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自己探求

最初の一歩が踏みだせないとき

なかなか最初の一歩が踏み出せないときは、こんな問いを自分に向けてみる。



『自分にとって、永遠に変わらない価値のあるものって何だろう?』

『自分にとって、かけがえのないものって何だろう?』

 

そのヒントは、

 すでに持っているものの中に、今、目の前にあるものの中に、そっと隠れているのかもしれない。



 クリエイティブに生きるって、実はそんなに難しいことじゃないのかもしれない。



 今あるものをそっと手に取り、小さくてもいいから何かを始めてみる。

 運命は決まっていない。
可能性の扉は、いつも開かれている。

 そして、動き出したその瞬間、目の前には無数の扉がひらきはじめる。

 クリエイティブに生きるって、開いた扉の前に立ち、自分で選びながら一歩づつ進んでいくこと。


※毎日一枚づつタロットカードを引き、生命の木の知恵を借りてメッセージを受け取っています。週1回、今週のメッセージとしてシェアしています。


私の太陽と金星のお話

太陽牡牛座と金星魚座はどちらも感覚を大切にする傾向がある。

太陽は人生の目的や、生きがい、自分らしさ、など現実的な要素を表す天体で、金星は心が引かれるポイントや魅力などを表す天体。


金星は自分の経験上特に「これ欲しい!」や「こうなれたらワクワクしてすっごく満たされるだろうな。」といった感覚として現れることが多かった。

しかし最終的な決定権を握っているのは太陽なので金星の欲求だけでは実行できない。

自分の場合、金星魚座が反応して「欲しい!」となった時は太陽牡牛座を納得させる必要があり、金星魚座は太陽牡牛座に対して欲しいものを毎回プレゼンをすることになる。

そのプレゼンの仕方がまた面白くて、まだ形になっていない獲得した後の未来の感覚を割と具体的なイメージ像と同時にまるで実際経験したことがあるかのような感覚を味わわせてくれるというもの。

そして、そのプレゼンを受けた牡牛座は、



・その未来は自分の感覚にしっくりくるだろうか?

・獲得したものは実際に役に立つのだろうか?

といった視点で毎回チェックをする。

それらの条件が合格ラインを満たせば、「よし、じゃあそれを現実化しよう!」と動いてくれるわけだ。


この流れだけを聞けばかなり現実的で素敵だなと感じるだろう。



ただし、一つ問題点がある。

それはストレスなどの影響で太陽の牡牛座が疲弊して現実的な視点で見る力が弱くなったときに起こる。

どういうことかというと、金星の「感覚的にこれ欲しい!」がプレゼンなしで通過してしまったり、あったとしてもかなりチェックの基準が緩くなってしまう。

魚座金星は恋に落ちやすい。

それはなにも恋愛的な意味だけではないようで、日常適任よくあることとしては「欲しくて買ったが自分の感覚がしっくりこなくて結局使わなかった」というもの。

結果「無駄遣いした」と買ったことを後悔したりすることになる。

おそらくだが、自分の場合金星がイメージ力や曖昧さを象徴する魚座なので、牡牛座が弱っていると魚座のプレゼンがあくまでイメージだという前提が抜け、「この感覚を得られるなら」とGOサインを出してしまうのではないだろうかと思っている。

これも100%悪いものではなくて、獲得した後は太陽が少し回復しているのかきちんと判断できるようには一応戻っていることがほとんど。

ただし、ものによっては少し痛手なこともある。

なので「疲れているかもしれないな」と思ったら金星の欲求の中でも手軽なモノを選ぶか、月星座の求めるもので回復を促す方が結果的にお得でダメージを最小に抑えられるのでおすすめ。

他の星座の人はどうなのかはわからないが、自分と同じサインの組み合わせの人はぜひ取り入れてみてほしい。

迷っている今は、間違いじゃない ~土星おひつじ座・新ステージの始まり

土星がおひつじ座に入ったね

新しい自分の始まりやねぇ😊✨

  

「これからどう生きていけばいいんだろう」

「正解が分からなくなった」 そんな感覚を抱くこともあると思う

迷ったり不安なのも当たり前 

それって、とても自然 

大きな節目となる新しいステージに 入ったところやもん


今日は

星の流れとともに 

これから約2年4ヶ月の間に とても大切になってくることについてのお話し


新ステージ開始!

今、地球全体が

新しいステージへと移行している 

そして、その中で生きている私たちも 

意識する・しないに関わらず 

新しいステージへ進む流れの中にいる


今回のステージのテーマは 

【自分なりの生き方】

・自分なりの生き方が、まだ分からない人は 

→ 模索していく

・なんとなく 「こうかも?」と感じている人は

→ それを選んでいく

・すでに見えてきている人は 

→ 実際にやっていく


どの段階にいても大丈夫

今のあなたに合った場所から 

始めればいいの😊


2028年4月まで

自分自身の確立・自律・自立 

そのための「土台づくり」の 

2年4ヶ月になっていく

振り返ってみれば

ここで、少し振り返ってみて 

コロナを境に 

私たちの暮らしや価値観は 

大きく変わった


あの時に起きていたのは 

古い習慣や価値観の崩壊

例えるなら、 一度すべてを壊して 

更地にしていたような状態


そして今

その「破壊のステージ」は終わり

更地になった場所に 

新しい自分を建てるための

土台をつくるステージ が始まった


それが 「新ステージ開始!」 という意味


かつてのように

「この人生ルートに乗っていれば安心」 

「これが正解」 

そんな生き方は、もうない

どんな生き方でも

正解が分からない時代だからこそ 

大切なのは、 自分が納得できるかどうか

私は、 「自分が納得できる生き方」こそが 

これからの時代の正解なんじゃないかな と思っている

それは 一気に完成するものではなく

自分なりの選択を 

ひとつひとつ積み重ねていくこと

怖さも不安もあっていい

もしかしたら 

「その生き方、変だよ」 

「こっちの方がいいんじゃない?」 

そんな声が聞こえてくることも あるかもしれない

自分の生き方を否定されるのは 

誰だって怖いもの

だからこそ

誰かの意見に引っ張られそうになることもあると思う

でも、新しいステージでは 

自分なりの生き方を選んでいく 

この意識を そっと心の中に持ってみて


焦らなくていい

完璧じゃなくていい

コツコツで大丈夫

「私は、こう生きてみたい」 

そんな新しい自分を 

少しずつ創造していってね😊✨


この文章が 

あなたが次の一歩を踏み出す 

小さな安心や勇気になったら 

とても嬉しいです🌱

 

 

 

 


