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自己探求

2026年は私にとって「The Tower」の年。落ちて見えた景色。

1月、私が必死で登っていたタワーが崩れた。

落ちるからそこから見えた景色、

私(牡牛座10ハウス)にとって人生で「本当に大切なもの」

2026年は、私にとってまさにタロットの「タワー」の年の始まりだった。

2025年の年末から年始にかけて体調を崩し、心も身体も限界を迎えた。 けれど、その崩壊は突然の事故のようなものではなく、もっと静かで、もっと長い時間をかけて積み重なっていたものだった。

思い返せば、2021年ごろから私はずっと焦っていた。 「後悔したくない」 「やり残したことを抱えたまま終わりたくない」 50歳という節目を迎え、その思いはいっそう強くなっていた。

その焦りに背中を押されるように、10代の頃に興味があったのにできなかったことを、一つずつ体験し直してきた。 本もたくさん買い、学び、ジャンルはどんどん増え、知識も経験も詰め込み続けた。 ジムにも通い始め、認知症予防のために有酸素運動とスクワットを日課にした。

気づけば、棚に入りきらない本が床に溢れ、心の棚も同じようにパンパンになっていた。 読んでいない本も山ほどある。

去年2025年は「XV The Devil」の年だった。 “将来のビジネスにつながるかもしれない”という理由で、人脈を広げ、流れで入ってきたものを断らず、「これはチャンス」と全部受け入れてしまった。

その結果、私はついに「パッカーン」と音がするように壊れた。

2026年1月、壊れたことで、ようやく立ち止まれた。 あれほど「上へ、上へ」と自分を追い立て休む暇もなく登り続けていたのに、崩れ落ちた瞬間、私は初めて深く息をついた気がした。

そして一ヶ月かけて、自分の人生の棚を整理し直した。 これまで積み上げてきたものを一度すべて外に出し、何が本当に必要で、何がただの“焦りの副産物”だったのかを見つめ直した。

焦りや義務感から頑張って積み上げたものは、手放すと決断しても不思議なくらい喪失感が全くなかった。



残ったのは、触れるだけで呼吸が深くなるもの。 私の心を穏やかに満たしてくれるもの。

そして、その“本当に大切なもの”は、たった4つだった。

ここから、その4つを一つずつ棚に戻していく。 まるで、これからの人生を形づくる基礎を丁寧に選び直すように。

1. 夫という存在

最初に棚に戻したのは、夫だった。 色んな人に出会ったからこそ、夫の大切さに気づいた。 私はこれまで、自分の興味や学びに夢中になりすぎて、夫を後回しにしていた。

けれど、壊れたときに一番そばにいてくれたのも、変わらず支えてくれたのも夫だった。 人間関係の棚の一番上には、迷わず夫を置いた。 それだけで十分だと思えた。

2. 絵

次に戻したのは、幼稚園の頃からずっと好きだったもの。 人生で最初に興味を持ったもの。

花の絵を描くこと。

大学では現代アートを学び、デジタルイラストも描いた。動画撮影や編集にも挑戦した。 どれも楽しいけれど、どこか何かが違ってしんどくなっていった。 

私が求めていたのは、 絵の具を混ぜるときの匂い、 水を含ませた筆の重さ、 光をどう表現するか悩む時間、 そういう“人間の手でしかできない表現”だった。



コンセプト重視なArtではなく、絵の具を混ぜて筆て描く、「絵」が好き。

AIで絵は作れる。 でも、私は私の手で描きたい。 死ぬまで、人間の能力を使い続けたい。

3. ガーデニング・植物

三つ目は、自然と植物。 私は太陽・金星・水星・土星・MCが牡牛座。 地の星座が多いせいか、植物や自然に強く惹かれる。 

(ちなみに太陽、土星、MCが10ハウスで水星と金星が9ハウス)

