集合的無意識、魂意識が真新しくなったのだとすれば、これまでとは全く異なる直感や延長線上にはない何かが表れてもおかしくない。

去年3月からの牡羊座プレ期以降、新たなヴィジョンや理想を持って実現化していくという時代(占星術界隈)の流れが生まれていましたが、行動することがフォーカスされがちだった印象です。私も動いていかなきゃってなっていました。

けれどここに来て動きたい欲が湧いてこなくなっていて、その具現化しようとしているものは海王星のヴィジョン?と疑問を持つようになってきました。

「何を行動するか」の、『何』の部分が予想していなかった、想いもしていなかったことになっていくかもしれないぞ!

っと、今日そんな予感がしました。


夢や理想が思いもよらなかった方向へむかうかもしれないし、ピンときたもの、浮かんでくるもの、湧いてくるものがこれまでとちょっと質が違うものを受けとるかもしれません。

土星が牡羊座入りする2月14日までは海王星の生まれたばかりの純粋なエネルギーが降り注ぎます。

頭で考えず、やってくるものを素直にそのままを受けとってみる期間として過ごしてみるとよさそうです⭐️

その受けとったものを土星とのチームプレイで実現させていきましょう~😊✨

今のしんどさが“長引く人・抜ける人”の差

このしんどさ、いつまで続くんだろう。

毎日少しずつ耐えてるつもりなのに、

朝起きると、昨日と同じ重さが胸に残っている。

「もう少し頑張れば抜けるはず」

そう思いながら、

その「もう少し」が延々と続いて、

気づけば疲れが慢性化していく。

周りを見ると、

同じような状況から

スッと抜け出せた人もいるのに、

自分はなぜか抜け出せない。

「この状態、いつまで?」

そんな問いが、

静かに心に浮かぶ日。

それは、

土星の使い方が違うからだ。

土星は、時間と構造の星。

耐え抜く力、責任、制限を与える。

しんどさを「耐える」プロセスを

支えてくれる星だけれど、

土星は

「永遠に耐えろ」とは言わない。

土星が求めるのは、

「いつまで耐えるか」という明確な期限

期限がない耐え方は、

土星の力を「消耗」としてしか使えず、

しんどさを

無限ループに変えてしまう。

一方で、期限を決めた人は、

土星に「ここまでだ」と線を引かせ、

その先で、再生の扉を開く。

土星は断言する。

「期限のない耐えは、君を壊すだけだ。」

今のしんどさが

長引く人と、抜ける人の差はこれ。

期限を決めているかどうか。

抜ける人は「耐える時間」を決め、

長引く人は「いつか」を信じ続ける。

期限がないと、

土星は「まだ耐えろ」と

制限を課し続ける。

期限を決めると、

土星は「ここまでだ」と

静かに制限を解除し、

次のフェーズへ導く。

もし、

「いつまで?」という霧の中にいるなら、

今日はこんな風に、

終了日を決めてみるのはどうだろう。

カレンダーやノートに、

「このしんどさの終了日」を

ひとつ書く。

今日から1週間後、2週間後、

あるいは

「次の新月まで」でもいい。

自分が納得できる日を選び、

「この日まで耐えて、そこで終わり」と

静かに宣言する。

その終了日までに、

「耐える」以外の小さな行動を

ひとつだけ決める。

(誰かに話す、散歩する、日記を書くなど)

期限があると、

行動は

「無意味な消耗」から

「意味のある移行」に変わる。

終了日が来たら、

「今日はここまで」と

自分に断言する。

しんどさが

完全に消えなくてもいい。

「耐えるモード」を、

そこで終わらせる。

すると土星は、

新しい構造を

静かに作り始める。

これは、

しんどさを無理に終わらせる方法ではない。

ただ、

土星に

「いつまで耐えるか」を

はっきり伝える練習。

今のしんどさが

長引いていると感じる日は、

もしかしたら、

自分の土星に、

「期限を決めろ。

それで君は抜けられる」

と、

耳打ちされている

瞬間なのかもしれない。

終了日を決めた瞬間、

しんどさはまだ残っていても、

それはもう

「無限」ではなくなる。

そこから、

抜ける道が、

静かに、

でも確かに、

開き始める。

自分にあった仕事

みなさんは、自分にあった仕事ができていると感じますか?


多くの人が

・自分に合う仕事はなんだろう?

・自分が楽しくできる仕事はなんだろう?