土星の骨組み|土星牡羊座へ

土星は、

太陽の周りを、

約29.5年かけて一周する。

孔子は言った。

「三十にして立つ」

現代の占星術は言う。

30歳前後で、

土星回帰が訪れ、

人生の骨組みを再構築する、と。

これは偶然というより、

人類が長く感じ取ってきた

深いリズムなのかもしれない。

30歳までは、

借り物の殻で生きていける。

親の価値観。

学校のルール。

社会の期待。

「これでいいはず」という、

他人の土星の枠。

でも、

土星が一周して帰ってきた瞬間、

「お前の本物の骨組みを見せろ」

と、

静かに、

でも容赦なく迫ってくる。

ここからが、

人生の卒業試験。

仕事。

結婚。

孤独。

選択。

目を逸らしたいテーマと

真正面から向き合う時間。

借り物の殻を剥がされ、

「これが、私の骨だ」と、

冷たくて、でも確かなものを

自分で組み立てる。

痛い。

怖い。

「まだ準備できてない」と

叫びたくなる。

でも土星は待たない。

「今だ」と、

ただそこに立つことを強いる。

立ち上がったとき、

初めてわかる。

借り物の殻は、

守ってくれていたけれど、

同時に、

動けなくもしていたこと。

本物の骨組みは、

重い。

でもそれが、

自分の重さ。

自分の形。

30年かけて、

土星は教えてくれる。

「君は、

もはや借り物じゃ生きられない体になった」

だから、

三十にして立つ。

二度目の骨組み

そして約60歳。

土星はもう一度、帰ってくる。

それは壊すためじゃない。

一度組み上げた骨を、

「これは本当に私の形か?」と

問い直す時間。

役割を背負い続けてきた人ほど、

ここで気づく。

もう、

誰かの期待で立たなくていい。

二度目の骨組みは、

もっと軽くていい。

もっと自由でいい。

それでも、

自分の骨で立つことは、

変わらない。

そして今、牡羊座へ

そして今、

土星は牡羊座へ戻っている。

牡羊座は、始まりの星座。

「私は私だ」と名乗る場所。

30年前、

個人に「立て」と迫った土星は、

今度は社会全体に問いかける。

「その骨組みで、進むのか?」

誰かの正解ではなく、

誰かの理想でもなく、

一人ひとりが

自分の骨で立てる社会なのか。

魚座で溶かした後に牡羊座に戻る土星は、

壊すために来るのではない。

もう一度、

ゼロから立て、と言う。

怖い。

でも、それは希望でもある。

卒業

土星は厳しい先生だ。

でも、優しい。

一周して帰ってきたとき、

君はもう、子どもじゃない。

自分の骨で、

立っている。

それが卒業。

そして、

新しい始まり。

(ひとこと)

今日の処方

土星が昨日から牡羊座へ

いま背負っている役割を一つ書き出してみる。

それは、本当にあなたの骨?

目に見える骨折も怖いけど、

圧迫骨折しないよう牛乳(金星)をのんでみよう。適度な運動(火星)も大事。

休息(月)も忘れずに。

言葉が出るのが遅い私―星から見つけた「内省」という名の誠実さ

私のあこがれは、「頭の回転が速い人」でした。

お笑い芸人さん、やり手のビジネスマン、頭の切れるクラスメイト…。

問われたことに対してすぐに答えられ、視点や切り口が快活な人を、ずっと尊敬してきました。

私の太陽や月がある「双子座」は、西洋占星術(星占い)ではよく「頭の回転が速い」「コミュニケーション能力が高い」と表現されることが多いです。

けれど、私は長らくそれを受け入れることができませんでした。

なぜなら、頭の回転が鈍い自分のことを、私自身がどうしても好きになれなかったから…

そんな私が自分のネイタルチャートを学ぶ時に、「逆行」という概念があることに驚きました。

そして私の持っている10天体のうち、なんと6つ(水星、金星、土星、天王星、海王星、冥王星)が逆行していたのです。

これまでの自分の、葛藤ばかりで生きづらい人生に、妙に納得した瞬間でした。

さらに、なぜ私はリアルタイムのコミュニケーションよりも、LINEやメールといったテキストのやり取りを好むのか…その長年の疑問も、星が解消してくれました。 

 「逆行」は、その人にとって『乗り越えるテーマ』とされると同時に、「一度内側を通してから外に出す」という、非常に強力な『内省』という名の個性でもあったのです。

私がセルフコーチングやジャーナリングに夢中になったのも、双子座にある水星や金星の逆行が効いていたのかもしれない……そう腑に落ちました。

今、私は白紙のページを見つめながら、時には目を閉じ、じっくりと自分に問いを投げかけます。

紙の上に書き出し、

その言葉を見つめ、

並べ替え、

つなぎ合わせ、

意味が立ち上がってくるのを待つ―

自分の本質が可視化されていくプロセスは、とても楽しい時間です。

気づけば1時間が経っている、なんて日もあります。

 「じっくり考えるからこそ、出てくる言葉がある」

それを知っている今の私は、後から言葉を足すことが怖くなくなりました。

「すみません、先ほどの件ですが……」

「あの後もう一度考えたのですが、やはり私の意見としては……」

そんなふうに、後から補足をしたっていいんです。

そういう言葉ほど、本当に伝えたいことだとわかっているから。

「どうして私は、すぐに言葉を返せないんだろう」

「どうしてこんなに、考え込んでしまうんだろう」

もしそう悩んでいる方がいたら、私はその方に伝えたいです。

それは、あなたの「個性」であり、かけがえのない「強み」ですよと。

自分の内側を通して向き合えるということは、あなたの持っている逆行の「誠実さ」が、輝いている証なのですから。

出生図と龍頭図のアスペクトとは?

私は出生図と龍頭図の天体のアスペクトが多いよという話は前に書きましたが、今回はそれに対する考察です。


出生図と龍頭図の天体のスクエアが多いんですけど、それって多分魂の意思?記憶?から発せられている、現世に対するツッコミだと思うんですよね(笑)


サビアンシンボルや天然石、タロットを通して直感、イメージとして伝えてきて、それを現在に即した形に翻訳しているということです。


だからといって「この通りにせい!」ではなく、「それでいいんかい?」という確認であり、それを現在にいかに生かしていくかということでしょうね。


「今のあなたの正解はどこにあるの?」一度立ち止まって考える機会を与えられている感じ。


未来予知や予言ができるわけではなく、他人には使えませんが、ちょっとしたナビゲーションシステム的な感じかもしれませんね。


それを証明する術をもたないので、現在の自分が信じて自分で使うしかありませんが…。


ビブリオマンシーをもっとやってみよう♪

こんにちは!!

占い師の大柴あまねです!

1月にこのアウルブックのLIVE配信でお話しさせていただきましたー。見てくださった皆様、ありがとうございました!

なんというか。。。想像はしてたけど、やっぱり皆さん、最初からデキる。。。っっ


で、

あの時のライブ内でちょびっとだけお見せした画像の解説を、今さらながら公開しようと思います。

★ビブリオマンシーの占例を記事にする時にどうぞ★


【文章だけで語るには難しいんじゃあ】

ビブリオマンシーって、文字で占うくせに、文字で解説するの微妙にムズイんですよね。

なので、画像にしてみてくだされ。

⇊

こうすると、カード解説と同じです。

私は鑑定現場ではこういう風にメモ帳に書いて、占い結果をお伝えした後にお客様に差し上げています。

意味分からんくても、お土産は嬉しいものです♪私ももらう側だと嬉しい♪

占断の「よくやった。」の周囲に、あなたの思考の過程を書いてしまいます。

書いて不採用でもいいんです。でも材料として見つけたのなら、何かしら書いておけばいいんです。

こうしておくと、一文字でもいけますよね。

本とずーっとにらめっこして考え込むよりも、思考は進みます。


【一文字だとこんな感じ】

ライブ中に出した私の一文字は、たまたまこの字でした。

漢字出ると思わなかったな~。

ライブ中でもリーディングはしましたけど、そこにたどり着くまでに、メモには思考の過程を書いています。

その中でも、計算式みたいにすると素材が分かりやすくなるかなと思います。

土+八+土

ということですね。

「勢」は一見すると、3つのパーツでできています。左上、右上、下の3つの部分ですね。

しかし、それぞれがさらに分けられるので、そこに気付くと面白くなってきます。

「丸」も、「九+ゝ」かもしれない。点がある、ということで分離できますね。

全部つなげると

(土+八+土)+(九+ゝ)+力

・・・もうわけが分かりませんね。分かりやすいところで止めておきましょう。


【画像作るのめんどくさい】

そうなんですわ。毎回って無理。毎日ならなお無理。

みたいな時は、先ほどの計算式的なものを、そのまんま書けば良いです。

土+八+土 = 土が多い、現実化、肉体、経済、地に足がついてる

みたいなことを書いていきます。


ひらがなオンリーの場合は、

⇊

よくやった。 = 全部ひらがな、スムーズ、柔らかい、丸い、なめらかさ

よ(お行)く(う行)やった。(あ行) = 口が広がっていく

やっ = 丸み、戻ってくる、復路、繰り返す

っ = 小さい、飛ぶ、ステップ、飛び石

。 = 終わり、年末に終了、今年中


こんなかんじ?