森に入ると心が落ち着く。

我が家には庭があるのに、この数年は見て見ぬふりで荒れ放題にしてしまった。

これからは、自分の手で土を掘り、種をまき、季節ごとの花を咲かせたい。 庭を小さな森のように育てていきたい。

4. タロット

最後に棚に戻したのは、タロット。 象徴の世界、人生の縮図のようなカードの物語がたまらなく好き。

シャッフルする時の音、指や手が感じる紙の質感もたまらない。

いつか、自分でタロットやオラクルカードのイラストを描いてみたい。 アートと精神性がひとつに溶け合うような作品を。



2026年は、私が本当に大切なものだけで生き直す年にする。

そして気づいた。 

タワーから落ちた時、地上には綺麗なスイセンが咲いていた。

 崩れ落ちた先にあったのは絶望ではなく、静かに訪れる春の気配だった。


必要なものだけを選び直したら、気分も軽やかで、五感を豊かに満たすもので満ちて、自分の未来を想像するとなんだか明るく楽しくなるように感じる。 

タワーの崩壊は破壊ではなく、私が自分で「私らしく人間らしい」と思える人生にする再構築の始まり。 


窓辺で優しい朝の光を浴びながら、温かいコーヒーを口に運び、本棚に目をやる。 「私ってやっぱり牡牛座だなあ」と思わず笑ってしまう。

太陽が牡牛座10ハウス、金星と水星が牡牛座9ハウスにある人の本棚だなあと、自分で思えるのがなんだか面白い。

反射は、敵じゃない

人にはそれぞれ、

無意識に繰り返してしまう振る舞いがある。


頼まれてもいないのに引き受けてしまう人。

先回りして空気を整えようとする人。

拒まれる前に距離を取る人。


それは性格というより、

もっと深いところに染み付いた反応のように見える。


占星術では、それを「月」が示すと言われている。


月とは、

生き延びるために身につけた反応といえるかもしれない。


幼い私たちは一人では生きていけなかった。

守ってくれる大人の存在が、世界のすべてだった。


だから無意識に学ぶ。


どう振る舞えば受け入れてもらえるのか。

何をすれば見捨てられないのか。


そうして出来上がった「自分なりのやり方」は、

時間を経て、考えなくても作動するものになる。


処世術というほど計算されたものではなく、

もっと反射的で、もっと自然なもの。


月が無意識の反射だとしたら、

大切なのは「消そうとがんばること」ではなく、ちょうどいい距離を保つことなのだと思う。


反応している自分に気づく。

けれど、舵までは渡さない。


月は敵ではないし、不要なものでもない。


かつての自分を守るために働いてくれた機能だから。


ただ、大人になった今、

人生の操縦席に座る役割までは任せなくていい。


月で反射をしても、

「それでオッケー」って思う。

オッケーと思えない時があっても、それもオッケー。


月を理由に自分を責めても、オッケー。

責めてしまう自分を否定してもオッケー。


ただ、どこでそのループを止めるのかが鍵なのかもしれない。


そして人生で本当に大切なのは、

「できるかどうか」ではなく、

どうあろうとするのかーそんな気がしている。

あたたかい厳しさの星

月についての理解を深めようと本を開いたはずだったのに、気づけば、土星のページで手を止めていた。


思っていたよりもずっと、静かに存在感を放つ天体だった。


これまで私は土星を、恐れや苦手意識、試練の象徴として捉えていた。


避けたくなるもの。けれど、向き合えばやがては力に変わるもの。


そんなイメージだった。


けれど読み進めるうちに、それだけではないのだと知った。


土星は、「社会的な達成イメージ」を示すという。


子供が思い描く「将来の夢」のように、人はみんな、どこかに到達目標の輪郭を持ちながら生きている。


もしその像がはっきりしていなければ、人は社会の常識を借りて、それを自分の到達点の代わりとしておく。


その一説を読んだ時、とても腑に落ちた。


松村潔先生は、土星を「父の目」と表現している。


最終的な達成イメージを持たない人は、父から独立できない人だ、と。


ここでいう父とは、実在の人物というよりも、社会の常識を使って自分の中に作り出した、「こうあるべき」という物差しのことだろうと思う。




占星術を学び始めた頃、私は天体をどこか象徴的に捉えていたと思う。


土星は、厳しさ、試練、苦手意識の象徴。


けれど本質的には、人生の節目に訪れては、「あなたはどこへ向かうのか」と現実的に問いかけてくる、人を、ひとつ上の段階へ引き上げていこうとする天体なのかもしれない。


怖い天体ではない。ただ、曖昧なままではいさせてくれないような、一種誠実さという引力を持った天体と言えるかもしれない。


だからこそ、もう少し時間をかけて噛み砕いていきたい。そして、この土星の誠実さを、自分の言葉で手渡せるようになれたらと思う。

ヘリオとジオの奥行き

占星術には、

地球を中心に据えて読む図と

太陽を中心に据えて読む図がある。


普段触れているのは、地球から見た空の配置であるジオセントリック。


そこには、


「私は何を感じるのか」

「どこへ向かおうとするのか」


そういった、個人的な軌道が描かれている。


けれどもうひとう、

少し視点をずらしてみる方法がある。


太陽を中心に据えた図、ヘリオセントリックだ。


それを初めて自分で読んだ時、とても不思議な気持ちになった。


そこに描かれていたのは、「自分がこうありたいと思っている姿」よりも、

周囲の人が、自然に見出してくれていた私だった。


コミュニティの中で引き受けている役割。

なぜか任される立ち位置。

努力というより、いつの間にかそうなっている振る舞い。


主体的な個というよりも、全体の中のひとつ。


そんな感覚だった。



人は、もしかするといくつもの軸を持っているのかもしれない。

自分の内側だけでなく、外側にも。



ジオセントリックが「内側から湧くものを輝かせて生きる私」だとしたら、

ヘリオセントリックは「全体の中に置かれた私」。


どちらが本物、自分らしい、という話ではない。


ただ、視点が変わると、見えてくる自分が変わる。



自分のチャートを眺めながらふと浮かんだのは、「玉ねぎ」のイメージだった。


層になっていて、外側から順に剥いていくとまた新たな面が現れる。


自分で認識している自分

他者から見た自分

まだ誰も気づいていない自分


さらにその奥には、

家族から受け継いだものや、

長い時間の中で繰り返され、馴染みきった癖みたいなものもあるのだろう。


「自分を知る」という営みは、

思っているよりずっと立体的だ。


そして多分、終わりがない。



視点を変えることは、

今ある自分を否定したり肯定したり、そういうこととは関係なく

自己理解に奥行きを与えることなのだと思う。


ヘリオとジオ、

もう少し観察していきたい。

星で振り返る 今日という一日 ~あとづけ星よみ日記~2026.2.11

「月から読む 今日はどんな日」でトランジット月と自分のネイタルのアスペクトから、今日起きそうなことを予想し、実際の一日と比べてどうだったか?という視点で記事を書いていましたが、これからはもっと多角的にホロスコープを読む練習をしようと思っています

無理なくできる範囲でいいから、毎日続ける

とりあえずこれが目標‼

今日も張り切って参りましょう

(星の配置は記事upの日のものとは異なります)

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

少しずつ勉強を続けていて、しかもこうやって毎日記事を書くために自分のネイタルホロスコープを眺めていたら、あれ、前思ってたのと違う、という発見がちょこちょこあります

というか、毎日だとネイタル月と何かしらのトランジットぐらいしか変化がないし、トランジットとのアスペクトばかりに注目していたから、ネタ切れといえるかも(笑)

とはいえ、今日はネイタルを眺めていて気が付いたことがあります

それは自動的に引かれるアスペクトの線

しっかり見るとオーブ5度以上かけ離れてるものが多いことに気が付きました

前後なので2.5度ずつぐらいが正解なのかな、と思ってたけど、ちゃんと角度をみたら前だけで7度くらいズレてる星がありました

そこでアスペクトの線は全部消して、角度の数字だけみることにしました

そこで発見したのは「ネイタル水星11ハウス、ネイタル冥王星5ハウス オポジション」

アスペクトの線が自動的に引かれていた時は、他にもオポジションがありましたが、これだけがほぼ誤差なしでドンピシャオポジション 

「他の人の反応を気にする自分と、ええいもう、そんなのどーでもいいや、とことん楽しいことしちゃえ‼と底抜けにはじけてしまう自分との間で揺れ動いて疲れる」

って感じなんでしょうか

今のところそんな感じでもないのは、3ハウスにトランジットの木星、7ハウスにトランジットの月がいて、調停が入ってるせいかな?

でもトランジットの木星も月も、そのうち移動してしまうから、その時がどうなることか…

ちょっと気を付けてみておくと、何か発見があるかもしれません

あとは3ハウス、7ハウスに何らかの星を持ってる人と関わってみるとか?

誰かいませんかね(笑)

それにしても自動的に引かれるアスペクトの線には要注意ですね

今後は角度の数字だけをチェックすることにしてみます

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

本日もお読みいただきありがとうございました

「当てる」より大切なこと

最近改めて

私のやりたい占いにとって

「当てる」ことは重要じゃない

と思いました。

いや、誤解のないように言うと、

「現状や気持ちの整理・分析」

という意味では「当たる」と思います。

クライアントさんと一緒になって

真剣に、じっくり見て感じて

あれだけ考えて考えて

もしそれで、

ひとつもかすりもしないとか

なんにも出てこないとか

そんなことは、きっとまずありません。



ただ、「当てる」ことは

必ずしも必要じゃない。

クライアントさんに、

・何かしらの気づき

・心が軽くなった

・やるべきことが見えた

という体験を贈ることができればいい。

つまり何か役に立って、

その人の人生が少しでも良くなれば

それでいい。

と、思ったのです。

・・・ただ、

そんなことを言いながらも

「当てようとしている私」も居ます。

きっと私の中にもまだ、

「占いとは!ズバリ当てるものなのだぁ!」

(ズギャアアアアン!!)