・自分は何がしたいんだろう?

と、考えたことがあるのではないでしょうか。


もちろん、わたしも長年悩み続けています。

中高生の頃から考えつづけて、いまでもこの答えは出ていません。


ただ、最近になって、こうやって探していることは

「外に何かを求めているから」かもしれないと気づきました。


・自分には何かが足りていないから幸せになれないんだ

・自分にあった仕事なら自分らしくいられるはず

・自分が好きな仕事に出会えたら幸せになれるんだ


こんな思い込みがあったように思います。


自分では、ただ自分にあった仕事を探しているだけ、に感じるけど

環境のせい、まだ出会っていないせい、と

現実から目を逸らしていたように思います。


でも、「じゃあ、今の仕事でできることをがんばろう!」ってならないのは

何かをあきらめきれない自分がいるから。


だから、自分があきらめられないもの

そこを見つめていってみました。


そうすると、中高生のころから興味のある仕事があったことを思い出し、

それは今も気持ちが変わっていないことにも気づきました。


だから、今やりたいなぁって、ぼんやりと思っていることは

軽い気持ちからきているのではなく、

自分の深いところと繋がっているものでもあると思うのです。


と、ここまでは普通の深掘りという感じだけど

その「やりたいこと」を、もっと感じてみると

今の自分には力が足りない、やりたいけど自分を保てなくなるかもしれない

と、怖さもちゃんとありました。


でも、怖いってことや「自分には力が足りない」と感じられることは

自己否定じゃなくて、それだけその仕事を真剣に捉えている

ということでもあると思うんです。


実際に、力が足りない状態で踏み出したら、自分がおぼれてしまうかもしれない。

真剣に捉えているからこそ、中途半端に踏み出せない。


その、足りないと感じる「力」は

スキルとかじゃなくて、「在り方」のようなものかもしれません。


真剣だからこそ、心の安定を大切にして

ちゃんと成し遂げていきたい、という想いがあるんだと思います。


本当は、ここまで真剣にやりたいって思っていることを大事にしたいし

これ以外はないんだ!って気持ちもあるんだけど

ここで、一歩引いて考えてみました。


なぜ「仕事」にこだわっているのだろう?


趣味としてやったら?とか、

妥協案を考えることがあると思うけど、それでは納得できない自分。

しがみついているとさえ言えるくらい、諦めることに抵抗がある。


こんなに握ってしまうのはなぜだろう…?

ここをほどいてみるために、人生という尺度で見てみました。


これまでの人生、私は、常に自分探しをしてきて

ここ数年で「自分の人生」の感覚が戻ってきたところです。


家庭などの日常では自分を生きられている感覚になっている。

その中で、仕事だけが、自分を生きていないような

諦めの中でもがいているような感覚が残っている


そこに違和感を感じているのかも、と気づきました。

「自分の人生」

「自分の在り方」

その中で、少しだけズレている「仕事」


その仕事を自分の人生に組み込みたい=心から望む仕事をしたい

だから、やりたいことにしがみついてしまうのかもしれない、と

こんな構造が見えてきました。


これにすごく納得


だから、次はこれをすこし緩めていって、

どんな変化があるかなぁ…と見てみようと思います。

過去の決意を終わらせた。

「なるべく早く感情を抑え込まなくてはいけない」

「感情を飲み込むためには、なんとかして自分を納得させる必要がある」


そんな感じで自分で決めた瞬間がある。


感情が大暴れする理由がわかった。」に書いたような感じで早く解決しようとするのは……。


私が何十年も昔にした決意によるものだった。


なぜそんな決意をしたかと言えば。

母と「あたたかさ」や「思いやり」などでつながれる関係性を築きたかったから。


それならもっと他のやり方だってあっただろうけど。

当時の私にはそれが精いっぱいだったんだよね。


思春期の決意。

そんなことを考え始めたのは思春期の頃。

中学生から高校生あたり。


母の癇癪がひどくて、感情と感情でぶつかるとお互いに消耗戦になりがちだった。


父はどう対処してるかと言えば、母が何を言おうと黙って収まるのを待つタイプ。


「じゃあ、私も同じことをやればいいのでは?」と、気づいたのはいいけれども。


私が父と似たようなことをやろうと思ったとき。

あふれてくる感情をどうにかする必要があって。


思いついたのが記事冒頭に書いたことだった。


事実をうまく脚色して自分が納得できる形に変えて。

自分に「感情を抑えることは正しいことなんだよ」と暗に言い聞かせるやり方。


聖人になろうとするのをやめた。

思春期の決意は形を変えて、すごいことになってると気づいたのは数日前。


母のことでさえ仏のような心ですべてを優しく包み込むように受け止められるようになれれば。

その領域に到達できれば私は一生、何をされてもどんな目に合ってもつらいと感じることなく、幸せに生きられるのでは!?