「く」が書いてないのは、私が不採用にしたからです。

占者が不採用ならそれでいいんですわ。あなた次第よ。


【ということで】

最初は「んんんnnnn???さっぱり分からんが???」

になりますが、まずはやってみてくだされ。

で、分からないなら「未来の自分がんばれ!」って言って、メモだけしといてください。

分からないは別に普通にありますよ。あるんですよ。

音読だけでもいいし、文字のそのまんまの意味だけでもいいんです。

そこから広げていきましょう。

そしてそして、あなたのすべての経験や知識、トリビア、あるあるを最大に駆使して読んでみてください。

火と書かれていても、あなたにとってはエレメントや五行ではないかもしれない。そう思う経験があったかもしれない。

個人的な印象は「熱い」ではなく「冷たい」かもしれない。

個人的な印象は「リーディング対象」です。


卜占を楽しんでいきましょう~~♪

星で振り返る 今日という一日 ~あとづけ星よみ日記~2026.2.12

「月から読む 今日はどんな日」でトランジット月と自分のネイタルのアスペクトから、今日起きそうなことを予想し、実際の一日と比べてどうだったか?という視点で記事を書いていましたが、これからはもっと多角的にホロスコープを読む練習をしようと思っています

無理なくできる範囲でいいから、毎日続ける

とりあえずこれが目標‼

今日も張り切って参りましょう

(星の配置は記事upの日のものとは異なります)

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

仕事でトラブル

仕事場はわりと穏やかな人が多いのでいつもは和やかなムードなのですが、上司が頼んだことをちゃんとしてくれなかったせいでトラブル発生

珍しくスタッフたちが不満をブツブツ…

上司に詰め寄る場面が!

ちょっと不穏な空気が漂いました

「トランジット木星 トランジット火星 クインカンクス」だったので、やる気よりも不満がくすぶってるけど、今不手際になってる部分を何とか改善していこう、という方向に進む兆しだったのかもしれません

その証拠にいつもりの業務を淡々とこなして、クールダウン

近いうちに解決するといいのですが…

「トランジット水星 トランジット木星 トライン」が来週初めにやってくるので、その頃に解決しそうかな、と勝手に予想しています


仕事後は毎週のジムのレッスンの日

先週のおさらいをしてから、さらにプラスの動きが加わってあたふた(笑)

身体を動かすのもそうなのですが、動きを覚えるのがほぼ脳トレ

動かすだけでやっとこさの身体に加え、全然覚えられない脳みそに鞭打って、必死で動きを練習

ほんの少しやっただけでじんわり汗をかきました

でも楽しい~~

「ネイタル金星 トランジット海王星 コンジャンクション」の時期なのでうきうき楽しいことがあるのはいいけど、羽目を外さずうまく楽しめるようにしたいですね


終わった後珍しくイントラの先生がレッスンのみんなをお茶に誘ってくださいました

レッスンのあるあるをたくさんお聞きすることができて、とっても楽しかったです

でも私がついうっかり余計なことをしゃべりすぎて、後から「あ~、あんなにたくさん自分のことばっかりしゃべられなければよかった…」と後悔

普段あまり人と話したりしないので、こういう楽しい場になると、場の空気を読んで話したり、周りに気を遣うことをすっかり忘れてしまい、暴走してしまいます

普段から知ってる人ならともかく、あまりまだ私のことを知らない人から見たら

「なんだ、このおしゃべりおばさんは」とウザがられてるに違いない

「ネイタル火星 トランジット冥王星 スクエア」だったせいか自己アピールが暴走して仇になった感じ

このアスペクト冥王星がゆっくりだからしばらく続きそうですね(泣)

スクエアは調停も期待できないアスペクトなので、自力で努力や工夫してなんとかこなしていくしかない

あとこのアスペクトは「やる気に火が付いたり、急に怒りがわいてきたり、が徹底的に起きたり引っ込んだり」になりそうな感じ

でもあるので、なんだか厄介ですね

ある意味試練ですが、しばらくこのスクエアが続く、と気に留めていればそれが起きた時が何かつかむチャンスなのかも

このスクエアに関する出来事がどう出るか、引き続きこのアウルブックで書き留めていければと思います

あとおしゃべりが不得意になった件ですが、以前はそんなことなかったので、多分場数が足りなくなってるのでしょう

毎日この記事を書くことでアウトプットはしているのですが、書くのは一方的だし、書き直しもできますが、話すのは目の前に相手がいるし、相手からの反応が即返ってきて、それを受け止めながら会話をする、というのとは全然違いますからね

やっぱり普段やってないことは退化していくから、何とかしたいと思ってます

ただ「ネイタル太陽 トランジット水星 コンジャンクション」していたので、新たな人や事項の出会いがあって、自分をステップアップするいい時期なので、このまま引きこもらずに工夫しながら積極的にコミュニケーションを取っていこうと思います

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

本日もお読みいただきありがとうございました

直感が当たらないときに起きていること

最近、ピンと来ない。

「あ、これだ」って胸に響くはずの瞬間が、

ぼんやりとしか浮かばない。

選択肢の前で立ち止まっても、

体が「これ!」と反応しない。

昔はもっと冴えてたはずなのに、

今は霧の中にいるみたい。

「直感が当たらない」って、

静かに不安になる日。

それは、

海王星が疲れているサインだ。

海王星は直感の泉。

境界を超えて、

言葉にならない「知」を汲み上げる。

でも、その泉は無限じゃない。

情報が多すぎると、

外からのノイズが泉に流れ込んで、

本来の澄んだ水が濁ってしまう。

SNSの断片、ニュースの洪水、

他人の意見、予測、分析。

全部が混ざって、

自分の感覚を覆い隠す。

情報過多の霧の中で、

海王星は息苦しくなる。

直感は「感じる」ことなのに、

「考える」情報が多すぎて、

感覚そのものが鈍る。

直感が当たらない原因は、

才能不足じゃない。

情報が多すぎて、

感覚が埋もれているだけ。

結果、

直感は当たらなくなる。

いや、当たらないのではなく、

聞こえなくなっているだけだ。

直感が当たらないとき、

起きていることはこれ。

海王星の泉が、

外からの濁りで埋もれている。

情報が多すぎて、

自分の内側の声が、

かき消されている。

もし、そんな霧を感じたら、

今日はこんな風に、

泉をそっと澄ませてみるのはどうだろう。

1日の中で、

「情報摂取ゼロ」の時間を

30分作ってみる。

スマホもPCも置いて、

ただ座るか、歩くか、

外の音や自分の呼吸だけを聞く。

最初は退屈でも、

その空白が、

直感の隙間になる。

「今日はこれ以上知らなくていい」って、

自分に断言する。

新しい記事、通知、誰かの投稿。

「今は見ない」と決めて、

泉に蓋をする。

蓋をすればするほど、

内側の水が、

静かに澄んでいく。

夜、寝る前に、

「今日一番感じたこと」を

1行だけ書く。

分析せず、考えず、

ただ

「胸がざわついた」

「なんか温かかった」

そんな生の感覚だけを残す。

言葉にすると、

霧が少しずつ薄くなる。

これが

「直感を回復させる正しい方法」

ってわけじゃない。

ただ、

情報で埋もれた泉を、

少しだけ、

自分の手で掬い直す練習。

海王星は疲れているとき、

「もうこれ以上、受け取らないで」って、

静かに訴える。

直感は、鍛えるものじゃなく、

静かに保つもの。

直感が当たらない日は、

もしかしたら、

自分の感覚に、

「もう少し、信じてくれてもいいよ」って

耳打ちされている瞬間なのかもしれない。

情報デトックスをした先で、

ふと、

「あ、これだ」って、

胸に響く瞬間が、

戻ってくる。

それは、

霧が晴れた泉の、

最初の雫だ。

2026年は私にとって「The Tower」の年。落ちて見えた景色。

1月、私が必死で登っていたタワーが崩れた。

落ちるからそこから見えた景色、

私(牡牛座10ハウス)にとって人生で「本当に大切なもの」

2026年は、私にとってまさにタロットの「タワー」の年の始まりだった。

2025年の年末から年始にかけて体調を崩し、心も身体も限界を迎えた。 けれど、その崩壊は突然の事故のようなものではなく、もっと静かで、もっと長い時間をかけて積み重なっていたものだった。