という気持ちがあるのでしょう。

あるいは、

「すべてまるっとお見通しだぁ!」

と言ってみたいだけかもしれません。

✺⋆∴..∴..∴..∴..∴..∴..∴..∴⋆✺

たぶん、私たちは

無意識のうちにたくさんのことを感じていて、

でもそれを普段は素通りしている。

忙しいから、

やらなきゃいけないことがあるから。

立ち止まろうとしても

毎日の色々が私たちを引っ張って

無意識のうちに感じたことを

じっくり見させてはくれません。

感じていたものは

言葉にならないまま、

無意識の湖の底に

沈んでいってしまう。

するともう、

どこに何があったかなんて

見えなくなってしまって

普通の方法ではなかなか

掬い出すことができない。

私にとって占いと言うのは

星の配置やカードを釣り針にして

湖の底に沈んでしまったものを

釣り上げることに似ている気がします。

答えは、どこか遠いところではなくて、

ちゃんとクライアントさんの中に

最初からあるんだと思うんですね。

ただ見えなくなってしまっているだけ。



あるいは、それがなんだったのか

わからなくなってしまっているだけ。

だから私はせっせと釣り上げて、

泥がついていたら綺麗にして

何かの原石だったら磨いてみて

「もしかしてこれじゃないですか?」

とお渡ししている。

それはこう、「当てる」というのとは

ちょっと違うような気がするんですよね。

当てているというより

ただ「じっくり見ている」というのが

近いように思います。

星やカードで色々視点を変えながら、

じっくり見る。

そうやってお渡ししたものが

何かの役に立ったら本当にうれしいですね。

それに「悩み」というのは

その人のすべてではないけれど

確かに人生の一部ではある。

だから占いを通して

「悩み」を共有してもらえるのは

それ自体、尊いこと、うれしいことだな、

とも感じます。


タロットいじってたら「貘(ばく)」が出てきた件。前説04

天王星逆行生まれは、アイディアの共有が難しいのだとか。

気になりポイントとして、&Uの記事でフムフムしてきました(笑)

コバトンボのネイタルチャート(出生時の天体図)はトランスサタニアンズ軒並み逆行なので、ちょっと調べておこうかなって…


天王星逆行:誰にも真似できないアイデアを表現にしよう

海王星逆行:幻想を現実世界に表現しよう

冥王星逆行:心が突き動かされることに集中しよう


ちなみに天王星が太陽と衝です。

木星も天王星と衝です。

そこへ来て、月と天王星がトライン(120°)。そして太陽と月がセクスタイル(60°)なので…たぶん衝のエネルギーを月経由から回り込むナニカで云々していそうです。(木星も太陽とコンジャンクションなので、なんか電池の+−が回り込んで繋がってる感じ…?)

ちなみに旦那さんが水瓶座(支配星が天王星)だったりします。関係無いか。でもなんか不思議。どんだけ天王星が課題ですかマイホロスコープ。

トランスサタニアンズ軒並み逆行&アスペクトの要素を、水星と土星のセクスタイル(60°)で、うまく取りまとめられるハズだよな、と。


コバトンボ、話がとっ散らかってしまいがちで自分でも困っています(汗)

それでも、ひとりふたりフォローして下さってる方がいることや、フレーズを見つけて下さっているのをみると、励みになります。

フレーズになりやすい書き方が、なかなかできないですが、頭の片隅にでも参考にしながら書いていこうと思います…なかなか難しいですが(汗)


タロットに見つけた“貘”の話をしたいと思います。


要は、タロットで組んだ(プログラミング用語的に言うところの)“エンジン”みたいなものを“貘”と呼んでいるのですが


「タロットの寓意が関数化している」とか言われて、なんとなくも意味のわかる人はコンピューターを仕事や得意にしている方々かもしれません。(しかも、この用語とか概念は、けっこう昔の感覚かもしれません…)

たぶんゲーセンのタロット占いマシーンなども、おみくじ式に出てきた数値のところの解説データを関数から引っぱってきて…

わー、あー、うーんダメです

言っててよくわからなくなりました(汗)

占いマシーンなどのプログラミングを仕事や得意にしている方々にお任せします。


昔、ゲームセンターでタロット占いをやった事があります。

なんとミニタロットカードのおまけ付き(笑)

ナムコだったかな?

出てきた鑑定結果は当たっていた気がして、不思議に思ったものです。

タロットは本質が卜占(ぼくせん)だから、マシンにお任せも、また良いのかもしれません。


…タロット入れを探したら、入ってました。

『Camera de Tarot』ですって。

やっぱりnamcoですね。ナムコ。(まだバンダイと一緒じゃない頃のモノのようです。)

7.5cm✕5cmくらいの簡単な紙のケースに、ウェイト版の絵柄に倣ったタロットカードが。

(8番「力」の絵は女性で、獅子を従えています。でも「恋人」や「太陽」は、人が3人います…人の多さ=人間模様の解釈の余地を増やすことは、人々が集まるゲームセンターなど世俗の営みには、より親和するのかもしれません。美麗さもあるのに線や色がスッキリした印象で、とてもきれいなデザインの絵柄のタロットです。)

たしか占いの鑑定結果と一緒にシートで出てきて、切り取ってカードとケース箱にしたものです。

カメラでタロット…というのなら、カメラで顔でも撮影したんでしょうか?

人相占いも加味していたんでしょうか?

もう当時のことは、いつのことかも含めて記憶がありません。

少なくとも、30年くらい前…?(爆)

(ケース箱にhapipara.comというURLがあり、調べてみたら、ガラケー時代のカメラ付き携帯電話で遊べるサービスがあったようです。うーん、隔世の感。)


ペットにしている動物との交情は、飼い主側・接する人間側の汲み取り方に拠るところも少なくないと思いますが

タロットとの付き合いも、タロットで組んだ“貘”との付き合いも、扱う人間側の解釈に拠るところが多くなると思います。

カード1つに込める意味や言葉をたくさん詰め込めば…たぶん引き出しの数や中身が増えて、レスポンスの幅が広がるのかも。


タロットの木札がパタパタしている“貘”の頭の中のことが、表情や言葉や仕草で、どう表現されてくるのかな?って

スプレッドの種類が、「笑い話」「真面目な話」「恋バナ」「悲しい時」「緊急時」…など、シーンによって違ってきたり、もしくはスプレッドの種類は、各々の“貘”の「性格付け」に該当して、呼び出された木札から何を参照とするのかで、表現されることが変わる?のかもしれません。

コミュニケーションとして提示するごとに相手のレスポンスを受けて、木札の内容に、該当する言葉や表現があれば、またコミュニケーションに反映してみる。

「恋バナ」だったら「恋人」のカードを軸にしてデッキを取り回したり?