と。


そんな考えを持ってたらしく。


だから私は、何をされても許せる人間になるために。

人格を磨かなくていけないし、精神性も高めなくてはいけない。


という自分の思い込みを終わりにした。


すでに限界を感じていたし、もともとは母と「あたたかさ」や「思いやり」などでつながれる関係性を築くために始めたこと。


そんな修行みたいなことをしなくたって、人とあたたかさや思いやりでつながる方法を今の私は知ってる。

だから、やめようと思った。


終わりにするのはすごく簡単で。


もう、自分以外の何かになろうとしなくていいよ。

自分に「あれしろ!」「これしろ!」って強制しなくていいよ。

他人のアドバイスだって、やる・やらないは自分で決めていいんだよ。


そう伝えただけ。


努力不要、所要時間ゼロで視点の切り替えが可能になった。

いままでなら「あたたかい感覚」とか「光の感覚」(高次の自分の視点)で物事を見たくても、すぐには見れなかったのに。


自分への強制をやめた途端、見えないメガネをかけるみたいな感じで、即切り替え可能になった。


時間をかけて思考を積み重ねて極まった先で到達するっていう過程が不要になった。


私の内側にある「光」に焦点を合わせるだけでいいなんて。


ここまでこれたのは「下準備」があったから。

視点の切り替えが可能になったのは「水色のエネルギーに触れたあとの話。」で書いたように。


自分のハイヤーセルフ的な存在とのつながりや世界観(私にとっての「まんなかの光」)をはっきりと認識していたおかげだと思う。


私の内面世界において「いつでも会える人」になったおかげ。

だから、「現実でも再現可能なものになった」っていうのはありそう。


意図して起こそうとしなくていい。

ものすごく自然な流れでいらなくなった思考を手放せてる気がします。


昔の私はエゴと気合で「変化しよう!」って頑張りすぎてたし、焦りすぎてました。


そんなことしなくたって、必要なタイミングで変わるときは来るっていうのに。


自分に対して課してるものがあるのなら。

一旦、やめるのはアリですね。

海王星のベル???

 いつも有難うございます。

 自分の目に見える世界が自分の延長ならば、今朝ちょっと面白い事が起きました。

 ✴︎なんかすごいぞ、現実に起きた海王星のベル?✴︎

 私は、本はフォトリーディングという方法を知ってからは、基本的にはこの方法で読んでいます。

 昨日、たまたまふらっと出会った本をフォトリーディングを済ませて、今朝最後のパートの活性化をしていました。

 (後から、この本が海王星の動くタイミングでの時限チャイムだったと知る…)

 この本がすごくって!

 エネルギーが動き回り、自分の中の鎖という鎖が弾けまくる!まくる!

 なんなんだーーー!海王星の牡羊座のスタートの日に!って思っていました。

 それと同じタイミングで、近所のどっかの家の防犯ベルが鳴り止まず、

 うるさいなあ💢って思っていましたが、全く止まる気配がない!

 本自体も、そうそう後ひとワードよ!って思って、終わるタイミングと共に消防車が来てフィニッシュ!

 なんだこのタイミングは!

 と朝から驚き〜!のことでありました…

 やっと終わったよ🍵はあ…

 しかもこ今朝は、この本の活性化と共にアウルブックのテーマを出すと意図したんですが、想像以上のことになりましたが、改めて

 人生ミラクルだわ!

 と改めて思いました。

 まだまだ衝撃の余韻が残っていいますので、今日はこのあたりで!

 海王星が新らしいスタートを切る時、自分の周囲で何が起きるのかを注視するのも面白いかもしれません!

 仮にネガティブな事が起きたとしても、変えられる自分がいます。

 出来事は過去でも、今という自分が出した感情の周波数を変えられるのが私達。

 そしてその今が未来を変えます。

 もし今の感情や感覚を転換できたらいいスタートがきれます!

 よい一日をお過ごし下さい!