思い返せば、2021年ごろから私はずっと焦っていた。 「後悔したくない」 「やり残したことを抱えたまま終わりたくない」 50歳という節目を迎え、その思いはいっそう強くなっていた。

その焦りに背中を押されるように、10代の頃に興味があったのにできなかったことを、一つずつ体験し直してきた。 本もたくさん買い、学び、ジャンルはどんどん増え、知識も経験も詰め込み続けた。 ジムにも通い始め、認知症予防のために有酸素運動とスクワットを日課にした。

気づけば、棚に入りきらない本が床に溢れ、心の棚も同じようにパンパンになっていた。 読んでいない本も山ほどある。

去年2025年は「XV The Devil」の年だった。 “将来のビジネスにつながるかもしれない”という理由で、人脈を広げ、流れで入ってきたものを断らず、「これはチャンス」と全部受け入れてしまった。

その結果、私はついに「パッカーン」と音がするように壊れた。

2026年1月、壊れたことで、ようやく立ち止まれた。 あれほど「上へ、上へ」と自分を追い立て休む暇もなく登り続けていたのに、崩れ落ちた瞬間、私は初めて深く息をついた気がした。

そして一ヶ月かけて、自分の人生の棚を整理し直した。 これまで積み上げてきたものを一度すべて外に出し、何が本当に必要で、何がただの“焦りの副産物”だったのかを見つめ直した。

焦りや義務感から頑張って積み上げたものは、手放すと決断しても不思議なくらい喪失感が全くなかった。



残ったのは、触れるだけで呼吸が深くなるもの。 私の心を穏やかに満たしてくれるもの。

そして、その“本当に大切なもの”は、たった4つだった。

ここから、その4つを一つずつ棚に戻していく。 まるで、これからの人生を形づくる基礎を丁寧に選び直すように。

1. 夫という存在

最初に棚に戻したのは、夫だった。 色んな人に出会ったからこそ、夫の大切さに気づいた。 私はこれまで、自分の興味や学びに夢中になりすぎて、夫を後回しにしていた。

けれど、壊れたときに一番そばにいてくれたのも、変わらず支えてくれたのも夫だった。 人間関係の棚の一番上には、迷わず夫を置いた。 それだけで十分だと思えた。

2. 絵

次に戻したのは、幼稚園の頃からずっと好きだったもの。 人生で最初に興味を持ったもの。

花の絵を描くこと。

大学では現代アートを学び、デジタルイラストも描いた。動画撮影や編集にも挑戦した。 どれも楽しいけれど、どこか何かが違ってしんどくなっていった。 

私が求めていたのは、 絵の具を混ぜるときの匂い、 水を含ませた筆の重さ、 光をどう表現するか悩む時間、 そういう“人間の手でしかできない表現”だった。



コンセプト重視なArtではなく、絵の具を混ぜて筆て描く、「絵」が好き。

AIで絵は作れる。 でも、私は私の手で描きたい。 死ぬまで、人間の能力を使い続けたい。

3. ガーデニング・植物

三つ目は、自然と植物。 私は太陽・金星・水星・土星・MCが牡牛座。 地の星座が多いせいか、植物や自然に強く惹かれる。 

(ちなみに太陽、土星、MCが10ハウスで水星と金星が9ハウス)