実際にどうカタチにするのかは、さておいて…思うだけならば、本当に自由です。

とりとめがないので、この辺にしておきます。


たぶん、コミュニケーションができるロボットとして考えようとしているんだと思うのですが(汗)

占われているとは思われないカタチで、会話での「読み」を繰り返す事で、お悩みの解決の糸口を掴めるようになったり、単に会話で気分が晴れたりと…なんかできそうだなって。


誰かを相手にしながら「読む」というところに、人間ならではの直感や共感のチカラ・親和性があるんだなと思いました。

(機械的なおみくじ式だと、人間の考えた「解説」…既にできあがっている鑑定結果が、そのまま出てきたり、読み解くポイントごとに組み合わせられて出てくるカタチになるのかな、と。)


カードの数だけ、引き出しの多い人と話をしているのに近い状態というか…占いも、アナログでやっている上で、そういうこと(クライアントの心や発想の引き出しの鍵として、タロットカードが開くキッカケになっている感じ?)なのかもしれませんね。

(タロットが鍵というならば、何でもかんでもあけすけに話をさせてしまうツールにもなり得るのかも知れませんが…そこは占う側も占われる側も節度を大切にしながらセッションしていきたいところなんだと思います。)

ん?…なんでタロットが心の引き出しを開ける鍵になり得るのでしょうか?

普通は、扉をノックすることで、相手が開ける気があるなら開ける・引き出しを探してみる…というのが、通常の会話でやってることなんだと思います。

授業での問答みたいなことで…「正解」を唱えないと「褒めてもらえる」という報酬の扉が開かない。ひらけゴマ。

たぶん、鍵穴の扱いにも個人や人々の間でも違いや文化があると思います。

打てば響く鐘であったり、自由にガチャガチャ開けてもらっても構わない・いっそ鍵といわずサッと出せるような引き出しや扉を多く持っている人は、会話が弾むと思います。中身も適材適所に扱える、など。


タロットは、対応する扉や引き出しの中身を知っている分、クライアントにとって同じものが入っているほど、共感のチカラが鍵になるのかもしれません。

たぶん“ピックが複雑に組める”みたいなことでも、使い方によっては良くも悪くもなり得ます。

依存させるように心の扉や引き出しの鍵をバカにしてしまう(都合よくクライアントの心の鍵に魔改造を施す)詐欺師まがいになるか、心の扉や引き出しがうまく開かないで困ったり苦しんだりしている人のための善良な鍵師になるかは、道具を扱う人自身の問題となります。


別にタロットを介さなくても、普通の会話でも行われている事ですね。

ただ、人によって心に抱く神秘的な道具(あるいは占術者・話者)に対する畏れや憧れなんてものも、特別感から心があけすけになる・依存しやすいという作用があるのかもしれませんね。


“貘”の仕組みについて話をしていたつもりが、脱線だらけです(汗)

たぶん、なんか必要なヒントなのかも知れないので(ホントか?)ご容赦ください。


『セフィロトの樹』は、面白いことにタロットの意匠と数が合うことで、魔術とか神秘学の世界では取り扱われてきていたようなのですが…(本当にザックリでスミマセン)

過去の人がセフィロトの樹(に込められた意匠・思想)をタロットに合わせたのか、たまたま先にあったセフィロトの樹にタロットの意匠の数が合ったのか、私にはわかりませんが(←『タロット大全』を読み込んでいないまま話をしています)


セフィロトの樹に描かれている10個の球を結ぶ道(パス)の数が、ちょうどタロットの数、22と同じなんだそうです。


んで、コバトンボが昔に思いついた“貘”というのは

まずタロット22枚を2区分して

11組にセットして、1セットには旅をさせます。

そしたら、あとの10セットは『セフィロトの樹』の10球に該当しないかな?


なんて…


思うだけなら、自由です(笑)


いつだったか、何処に何があてはまるのかを、ちょっと考えてみましたけど…あんまり無理矢理あてはめなくてもいーかな(苦笑)って思いました。今に至ります。


コバトンボの中では、タロットカードは2区分されます。

男性性と女性性、というヤツですね。

(あくまでも個人的なイメージ上のこと・仮決めみたいなもので、全く男女にガンギマリしているわけではありません。まだドッチなの?と思う部分とか余地も、ありまくりです。)

そうすると、男性性と女性性を男女一組の11セットにして、1セットには自由に旅してもらうことにすると

ゆるっと組み合わさった10セットには、10のストーリーができるのですが

ここで『聖書』の「マタイの書、十人の乙女のたとえ」を借りてくると

どうして5人は灯火を絶やすことなくあることができ、どうしてあとの5人は灯火の油を切らすことになったのか?…なんて(『聖書』には無い)勝手なお話をジェネレートしてしまいます。


魔術とか神秘学とか関係ありません(汗)

漫画好きの勝手な創作ですので、あしからずご了承ください。

きっとタロットの柔軟性を受け止められるだけ、『セフィロトの樹』という概念が面白かったり、砂漠の民の思想書でもある『聖書』の持ち合わせる「なぞらえの懐」が深いだけです。

カバリストの探究心、イエス・キリストとその使徒たち、おそるべし(笑)


発想の合一がもたらす感動とか興奮は、なかなかもって得難いと思います。(コレに物理的なこと・人間の動向が組み合わさりでもしたら、畏れも抱きつつ感動したり、なんというか面白くてしょうがないと思います。)

かつて魔術とか錬金術とか神秘学といった世界にタロットが取り込まれていった・用いられていったのも、まずは気付きや発想が人々の(個人の)内で(他者や集団との)間で、たくさん火花を散らしまくった(ソレが感動だった)からなのかも知れません。

発想の灯火に油を切らさないでこれたら…現代に見るよう、絵画や小説や漫画、はては映像作品などが、ある種の錬金術としても体現されていますね。

ソレで経済も回っています。

なんかすごい世界ですね(笑)

人間って、本当に面白くも愛情深い存在です。


“貘”の仕組みなんですけれど

ゆるっと男女の2区分を施したタロットカードたちですが、どうやら11組のペアになりました。

で、その中の1組には、自由に旅してもらいます。ゲームのプレイヤーそのもののように、あとの10組が形成する世界観を旅してもらう、道中での「主観」や「客観(傍観)」の役目があるみたいです。

そんで、えっと…

つまり『セフィロトの樹』も『聖書』の「十人の乙女のたとえ」も、言語のプログラミングが組んだイメージ世界・バーチャルゲームフィールドそのものみたいな感じです。ソフトもしくはアプリが違う者同士ですね。それぞれ体験する物語世界が違うというわけですね。

他にも探せば、いろんなお話が組めるというわけですね。

ゲームのプレイヤーなどのように、お話を旅する時に、はたらかせる主観や傍観のエンジンとして“貘”がある。といった感じでしょうか。

コレがナラティブを愉しむ…といったところなんだと思います。


さて、話は「セフィロトの樹」や「十人の乙女たち」から、離れます。


“貘”の構造をイメージしてもらいやすくするために、借りてきたお話から離れます。

“貘”は、どんなカタチをしているのでしょう?


えーと、ユング心理学では、絵を見た時、左右と上下に意味があります。

左側が無意識的で、右側が意識的?

スミマセンうろ覚えです(汗)上が顕在意識で、下側が潜在意識…だったかな。

(タロットのスプレッド・ケルト十字法にも、上下に顕在意識と潜在意識の意味を読むカードの配置がありますね。)

左右の心理的意味合いの違いは、たぶん、脳ミソの左右の働きの違いが眼球を介して反映してるんだと思います。

左側を特によく見ている左眼は、右脳と繋がっています。(本能的・芸術的なはたらき。原初的・根源的な作用?)

右側を特によく見ている右眼は、左脳と繋がっています。(論理的・分析的なはたらき。思考的・構造的な作用?)

絵画的に(画面的に)世界を観た場合、心理的に左右の作用の違いがあることをユング心理学を介して言語化すると、そーゆー表現(無意識的・意識的、潜在・顕在意識)が当てはまるのかなと。

スミマセン、用語に関してはうろ覚えなので、詳しくは河合隼雄さんの『ユング心理学』を読んでみてください。

ちなみに左右の眼と左右の脳のつながりに関する部分は、ユング心理学からではなく、コバトンボの自由発想です(汗)


さて、10組のペアを並べるのですが

上段が顕在意識的な象徴群となり、下段が潜在意識的な象徴群となります。

上段に5組、下段に5組とします。

で、勝手に左から右へと無意識的な領域から意識的な領域へ…みたいな並びとなります。

お能の「神男女狂鬼」を、左から鬼・狂・女・男・神の順で、なんとなくあてがっておきます。

無意識的な領域から意識的な方へ…みたいな心とか心理的なテーマの流れに、日本の伝統的なイメージから頂いた要素を添えておきます。

こうした先人の知恵に、意識の流れそのものを見守ってもらえると、なんとなく安心です。


昔に、“貘”を自分の手が勝手にジェネレートしたとき、自分はどうして、無意識的にもこんな区分や並べ方をしたのだろう?と、ずいぶん考え込みました。今でも考えています。本当に謎です。

理由を探していたら、そうした心理学や、誰にでもわかりやすいようストーリーとして捉えるための先人の知恵を借りてくると、発想を共有化しやすいかも知れないと考えました。


相変わらず理由を探していることには、やはり「なんでタロットなんじゃろな?」ということです。

タロットで、やれ“貘”だぞ〜とか(汗)“十人の乙女のたとえ”を借りてこれそうだな〜とか(先人ではカバラ数秘術とかセフィロトの樹との照応があったり?など、とか)なんで人間は、こんなことを思いついたり考えついたりするのでしょう?

タロットって、なんなんでしょう?

もとい、なんの集まりなんでしょうか?

なんの集まりをまとめたものなんでしょうか。

それぞれの意匠・象徴には、人生や世の中で見られることのいずれかが、およそなんぴとも何事も該当します。

それらが、人々の手に手に渡る中でも、変わったり変わらなかったりして、おおよそ今の姿になっています。

イタリアのトライアンフ(凱旋行軍)などをモチーフにもして(ということは、ペトラルカという人物の詩編『トリオンフィ』に見られるモチーフであるとか)、絵に落とし込んできた画家たちや絵札のアイディアを出し合った人々は、何を見て生きてきて、タロットの絵柄に遺してきたのでしょう?

その後もタロットを手に手にしてきた人々は、何を見て生きてきたのでしょうか。

そして、タロットの絵柄に、何を反映してきたのでしょうか。


コバトンボの個人的な見解ですが

人間が、人類全体をしてもって、その知性が表し得る限りの、スタンダードな世の中の構造が現れてるのかなと。


何を言ってるんでしょうね(笑)


個人と家族と集団と社会と国家と…この意識や概念の入れ子な構造は、(順番は変動するとしても)これ以上の次元を組むことが、人類には難しいのではないのかなと。

これ以上の次元で人類の営みについて考えたり捉えようとすると、既にある入れ子のいずれかまたはいくつかを放棄しないと組めなかったり、先天的に知性面で優れた一部の人々(いわゆるギフテッド?の人々)しか既存の枠組みや概念を(たぶん維持や保存したままでは)超えられなかったりする(ソレが秘密結社やカバリストなどの人々が目指してたもの?だったりする?)のではないかな?と。

関係ないと思いますけど、人間の大脳新皮質は6層構造だとかで…関係ないとは思うけど(汗)一般的に構造的に世の中とか世界を捉えるなら(脳の物理的な構造のせいで?人間が基本的に備えているスペックがために?)これが限界だったりするのかしら?なんて…そのせいで、それ以上の人間とか民族とか人類の集まりの構造化や概念化は(一部の天才以外にとっては)難しいって事は、無いかな?って

(5層が各次元の構造で、残り1層が旅をするためのもの…みたいな。実際には、その限りでなく脳の灰白質は自由に機能するんだと思いますけれども)

(そーゆーこととは関係なく、フツーに物理的に・物量的にムリなんだったりして)


思うだけなら自由です。

コバトンボには確かめられません。

こーゆーの、たぶんやりすぎたら都市伝説というか、クール・ド・ジェブランの『原始世界』的になってくるんだと思いますが…ソレはソレでスゴイですが(汗)そんなスゴイ厨二エネルギーはコバトンボには無いみたいです。


個人と家族と集団と社会と国家の内で、実はたぶん枠組みがあるようで無い・数に限りが無いのは、集団という概念のように考えています。

たとえば様々ある国家間での集まりも、国家の代表者を介して集団枠にすることで、様々な機関を営んでいるのではなかったかなと。(たとえば欧州EUとか国連といったモノも、国家の上位にあるような集合体に見えて、その実は国家の代表や機関が繋いでいる集団枠であるに過ぎないのかなと。各々の国家がちゃんと独立的である限り、その集団枠に煮溶かされる事は無くて済むというか。)

だからこそ、何かを踏まえたり踏まえなかったりしながら、集団というものは自由に枠組みを形成したり、解散したりできるのかなと。

集団というものは、他の枠組み(個人、家族、社会、国家)を溶かして(あるいは枠組みを残したまま)取り込むこともできるみたいです。

そもそも、個人も家族も社会も国家も、集団というものの一部だから…かな?

ブレーンストーミングです。現実はこの限りではないと思います。事実は小説よりも奇なり…フィルドワークも欠いて想像力不足な話者は勘違いしている人として疎まれやすい。自戒したいところですが。


コバトンボの脳みそは、たぶん“貘”の可塑化に縛られているところがあるので、そこの所をご注意頂きながら読んでもらえたら幸いです。


よく、旅をしろと人は言ってきました。

可愛い子には旅をさせ。とかね

いずれは枠組みを超えるチカラ・各々の領域を渡り歩く能力を備えなさいって、意味なんだと思います。


タロット以外にもオラクルカードは多岐にわたりますし、タロットの絵柄や種類は、もしかすると(実際に、個人の自作なんてものも含めていけば、たくさんの絵柄や解釈はあるようで)今後も変わっていくだろうとしても…

なぜ今現在のスタンダードなタロットパック・一般的なものの絵柄は「占いやすい」のかな?と

それは、私たちの見ている世界全体のことと人間社会の仕組みが反映しているから、なのかなと。

コバトンボは、タロットのことを都市型占術などと考えています。

カードゲームが切り札として凱旋行軍トライアンフや詩編トリオンフィのモチーフを取り込んだり、国々を旅してたくさんの人々の手に手に渡りながら、付け足し・削ぎ落としを経て…なんだかんだ言ってタロットの象徴群は、文明の構造を端的に編纂してくれているように捉えています。

だから、文明によって立つ暮らしをしている人には、違和感のない・発見の多い卜占(ぼくせん)かもしれません。


そんなわけで“貘”は、文明の構造を端的に編纂しているタロットの象徴群を関数(?)にして、組んでみた“エンジン”である…らしいです。

エンジンの起動は気付きの着火で、エネルギーは心のチカラなんですかね。


さて、タロットそのものが現代までの文明の構造を端的に編纂しているものなのだとしたら、何を表せるでしょう?