森に入ると心が落ち着く。

我が家には庭があるのに、この数年は見て見ぬふりで荒れ放題にしてしまった。

これからは、自分の手で土を掘り、種をまき、季節ごとの花を咲かせたい。 庭を小さな森のように育てていきたい。

4. タロット

最後に棚に戻したのは、タロット。 象徴の世界、人生の縮図のようなカードの物語がたまらなく好き。

シャッフルする時の音、指や手が感じる紙の質感もたまらない。

いつか、自分でタロットやオラクルカードのイラストを描いてみたい。 アートと精神性がひとつに溶け合うような作品を。



2026年は、私が本当に大切なものだけで生き直す年にする。

そして気づいた。 

タワーから落ちた時、地上には綺麗なスイセンが咲いていた。

 崩れ落ちた先にあったのは絶望ではなく、静かに訪れる春の気配だった。


必要なものだけを選び直したら、気分も軽やかで、五感を豊かに満たすもので満ちて、自分の未来を想像するとなんだか明るく楽しくなるように感じる。 

タワーの崩壊は破壊ではなく、私が自分で「私らしく人間らしい」と思える人生にする再構築の始まり。 


窓辺で優しい朝の光を浴びながら、温かいコーヒーを口に運び、本棚に目をやる。 「私ってやっぱり牡牛座だなあ」と思わず笑ってしまう。

太陽が牡牛座10ハウス、金星と水星が牡牛座9ハウスにある人の本棚だなあと、自分で思えるのがなんだか面白い。

反射は、敵じゃない

人にはそれぞれ、

無意識に繰り返してしまう振る舞いがある。


頼まれてもいないのに引き受けてしまう人。

先回りして空気を整えようとする人。

拒まれる前に距離を取る人。


それは性格というより、

もっと深いところに染み付いた反応のように見える。


占星術では、それを「月」が示すと言われている。


月とは、

生き延びるために身につけた反応といえるかもしれない。


幼い私たちは一人では生きていけなかった。

守ってくれる大人の存在が、世界のすべてだった。


だから無意識に学ぶ。


どう振る舞えば受け入れてもらえるのか。

何をすれば見捨てられないのか。


そうして出来上がった「自分なりのやり方」は、

時間を経て、考えなくても作動するものになる。


処世術というほど計算されたものではなく、

もっと反射的で、もっと自然なもの。


月が無意識の反射だとしたら、

大切なのは「消そうとがんばること」ではなく、ちょうどいい距離を保つことなのだと思う。


反応している自分に気づく。

けれど、舵までは渡さない。


月は敵ではないし、不要なものでもない。


かつての自分を守るために働いてくれた機能だから。


ただ、大人になった今、

人生の操縦席に座る役割までは任せなくていい。


月で反射をしても、

「それでオッケー」って思う。

オッケーと思えない時があっても、それもオッケー。


月を理由に自分を責めても、オッケー。

責めてしまう自分を否定してもオッケー。


ただ、どこでそのループを止めるのかが鍵なのかもしれない。


そして人生で本当に大切なのは、

「できるかどうか」ではなく、

どうあろうとするのかーそんな気がしている。

あたたかい厳しさの星

月についての理解を深めようと本を開いたはずだったのに、気づけば、土星のページで手を止めていた。


思っていたよりもずっと、静かに存在感を放つ天体だった。


これまで私は土星を、恐れや苦手意識、試練の象徴として捉えていた。


避けたくなるもの。けれど、向き合えばやがては力に変わるもの。


そんなイメージだった。


けれど読み進めるうちに、それだけではないのだと知った。


土星は、「社会的な達成イメージ」を示すという。


子供が思い描く「将来の夢」のように、人はみんな、どこかに到達目標の輪郭を持ちながら生きている。


もしその像がはっきりしていなければ、人は社会の常識を借りて、それを自分の到達点の代わりとしておく。


その一説を読んだ時、とても腑に落ちた。


松村潔先生は、土星を「父の目」と表現している。


最終的な達成イメージを持たない人は、父から独立できない人だ、と。


ここでいう父とは、実在の人物というよりも、社会の常識を使って自分の中に作り出した、「こうあるべき」という物差しのことだろうと思う。




占星術を学び始めた頃、私は天体をどこか象徴的に捉えていたと思う。


土星は、厳しさ、試練、苦手意識の象徴。


けれど本質的には、人生の節目に訪れては、「あなたはどこへ向かうのか」と現実的に問いかけてくる、人を、ひとつ上の段階へ引き上げていこうとする天体なのかもしれない。


怖い天体ではない。ただ、曖昧なままではいさせてくれないような、一種誠実さという引力を持った天体と言えるかもしれない。


だからこそ、もう少し時間をかけて噛み砕いていきたい。そして、この土星の誠実さを、自分の言葉で手渡せるようになれたらと思う。

ヘリオとジオの奥行き

占星術には、

地球を中心に据えて読む図と

太陽を中心に据えて読む図がある。


普段触れているのは、地球から見た空の配置であるジオセントリック。


そこには、


「私は何を感じるのか」

「どこへ向かおうとするのか」


そういった、個人的な軌道が描かれている。


けれどもうひとう、

少し視点をずらしてみる方法がある。


太陽を中心に据えた図、ヘリオセントリックだ。


それを初めて自分で読んだ時、とても不思議な気持ちになった。


そこに描かれていたのは、「自分がこうありたいと思っている姿」よりも、

周囲の人が、自然に見出してくれていた私だった。


コミュニティの中で引き受けている役割。

なぜか任される立ち位置。

努力というより、いつの間にかそうなっている振る舞い。


主体的な個というよりも、全体の中のひとつ。


そんな感覚だった。



人は、もしかするといくつもの軸を持っているのかもしれない。

自分の内側だけでなく、外側にも。



ジオセントリックが「内側から湧くものを輝かせて生きる私」だとしたら、

ヘリオセントリックは「全体の中に置かれた私」。


どちらが本物、自分らしい、という話ではない。


ただ、視点が変わると、見えてくる自分が変わる。



自分のチャートを眺めながらふと浮かんだのは、「玉ねぎ」のイメージだった。


層になっていて、外側から順に剥いていくとまた新たな面が現れる。


自分で認識している自分

他者から見た自分

まだ誰も気づいていない自分


さらにその奥には、

家族から受け継いだものや、

長い時間の中で繰り返され、馴染みきった癖みたいなものもあるのだろう。


「自分を知る」という営みは、

思っているよりずっと立体的だ。


そして多分、終わりがない。



視点を変えることは、

今ある自分を否定したり肯定したり、そういうこととは関係なく

自己理解に奥行きを与えることなのだと思う。


ヘリオとジオ、

もう少し観察していきたい。

星で振り返る 今日という一日 ~あとづけ星よみ日記~2026.2.11

「月から読む 今日はどんな日」でトランジット月と自分のネイタルのアスペクトから、今日起きそうなことを予想し、実際の一日と比べてどうだったか?という視点で記事を書いていましたが、これからはもっと多角的にホロスコープを読む練習をしようと思っています

無理なくできる範囲でいいから、毎日続ける

とりあえずこれが目標‼

今日も張り切って参りましょう

(星の配置は記事upの日のものとは異なります)

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

少しずつ勉強を続けていて、しかもこうやって毎日記事を書くために自分のネイタルホロスコープを眺めていたら、あれ、前思ってたのと違う、という発見がちょこちょこあります

というか、毎日だとネイタル月と何かしらのトランジットぐらいしか変化がないし、トランジットとのアスペクトばかりに注目していたから、ネタ切れといえるかも(笑)

とはいえ、今日はネイタルを眺めていて気が付いたことがあります

それは自動的に引かれるアスペクトの線

しっかり見るとオーブ5度以上かけ離れてるものが多いことに気が付きました

前後なので2.5度ずつぐらいが正解なのかな、と思ってたけど、ちゃんと角度をみたら前だけで7度くらいズレてる星がありました

そこでアスペクトの線は全部消して、角度の数字だけみることにしました

そこで発見したのは「ネイタル水星11ハウス、ネイタル冥王星5ハウス オポジション」

アスペクトの線が自動的に引かれていた時は、他にもオポジションがありましたが、これだけがほぼ誤差なしでドンピシャオポジション 

「他の人の反応を気にする自分と、ええいもう、そんなのどーでもいいや、とことん楽しいことしちゃえ‼と底抜けにはじけてしまう自分との間で揺れ動いて疲れる」

って感じなんでしょうか

今のところそんな感じでもないのは、3ハウスにトランジットの木星、7ハウスにトランジットの月がいて、調停が入ってるせいかな?

でもトランジットの木星も月も、そのうち移動してしまうから、その時がどうなることか…

ちょっと気を付けてみておくと、何か発見があるかもしれません

あとは3ハウス、7ハウスに何らかの星を持ってる人と関わってみるとか?

誰かいませんかね(笑)

それにしても自動的に引かれるアスペクトの線には要注意ですね

今後は角度の数字だけをチェックすることにしてみます

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

本日もお読みいただきありがとうございました

「当てる」より大切なこと

最近改めて

私のやりたい占いにとって

「当てる」ことは重要じゃない

と思いました。

いや、誤解のないように言うと、

「現状や気持ちの整理・分析」

という意味では「当たる」と思います。

クライアントさんと一緒になって

真剣に、じっくり見て感じて

あれだけ考えて考えて

もしそれで、

ひとつもかすりもしないとか

なんにも出てこないとか

そんなことは、きっとまずありません。



ただ、「当てる」ことは

必ずしも必要じゃない。

クライアントさんに、

・何かしらの気づき

・心が軽くなった

・やるべきことが見えた

という体験を贈ることができればいい。

つまり何か役に立って、

その人の人生が少しでも良くなれば

それでいい。

と、思ったのです。

・・・ただ、

そんなことを言いながらも

「当てようとしている私」も居ます。

きっと私の中にもまだ、

「占いとは!ズバリ当てるものなのだぁ!」

(ズギャアアアアン!!)