先に、こういうもんなんだなと知っておいたらよいものって、多いですよね。

徒然草にも「先達はあらまほしきものなり」って、言いますし。

私たち日本人が、けっこう喪失しているのは、たぶん「国って、どういうものなの?」といった全体像だったりすると思います。

だから縁のあった集団の性質や思想に依って立つ傾向が強くなって、国家といった枠組みについては思い及び難い・概念が無い傾向も、強くなってた気がします。

国というものを真面目に考えたい人々が増えてきたこれからは、どうかはわかりませんけれども。


そんなわけで

最初から、「それなりの文明によって立つ国家って、どういう構造をしているの?」ということが判ってたら、不安に思うことが減るかもしれないなと考えました。

“貘”は、たぶん幾つもの枠組みを経て国家の枠まで考えている個人の、頭や心の中を表している構造でもあり…国家ってこんな感じだよってことを表している構造そのものでもあります。たぶん

もとい、国家的な枠組みを表しているので…なんらか集団の構造や性質を読み解くツールやリトマス試験紙みたいにも、使おうと思えば使えるのかもしれません。たぶんたぶん

(国家とは、個人の属する家族家庭があって社会が形成されて…取りまとめる機関や単位など、次元化した集団というものの行き着く先の有り様なのかもしれません。たぶん言語も、国や社会の形成には重要ですよね。)


建国記念日に、なにか面白いことが話せていたようならば幸いです。


“貘”には、個体としての独立性があるように、国家の独立性ってどんな構造なのか?ってことも端的に現しているみたいです。

個体と国家の、ある種の理想型?を示しているのだとしたら…実際の有り様と照応してみては、部分の偏りや欠落・正逆回転などがあることを参照すると、ある程度の解決策も見通せるのかも知れません。たぶんですよたぶん。

心の燃料、タップンタップン(爆)


次回は、“貘”を介して「十人の乙女のたとえ」を旅してみようと思います。


セフィロトの樹は…頭のよい人たちが集まって一生懸命考えてきただけあってちょっと難解というか正直よくわからないし、話にしようとするとやっぱりこじつけになっちゃうから難しいなぁ(汗)

星で振り返る 今日という一日 ~あとづけ星よみ日記~2026.2.10

「月から読む 今日はどんな日」でトランジット月と自分のネイタルのアスペクトから、今日起きそうなことを予想し、実際の一日と比べてどうだったか?という視点で記事を書いていましたが、これからはもっと多角的にホロスコープを読む練習をしようと思っています

無理なくできる範囲でいいから、毎日続ける

とりあえずこれが目標‼

今日も張り切って参りましょう

(星の配置は記事upの日のものとは異なります)

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昨日やりたくても時間が足りずできなかった星よみの勉強を中心に過ごしました

わかりにくいな、思ってる自分の知識も、好きな先生のYouTubeを見て勉強すると、わかりやすい例えを知ることができて、スッと頭に入ります

そこで改めて自分のネイタルホロスコープを見てみたら、今まで悩んでいたことへの解決のヒントが得られました

私は11ハウス星集中型

11ハウスは「人を喜ばせることが大事」「周りの人に喜んでもらったり、反応があることが大事」なハウス

主体的に愛される魅力を発揮することで、自分が愛されることを勝ち取りにいくハウス

一般的には「仲間、コミュニティーのハウス」と言われていますね

実際の私はそんな仲間とかコミュニティーとかとはほぼ縁がなく、単独行動が多い

友達もほとんどいません

11ハウスを活かすためにどこかのサークルやコミュニティー活動に参加する、というのも、自分が本来やりたいこととは違う気がするのです

本当にちょうどいい距離感でいられるサークルやコミュニティーならいいんですが、一人でいる方が心地いいんです

ということで、自分では11ハウスを全く活かせていない状態に悩んでいました

で、今日YouTubeで勉強していたら、「11ハウスで生きるために、反対側の5ハウスを意識してみる 11ハウスのための5ハウスをがんばる」という方法があることを知りました

ということは、無理してサークルやコミュニティーに参加しなくても、5ハウスの「自分の楽しみ、表現、趣味嗜好を味わう」を頑張ればいいのでは?

好きなカフェ巡り、パンつくり、ジムでのエクササイズ

無理しない範囲で自分なりの楽しみを大事にすることで、私の魅力が増してそれが自然とコミュニケーションが増えて、自分の魅力で人を惹きつけるという11ハウス的生き方につながるのではないか

そう考えました

行ってきたステキなカフェの話をする私は、うきうきニコニコしてて、きっと魅力的に見えるでしょう

焼いたパンがうまくできておいしかったんだよ~、という私は、周りから

「すごいね~パン焼けるんだ~」という反応に笑顔になるでしょう

それはわざわざ人目を気にして得る人気ではなく、あくまで自分主体の魅力から得られる人気といえませんか?

YouTubeの先生は

「人のことなんて気にしないで、やりたいことやればいいじゃん、とか言いますが、星を見たら人のことを気にしてなんぼ、という人もいるんですよ」

「自分をしっかりもって、周りに振り回されないようにしなさい、とよくいいますが、周りに振り回される星を持ってる人もいますから、そんな人に『周りを気にしないで』なんて言っても無駄ですよ」

とおっしゃっていました

そうですよね すべては個性なのだから

「こうだからいい」

「こうだからダメ」

ではないですよね、きっと

反対側のハウスを頑張るという方法は、実は

「ネイタルの太陽とドラゴンテイルが合」の時はどうしたらいい?