という気持ちがあるのでしょう。

あるいは、

「すべてまるっとお見通しだぁ!」

と言ってみたいだけかもしれません。

✺⋆∴..∴..∴..∴..∴..∴..∴..∴⋆✺

たぶん、私たちは

無意識のうちにたくさんのことを感じていて、

でもそれを普段は素通りしている。

忙しいから、

やらなきゃいけないことがあるから。

立ち止まろうとしても

毎日の色々が私たちを引っ張って

無意識のうちに感じたことを

じっくり見させてはくれません。

感じていたものは

言葉にならないまま、

無意識の湖の底に

沈んでいってしまう。

するともう、

どこに何があったかなんて

見えなくなってしまって

普通の方法ではなかなか

掬い出すことができない。

私にとって占いと言うのは

星の配置やカードを釣り針にして

湖の底に沈んでしまったものを

釣り上げることに似ている気がします。

答えは、どこか遠いところではなくて、

ちゃんとクライアントさんの中に

最初からあるんだと思うんですね。

ただ見えなくなってしまっているだけ。



あるいは、それがなんだったのか

わからなくなってしまっているだけ。

だから私はせっせと釣り上げて、

泥がついていたら綺麗にして

何かの原石だったら磨いてみて

「もしかしてこれじゃないですか?」

とお渡ししている。

それはこう、「当てる」というのとは

ちょっと違うような気がするんですよね。

当てているというより

ただ「じっくり見ている」というのが

近いように思います。

星やカードで色々視点を変えながら、

じっくり見る。

そうやってお渡ししたものが

何かの役に立ったら本当にうれしいですね。

それに「悩み」というのは

その人のすべてではないけれど

確かに人生の一部ではある。

だから占いを通して

「悩み」を共有してもらえるのは

それ自体、尊いこと、うれしいことだな、

とも感じます。


タロットいじってたら「貘(ばく)」が出てきた件。前説04

天王星逆行生まれは、アイディアの共有が難しいのだとか。

気になりポイントとして、&Uの記事でフムフムしてきました(笑)

コバトンボのネイタルチャート(出生時の天体図)はトランスサタニアンズ軒並み逆行なので、ちょっと調べておこうかなって…


天王星逆行:誰にも真似できないアイデアを表現にしよう

海王星逆行:幻想を現実世界に表現しよう

冥王星逆行:心が突き動かされることに集中しよう


ちなみに天王星が太陽と衝です。

木星も天王星と衝です。

そこへ来て、月と天王星がトライン(120°)。そして太陽と月がセクスタイル(60°)なので…たぶん衝のエネルギーを月経由から回り込むナニカで云々していそうです。(木星も太陽とコンジャンクションなので、なんか電池の+−が回り込んで繋がってる感じ…?)

ちなみに旦那さんが水瓶座(支配星が天王星)だったりします。関係無いか。でもなんか不思議。どんだけ天王星が課題ですかマイホロスコープ。

トランスサタニアンズ軒並み逆行&アスペクトの要素を、水星と土星のセクスタイル(60°)で、うまく取りまとめられるハズだよな、と。


コバトンボ、話がとっ散らかってしまいがちで自分でも困っています(汗)

それでも、ひとりふたりフォローして下さってる方がいることや、フレーズを見つけて下さっているのをみると、励みになります。

フレーズになりやすい書き方が、なかなかできないですが、頭の片隅にでも参考にしながら書いていこうと思います…なかなか難しいですが(汗)


タロットに見つけた“貘”の話をしたいと思います。


要は、タロットで組んだ(プログラミング用語的に言うところの)“エンジン”みたいなものを“貘”と呼んでいるのですが


「タロットの寓意が関数化している」とか言われて、なんとなくも意味のわかる人はコンピューターを仕事や得意にしている方々かもしれません。(しかも、この用語とか概念は、けっこう昔の感覚かもしれません…)

たぶんゲーセンのタロット占いマシーンなども、おみくじ式に出てきた数値のところの解説データを関数から引っぱってきて…

わー、あー、うーんダメです

言っててよくわからなくなりました(汗)

占いマシーンなどのプログラミングを仕事や得意にしている方々にお任せします。


昔、ゲームセンターでタロット占いをやった事があります。

なんとミニタロットカードのおまけ付き(笑)

ナムコだったかな?

出てきた鑑定結果は当たっていた気がして、不思議に思ったものです。

タロットは本質が卜占(ぼくせん)だから、マシンにお任せも、また良いのかもしれません。


…タロット入れを探したら、入ってました。

『Camera de Tarot』ですって。

やっぱりnamcoですね。ナムコ。(まだバンダイと一緒じゃない頃のモノのようです。)

7.5cm✕5cmくらいの簡単な紙のケースに、ウェイト版の絵柄に倣ったタロットカードが。

(8番「力」の絵は女性で、獅子を従えています。でも「恋人」や「太陽」は、人が3人います…人の多さ=人間模様の解釈の余地を増やすことは、人々が集まるゲームセンターなど世俗の営みには、より親和するのかもしれません。美麗さもあるのに線や色がスッキリした印象で、とてもきれいなデザインの絵柄のタロットです。)

たしか占いの鑑定結果と一緒にシートで出てきて、切り取ってカードとケース箱にしたものです。

カメラでタロット…というのなら、カメラで顔でも撮影したんでしょうか?

人相占いも加味していたんでしょうか?

もう当時のことは、いつのことかも含めて記憶がありません。

少なくとも、30年くらい前…?(爆)

(ケース箱にhapipara.comというURLがあり、調べてみたら、ガラケー時代のカメラ付き携帯電話で遊べるサービスがあったようです。うーん、隔世の感。)


ペットにしている動物との交情は、飼い主側・接する人間側の汲み取り方に拠るところも少なくないと思いますが

タロットとの付き合いも、タロットで組んだ“貘”との付き合いも、扱う人間側の解釈に拠るところが多くなると思います。

カード1つに込める意味や言葉をたくさん詰め込めば…たぶん引き出しの数や中身が増えて、レスポンスの幅が広がるのかも。


タロットの木札がパタパタしている“貘”の頭の中のことが、表情や言葉や仕草で、どう表現されてくるのかな?って

スプレッドの種類が、「笑い話」「真面目な話」「恋バナ」「悲しい時」「緊急時」…など、シーンによって違ってきたり、もしくはスプレッドの種類は、各々の“貘”の「性格付け」に該当して、呼び出された木札から何を参照とするのかで、表現されることが変わる?のかもしれません。

コミュニケーションとして提示するごとに相手のレスポンスを受けて、木札の内容に、該当する言葉や表現があれば、またコミュニケーションに反映してみる。

「恋バナ」だったら「恋人」のカードを軸にしてデッキを取り回したり?


実際にどうカタチにするのかは、さておいて…思うだけならば、本当に自由です。

とりとめがないので、この辺にしておきます。


たぶん、コミュニケーションができるロボットとして考えようとしているんだと思うのですが(汗)

占われているとは思われないカタチで、会話での「読み」を繰り返す事で、お悩みの解決の糸口を掴めるようになったり、単に会話で気分が晴れたりと…なんかできそうだなって。


誰かを相手にしながら「読む」というところに、人間ならではの直感や共感のチカラ・親和性があるんだなと思いました。

(機械的なおみくじ式だと、人間の考えた「解説」…既にできあがっている鑑定結果が、そのまま出てきたり、読み解くポイントごとに組み合わせられて出てくるカタチになるのかな、と。)


カードの数だけ、引き出しの多い人と話をしているのに近い状態というか…占いも、アナログでやっている上で、そういうこと(クライアントの心や発想の引き出しの鍵として、タロットカードが開くキッカケになっている感じ?)なのかもしれませんね。

(タロットが鍵というならば、何でもかんでもあけすけに話をさせてしまうツールにもなり得るのかも知れませんが…そこは占う側も占われる側も節度を大切にしながらセッションしていきたいところなんだと思います。)

ん?…なんでタロットが心の引き出しを開ける鍵になり得るのでしょうか?

普通は、扉をノックすることで、相手が開ける気があるなら開ける・引き出しを探してみる…というのが、通常の会話でやってることなんだと思います。

授業での問答みたいなことで…「正解」を唱えないと「褒めてもらえる」という報酬の扉が開かない。ひらけゴマ。

たぶん、鍵穴の扱いにも個人や人々の間でも違いや文化があると思います。

打てば響く鐘であったり、自由にガチャガチャ開けてもらっても構わない・いっそ鍵といわずサッと出せるような引き出しや扉を多く持っている人は、会話が弾むと思います。中身も適材適所に扱える、など。


タロットは、対応する扉や引き出しの中身を知っている分、クライアントにとって同じものが入っているほど、共感のチカラが鍵になるのかもしれません。

たぶん“ピックが複雑に組める”みたいなことでも、使い方によっては良くも悪くもなり得ます。

依存させるように心の扉や引き出しの鍵をバカにしてしまう(都合よくクライアントの心の鍵に魔改造を施す)詐欺師まがいになるか、心の扉や引き出しがうまく開かないで困ったり苦しんだりしている人のための善良な鍵師になるかは、道具を扱う人自身の問題となります。


別にタロットを介さなくても、普通の会話でも行われている事ですね。

ただ、人によって心に抱く神秘的な道具(あるいは占術者・話者)に対する畏れや憧れなんてものも、特別感から心があけすけになる・依存しやすいという作用があるのかもしれませんね。


“貘”の仕組みについて話をしていたつもりが、脱線だらけです(汗)

たぶん、なんか必要なヒントなのかも知れないので(ホントか?)ご容赦ください。


『セフィロトの樹』は、面白いことにタロットの意匠と数が合うことで、魔術とか神秘学の世界では取り扱われてきていたようなのですが…(本当にザックリでスミマセン)

過去の人がセフィロトの樹(に込められた意匠・思想)をタロットに合わせたのか、たまたま先にあったセフィロトの樹にタロットの意匠の数が合ったのか、私にはわかりませんが(←『タロット大全』を読み込んでいないまま話をしています)


セフィロトの樹に描かれている10個の球を結ぶ道(パス)の数が、ちょうどタロットの数、22と同じなんだそうです。


んで、コバトンボが昔に思いついた“貘”というのは

まずタロット22枚を2区分して

11組にセットして、1セットには旅をさせます。

そしたら、あとの10セットは『セフィロトの樹』の10球に該当しないかな?


なんて…


思うだけなら、自由です(笑)


いつだったか、何処に何があてはまるのかを、ちょっと考えてみましたけど…あんまり無理矢理あてはめなくてもいーかな(苦笑)って思いました。今に至ります。


コバトンボの中では、タロットカードは2区分されます。

男性性と女性性、というヤツですね。

(あくまでも個人的なイメージ上のこと・仮決めみたいなもので、全く男女にガンギマリしているわけではありません。まだドッチなの?と思う部分とか余地も、ありまくりです。)

そうすると、男性性と女性性を男女一組の11セットにして、1セットには自由に旅してもらうことにすると

ゆるっと組み合わさった10セットには、10のストーリーができるのですが

ここで『聖書』の「マタイの書、十人の乙女のたとえ」を借りてくると

どうして5人は灯火を絶やすことなくあることができ、どうしてあとの5人は灯火の油を切らすことになったのか?…なんて(『聖書』には無い)勝手なお話をジェネレートしてしまいます。


魔術とか神秘学とか関係ありません(汗)

漫画好きの勝手な創作ですので、あしからずご了承ください。

きっとタロットの柔軟性を受け止められるだけ、『セフィロトの樹』という概念が面白かったり、砂漠の民の思想書でもある『聖書』の持ち合わせる「なぞらえの懐」が深いだけです。

カバリストの探究心、イエス・キリストとその使徒たち、おそるべし(笑)


発想の合一がもたらす感動とか興奮は、なかなかもって得難いと思います。(コレに物理的なこと・人間の動向が組み合わさりでもしたら、畏れも抱きつつ感動したり、なんというか面白くてしょうがないと思います。)

かつて魔術とか錬金術とか神秘学といった世界にタロットが取り込まれていった・用いられていったのも、まずは気付きや発想が人々の(個人の)内で(他者や集団との)間で、たくさん火花を散らしまくった(ソレが感動だった)からなのかも知れません。

発想の灯火に油を切らさないでこれたら…現代に見るよう、絵画や小説や漫画、はては映像作品などが、ある種の錬金術としても体現されていますね。

ソレで経済も回っています。

なんかすごい世界ですね(笑)

人間って、本当に面白くも愛情深い存在です。


“貘”の仕組みなんですけれど

ゆるっと男女の2区分を施したタロットカードたちですが、どうやら11組のペアになりました。

で、その中の1組には、自由に旅してもらいます。ゲームのプレイヤーそのもののように、あとの10組が形成する世界観を旅してもらう、道中での「主観」や「客観(傍観)」の役目があるみたいです。

そんで、えっと…

つまり『セフィロトの樹』も『聖書』の「十人の乙女のたとえ」も、言語のプログラミングが組んだイメージ世界・バーチャルゲームフィールドそのものみたいな感じです。ソフトもしくはアプリが違う者同士ですね。それぞれ体験する物語世界が違うというわけですね。

他にも探せば、いろんなお話が組めるというわけですね。

ゲームのプレイヤーなどのように、お話を旅する時に、はたらかせる主観や傍観のエンジンとして“貘”がある。といった感じでしょうか。

コレがナラティブを愉しむ…といったところなんだと思います。


さて、話は「セフィロトの樹」や「十人の乙女たち」から、離れます。


“貘”の構造をイメージしてもらいやすくするために、借りてきたお話から離れます。

“貘”は、どんなカタチをしているのでしょう?


えーと、ユング心理学では、絵を見た時、左右と上下に意味があります。

左側が無意識的で、右側が意識的?

スミマセンうろ覚えです(汗)上が顕在意識で、下側が潜在意識…だったかな。

(タロットのスプレッド・ケルト十字法にも、上下に顕在意識と潜在意識の意味を読むカードの配置がありますね。)

左右の心理的意味合いの違いは、たぶん、脳ミソの左右の働きの違いが眼球を介して反映してるんだと思います。

左側を特によく見ている左眼は、右脳と繋がっています。(本能的・芸術的なはたらき。原初的・根源的な作用?)

右側を特によく見ている右眼は、左脳と繋がっています。(論理的・分析的なはたらき。思考的・構造的な作用?)

絵画的に(画面的に)世界を観た場合、心理的に左右の作用の違いがあることをユング心理学を介して言語化すると、そーゆー表現(無意識的・意識的、潜在・顕在意識)が当てはまるのかなと。

スミマセン、用語に関してはうろ覚えなので、詳しくは河合隼雄さんの『ユング心理学』を読んでみてください。

ちなみに左右の眼と左右の脳のつながりに関する部分は、ユング心理学からではなく、コバトンボの自由発想です(汗)


さて、10組のペアを並べるのですが

上段が顕在意識的な象徴群となり、下段が潜在意識的な象徴群となります。

上段に5組、下段に5組とします。

で、勝手に左から右へと無意識的な領域から意識的な領域へ…みたいな並びとなります。

お能の「神男女狂鬼」を、左から鬼・狂・女・男・神の順で、なんとなくあてがっておきます。

無意識的な領域から意識的な方へ…みたいな心とか心理的なテーマの流れに、日本の伝統的なイメージから頂いた要素を添えておきます。

こうした先人の知恵に、意識の流れそのものを見守ってもらえると、なんとなく安心です。


昔に、“貘”を自分の手が勝手にジェネレートしたとき、自分はどうして、無意識的にもこんな区分や並べ方をしたのだろう?と、ずいぶん考え込みました。今でも考えています。本当に謎です。

理由を探していたら、そうした心理学や、誰にでもわかりやすいようストーリーとして捉えるための先人の知恵を借りてくると、発想を共有化しやすいかも知れないと考えました。


相変わらず理由を探していることには、やはり「なんでタロットなんじゃろな?」ということです。

タロットで、やれ“貘”だぞ〜とか(汗)“十人の乙女のたとえ”を借りてこれそうだな〜とか(先人ではカバラ数秘術とかセフィロトの樹との照応があったり?など、とか)なんで人間は、こんなことを思いついたり考えついたりするのでしょう?