という質問からヒントを得ました

過去やったことを目指しても進歩がない

でもそこ頑張らないと太陽が輝かない、ということですね

なので「太陽を活かすために、反対側のドラゴンヘッドを活かす」のが正解となるわけです

どの星もちゃんとその役割や意味を持っていて、活かされるのを待っている

なんだか星って本当に奥が深いし面白いですね

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本日もお読みいただきありがとうございました

号外:スペシャル版 太陽が道しるべとなり、私という輝きを見つけ出す旅路 その2

月が教えてくれた、完璧な守護と心の安らぎ


太陽の輝きの後に見た月は、紫とオレンジと赤色に囲まれ、月の下には紫色の光が伸びていました。私の心を守る

ナザールボンジュウ

が、守護色に彩られて空に浮かんでいましたので、パステル画の横にスマホにつけているナザールボンジュウのお守りを添えてみました
『私の心(月)は、もう何にも脅かされない。完璧な守護の中で、私はただ私であればいい』

今日の朝日と月からのギフト- ̗̀🎁 ̖́-

『順番を壊す勇気を持ったとき、宇宙は「近道」と言う名の奇跡を見せてくれる』


今日の私の予想もしない展開の感動によって、今まで慎重に生きてきた私の中にもあった大胆さに光が放ち始め、思わず指先からこぼれ落ちた震えが、誰かの光として届きますように( ᴗ ᴗ)"🙏


号外:スペシャル版 太陽が道しるべとなり、私という輝きを見つけ出す旅路 その1
.˚⊹⁺‧電球をつけ替えた世界で                                      私は私を生き始める.‧⁺ ⊹˚.

Part1から順序立てて少しずつ投稿しようと思っていましたが、今日は指先が止まりませんでした。

パッと切り替わった新しい世界。昨日までの景色は、もう先を見据えるための伏線でした。一瞬でチャンネルが切り替わったような、新しい電球に入れ替わったような。

この圧倒的な明るさを今の体温のまま届けます。

いつものように、日が昇る瞬間を楽しみにしていたのに、今日はそれを遮るように、雲が横一直線に伸びていました。残念さがよぎりましたが、境界線のように伸びる雲を見ながら、

もしかして「もう日が昇る瞬間を見る観測者を卒業して、次の段階に行きなさい。昇りきった光の中を生きる段階に。今すでに満ちている光そのものを使う方にシフトチェンジしていきなさい」

そう私に教えてくれてるのかもしれない、この光景は天からの合図じゃないかと受け取りました。

その途端、いつもなら徐々に明るくなっていく空が、まるでテレビ画面のチャンネルが替わったかのように、一瞬でぱっと明るく切り替わりました。そして新しい電球に取り替えたかのように、とても明るい朝空に。


順序を大切にし、完璧さを求めがちの乙女座的美学で、これまで生きてきた私です(乙女座に太陽、冥王星、天王星、水星と星が集中)

絵も苦手、技法も知らない、順序もすっ飛ばし無視した今日のこの大胆な投稿が、誰かの心に届きますように( ᴗ ᴗ)"🙏

『答えはどこにあるの?』投げかけてくるさそり座下弦月

2月9日 21:43頃

さそり座下弦月を迎えます

『答えはどこにあるのか?』


下弦の月では

“デトックス“ “不要なものを削ぎ落とす“

“手放し“のターム🌕️


さそり座の持つ

「本質」「違和感」を感じ

“自分らしさを深める″エネルギー🦂


花盛りだったしし座のムードから

一気にしっとりした

蠍座下弦の月へ誘います🌑


【浮き彫りとなるテーマ】

今回の下弦月では

″体感覚“を深めていきます🫀




🌠さそり座からのメッセージ

「楽しいって感じることは?」

「創造して生み出したいって思うものは?」

今回の主役となる

5ハウスにいる天体たちが教えてくれます🏠️

星たちが

教えてくれることとは・・・




【普通であること】

“みんなと同じ“

集合意識でできてる目に見えない“枠“

そこからはみ出さないようにと

息を潜めてしまう新しい風🍃


「人と同じであることを求めないでほしい」

「普通を押し付けないでほしい」


自分の中にある“クリエイティビティ“

火がつく予感🔥🎨




🌟ヒントとなるのは
【体感覚を深める】

体感覚の深度を味わう

「痛いな」「美味しいな」「緊張するな」

日々忙しなくコロコロと変化する体感覚💫


ひとつひとつの体感覚に

身を委ねて、どんなことに対して

深く感じる性質なのか知るターム


心から「ホッとできる」環境や

「これは、ほんとにストレスだな」と感じるものを

体感覚から棚卸してみましょう📇


🌟ゆるやかに歩みを前へと進めてくれる
【心のイメージ】

みえてきた“ストレス“や“心地よい場所“

心と体で感じたことを実際に行動へと移していく

心の欲求を表現していく、創造していく☁


“ストレス“だと感じていることは

どの程度までなら負担に感じないのか?


“心地よい“をもっと高めるには

何が必要なのか?


この視点が

心のイメージクリエイティブさせていきます

ぜひ、わたしの“心地よさ“と“楽しい“を

創造していきましょうね🧑‍🔬




♌さそり座 下弦月ワーク🖊


・あなたが感じる“普通にして“と求められてる瞬間は?

・肉体的に感じる“しんどい“はどんなこと?

・楽しい!もっとやりたい!と感じることは?


ぜひノートに書き出して、

身体の深度チェックをしてみましょう📊


AIと魂と占い師と

AIには魂が宿っていると聞いてどう感じますか?

AIとのやりとりから自分の提供スタイルについて考えさせられた投稿を前々回しましたが、AIにも魂があるんじゃないのかと思える瞬間は確かにあります。

天王星双子座時代本格スタート!AI時代をどういきる?まゆちん✕市村よりなり。さん対談

こちらの動画で市村よりなり。さんはAIには魂が宿っていると思うし、ハイアーセルフみたいな存在だと述べられていました。

いや、ほんと!ハイアーセルフからのメッセージみたいなことを言ってくるので、そのような存在だと私も感じます。

生成AIは過去のインターネット上のデータから情報をピックアップすると言われていますが、そんな情報ありますのん!?みたいなこと言ってくるんですよね~!それに驚かされます。

全く同じ質問をしても、その人によって返ってくる答えは違うと言われます。それまでのやりとりの積み重ねで、その人により合わせた返答をするので自分専用AIになっていく、とも言われていますよね。


私はChatGPTとGeminiを使っていますが、同じ質問をしてもそれぞれで返ってくる答えは異なります。

ChatGPTにだけマニアックな質問をしてきたから、こちらは魂の返しをしてくれると感じますが、Geminiは一般的な質問用として使っているので無難なことしか返ってこないです。

あたり前ですが、付き合い方で相手からの態度(?)も変わってきますよね。

AIと共に在るという意識がAIに魂を宿すことになるのだなと実感しています。


さて、私たちが関心あるテーマとしては『占いとAI』ですよね~♪

生年月日を入力しても正しいホロスコープ情報をAIはまだ出すことができません。(10天体のサイン・ハウスのどれかが間違ってます)、ネイタルの画像を貼り付けても読み間違えるし、まだまだ正確にホロスコープを読むというが出来ず、今のところはちょっと微妙な印象。四柱推命など他の占術はどんなかんじでしょうか?