タロットって、なんなんでしょう?

もとい、なんの集まりなんでしょうか?

なんの集まりをまとめたものなんでしょうか。

それぞれの意匠・象徴には、人生や世の中で見られることのいずれかが、およそなんぴとも何事も該当します。

それらが、人々の手に手に渡る中でも、変わったり変わらなかったりして、おおよそ今の姿になっています。

イタリアのトライアンフ(凱旋行軍)などをモチーフにもして(ということは、ペトラルカという人物の詩編『トリオンフィ』に見られるモチーフであるとか)、絵に落とし込んできた画家たちや絵札のアイディアを出し合った人々は、何を見て生きてきて、タロットの絵柄に遺してきたのでしょう?

その後もタロットを手に手にしてきた人々は、何を見て生きてきたのでしょうか。

そして、タロットの絵柄に、何を反映してきたのでしょうか。


コバトンボの個人的な見解ですが

人間が、人類全体をしてもって、その知性が表し得る限りの、スタンダードな世の中の構造が現れてるのかなと。


何を言ってるんでしょうね(笑)


個人と家族と集団と社会と国家と…この意識や概念の入れ子な構造は、(順番は変動するとしても)これ以上の次元を組むことが、人類には難しいのではないのかなと。

これ以上の次元で人類の営みについて考えたり捉えようとすると、既にある入れ子のいずれかまたはいくつかを放棄しないと組めなかったり、先天的に知性面で優れた一部の人々(いわゆるギフテッド?の人々)しか既存の枠組みや概念を(たぶん維持や保存したままでは)超えられなかったりする(ソレが秘密結社やカバリストなどの人々が目指してたもの?だったりする?)のではないかな?と。

関係ないと思いますけど、人間の大脳新皮質は6層構造だとかで…関係ないとは思うけど(汗)一般的に構造的に世の中とか世界を捉えるなら(脳の物理的な構造のせいで?人間が基本的に備えているスペックがために?)これが限界だったりするのかしら?なんて…そのせいで、それ以上の人間とか民族とか人類の集まりの構造化や概念化は(一部の天才以外にとっては)難しいって事は、無いかな?って

(5層が各次元の構造で、残り1層が旅をするためのもの…みたいな。実際には、その限りでなく脳の灰白質は自由に機能するんだと思いますけれども)

(そーゆーこととは関係なく、フツーに物理的に・物量的にムリなんだったりして)


思うだけなら自由です。

コバトンボには確かめられません。

こーゆーの、たぶんやりすぎたら都市伝説というか、クール・ド・ジェブランの『原始世界』的になってくるんだと思いますが…ソレはソレでスゴイですが(汗)そんなスゴイ厨二エネルギーはコバトンボには無いみたいです。


個人と家族と集団と社会と国家の内で、実はたぶん枠組みがあるようで無い・数に限りが無いのは、集団という概念のように考えています。

たとえば様々ある国家間での集まりも、国家の代表者を介して集団枠にすることで、様々な機関を営んでいるのではなかったかなと。(たとえば欧州EUとか国連といったモノも、国家の上位にあるような集合体に見えて、その実は国家の代表や機関が繋いでいる集団枠であるに過ぎないのかなと。各々の国家がちゃんと独立的である限り、その集団枠に煮溶かされる事は無くて済むというか。)

だからこそ、何かを踏まえたり踏まえなかったりしながら、集団というものは自由に枠組みを形成したり、解散したりできるのかなと。

集団というものは、他の枠組み(個人、家族、社会、国家)を溶かして(あるいは枠組みを残したまま)取り込むこともできるみたいです。

そもそも、個人も家族も社会も国家も、集団というものの一部だから…かな?

ブレーンストーミングです。現実はこの限りではないと思います。事実は小説よりも奇なり…フィルドワークも欠いて想像力不足な話者は勘違いしている人として疎まれやすい。自戒したいところですが。


コバトンボの脳みそは、たぶん“貘”の可塑化に縛られているところがあるので、そこの所をご注意頂きながら読んでもらえたら幸いです。


よく、旅をしろと人は言ってきました。

可愛い子には旅をさせ。とかね

いずれは枠組みを超えるチカラ・各々の領域を渡り歩く能力を備えなさいって、意味なんだと思います。


タロット以外にもオラクルカードは多岐にわたりますし、タロットの絵柄や種類は、もしかすると(実際に、個人の自作なんてものも含めていけば、たくさんの絵柄や解釈はあるようで)今後も変わっていくだろうとしても…

なぜ今現在のスタンダードなタロットパック・一般的なものの絵柄は「占いやすい」のかな?と

それは、私たちの見ている世界全体のことと人間社会の仕組みが反映しているから、なのかなと。

コバトンボは、タロットのことを都市型占術などと考えています。

カードゲームが切り札として凱旋行軍トライアンフや詩編トリオンフィのモチーフを取り込んだり、国々を旅してたくさんの人々の手に手に渡りながら、付け足し・削ぎ落としを経て…なんだかんだ言ってタロットの象徴群は、文明の構造を端的に編纂してくれているように捉えています。

だから、文明によって立つ暮らしをしている人には、違和感のない・発見の多い卜占(ぼくせん)かもしれません。


そんなわけで“貘”は、文明の構造を端的に編纂しているタロットの象徴群を関数(?)にして、組んでみた“エンジン”である…らしいです。

エンジンの起動は気付きの着火で、エネルギーは心のチカラなんですかね。


さて、タロットそのものが現代までの文明の構造を端的に編纂しているものなのだとしたら、何を表せるでしょう?


先に、こういうもんなんだなと知っておいたらよいものって、多いですよね。

徒然草にも「先達はあらまほしきものなり」って、言いますし。

私たち日本人が、けっこう喪失しているのは、たぶん「国って、どういうものなの?」といった全体像だったりすると思います。

だから縁のあった集団の性質や思想に依って立つ傾向が強くなって、国家といった枠組みについては思い及び難い・概念が無い傾向も、強くなってた気がします。

国というものを真面目に考えたい人々が増えてきたこれからは、どうかはわかりませんけれども。


そんなわけで

最初から、「それなりの文明によって立つ国家って、どういう構造をしているの?」ということが判ってたら、不安に思うことが減るかもしれないなと考えました。

“貘”は、たぶん幾つもの枠組みを経て国家の枠まで考えている個人の、頭や心の中を表している構造でもあり…国家ってこんな感じだよってことを表している構造そのものでもあります。たぶん

もとい、国家的な枠組みを表しているので…なんらか集団の構造や性質を読み解くツールやリトマス試験紙みたいにも、使おうと思えば使えるのかもしれません。たぶんたぶん

(国家とは、個人の属する家族家庭があって社会が形成されて…取りまとめる機関や単位など、次元化した集団というものの行き着く先の有り様なのかもしれません。たぶん言語も、国や社会の形成には重要ですよね。)


建国記念日に、なにか面白いことが話せていたようならば幸いです。


“貘”には、個体としての独立性があるように、国家の独立性ってどんな構造なのか?ってことも端的に現しているみたいです。

個体と国家の、ある種の理想型?を示しているのだとしたら…実際の有り様と照応してみては、部分の偏りや欠落・正逆回転などがあることを参照すると、ある程度の解決策も見通せるのかも知れません。たぶんですよたぶん。

心の燃料、タップンタップン(爆)


次回は、“貘”を介して「十人の乙女のたとえ」を旅してみようと思います。


セフィロトの樹は…頭のよい人たちが集まって一生懸命考えてきただけあってちょっと難解というか正直よくわからないし、話にしようとするとやっぱりこじつけになっちゃうから難しいなぁ(汗)