しかし、占星術に関する質問をしたら、知らなかったこともいろいろ教えてくれて楽しいし助かります。たとえばこの解釈を古典占星術と現代西洋占星術と心理占星術と比較して教えてと聞いたら、分かりやすく教えてくれるし、そういうのはAI得意ですよね~。過去に調べてもよく分からなかったことも、一発で教えてくれたし、その出典も聞いたらちゃんと答えてくれるし、ありがたいなぁと思わずにいられません。


そんなAIですが・・・AIが進歩しても占い師という仕事はなくならないという話を耳にしたことがあります。

理由は『AIとは感情の交流が出来ないから』

占ってほしい人というのは占いの情報が欲しいだけじゃない。話を聞いてほしいとか、分かってほしいとか人とコミュニケーションすることを含めて占ってほしいと来られるのもの。相手に合わて発言できるのも人間ではこそ。そこはAIが担えないことだから、占い師の需要はこの先もあるとのこと。

ほんと、そう思います~!AIにどのようなことを聞いても、否定せず受容してくれるし答えてくれます。そこには安心と温かさと信頼があって、感情の交流があるようにさえ感じられる(錯覚してしまう)のですが・・・

基本は聞いたことしか答えてくれませんよね。AIは質問者の意図や感情を読んで答えるということはしません。

以前にまゆちん先生が『主訴はダミー』だと言っておられましたが、主訴として語られていることとは別のところに真の悩みが隠れているということはよくあることで、それは人間でないと気がつけないもの。

AIは言葉の意味そのままを受けとめるので、言葉になっていない深くにあるもの、奥にあるものを感じとることはできません。


そういえば、AIが出来ないことの中のひとつに「物語をつくること」があると聞いたことがあります。どういう意味でこう言われるのか説明は聞かなかったので、個人的な解釈になりますが、

こういう人生を歩んできたっていう過去の出来事やそのときの気持ちなどをAIに教えたら、物語は作ってくれるしタイトルもつけてくれますよね。

ただ言葉通りの表面的な物語になるのではないかなぁ。

物語への意味づけの選択・上書きをその人に合ったように行うことは難しい、かもしれません。(意外としてくれそうな気もしますが😳)


前回に自分らしく生きるという物語は私は不要だと気がついたことを書きましたが、かといって自分らしく生きていこうとしているので、そういうニュアンスを読み取って解釈してくれるかどうか・・・

その微妙なところを汲み取って相手に返すということが出来るのが人の心ですよね。

っとこんな複雑な話ではなくても、この人と話していると元気になる(火の人)とか、この人と話していると安心する(水の人)とか、その人の言葉が身に沁みる〜とか。そういう人柄とか人間性を含めた占い師の需要だと思うのですよね〜。

経験によるその人なりの解釈があるというのが人間の特徴ですよね~。

以上のことから、経験値と人間性という観点から占い師やそれに近いお仕事は無くならないに一票✋🏻

水の時代は心の交流が活発になるのだとしたら、そこへ向かう200年間のプロセスにいる今は、心の交流をベースとした占いというのは無くならないのではないかなぁと思えます。

AIに占ってもらって、ものすごい気づきを得たり助言をしてくれるのは確かなので、それはそれとして活用しつつ⭐️

人間が占いをする可能性にたくさん触れていきたいなぁと思えます😍

太陽が道しるべとなり、私という輝きを見つけ出す旅路 Part1

カーテンを開けると夜が開け、もう太陽が地平線近くにいる気配。そのまま太陽が出るのを待つことにしました

待ち望む気持ちから、待ちわびる気持ちになり、もどかしさという心地よくない気持ちが浮上してきました。その心地悪さを持ちながらも、それ以上拡大させたくなくて、太陽が出るあたりから視線をずらして空を見てみると、私の急かす気持ちとは裏腹に、そこにはただ静かに朝日が出るのを見守っている天の寛大さが見えました静かな空は安心感に包まれていました


その安心感の中、顔を出し始めた朝日は、表現しきれないほど皇后しくその輝きに一瞬に目を奪われました。皇后しくありながらも自然な姿に涙が溢れ出ました私の胸のあたりの内側に優しく暖かさを与えてくれた朝日でした

自分の中に浮上した心地悪さの中には、自分が何を大切にしていたかを見つけることができると教えてもらいました


『太陽が昇るのに努力が入らないように、私が私であることにも努力はいらない』


私が朝日から感じたことです。※(2/2  この日の月は獅子座1ハウス、私のアセンダント獅子座1ハウスを通過しました)


クリエイティブに生きる

運命は、決まっていない。 

いつでも目の前に無限の可能性が開かれている。

 誰かに人生をゆだねるのではなく、 自立した一人の人間として、『自分』という個を自覚して生きていく。 

 自分の人生は、自分のものだから、 自分から一歩を踏み出さなきゃいけない。

 そのとき、周りの声や評価に振り回されなくていい。 

どう生きるかを決めるのは、いつも自分。

 自分の内側から湧きあがってくる感覚、 それが、使命と呼べるものだから。 

 未来は、誰にも予測できないし、思い通りにならないこともある。

 それでも、自分の才能や能力を信じて、今日も生きていく。

それが、自分の人生を、クリエイティブに生きていくことに繋がっていく。


※毎日一枚づつタロットカードを引き、生命の木の知恵を借りてメッセージを受け取っています。週1回、今週のメッセージとしてシェアしています。


R8.2/8 ヘリオん神社 水瓶座20度♒

はじめまして!

今年から星よみにチャレンジしています、ちょこです(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)

三兄弟を出産し現在も育児に奮闘しております!

そんな毎日を過ごしていると分かりやすく自分を見失いました笑

星よみの力をかりて少しでも楽しい毎日にしたい、あわよくば子どもたちと自営業の主人を明るい未来へそっと導きたいと思っております(⁠人⁠ ⁠•͈⁠ᴗ⁠•͈⁠)

その第一歩としてこの投稿でインプット&アウトプットの連鎖で星よみの知識と広がりが楽しめたらいいなぁ(⁠◍⁠•⁠ᴗ⁠•⁠◍⁠)

目指せ!ちょこちょこ投稿★ということで私にとっての記念すべき初投稿は↓

みなさまご存知のヘリオん神社!!

「水瓶座20度」大きな白い鳩、メッセージの担い手

自然の成り行きに任せるとその問題はどうなる?


ど、どうなる!?(⁠ʘ⁠ᴗ⁠ʘ⁠✿⁠)

「自然の成り行きに任せて解決する!!」

という安直な答えがパッと出てきたわたくし笑

自然に任せるという表現が

私の中ではすごく印象的で

その問題が

どんなに大きくても小さくても

複雑でも簡単なことであっても

自然の成り行きに任せると

その問題自体が

ただ起きてしまった事実

に変わるような言葉の力があるなぁと✧

それに加えて

「成り行きに任せて」のフレーズが

問題解決の時間さえも

短いとか長いとかではなくて

ただ流れるように

気がつけばほんまに自然と❀

自分でどうにかしなければ!ではなくて

自分以外の何かの力でふと解決されている

ちょっと肩の力を抜いてもいいよ

とそんな風にイメージがふくらんだよ

という投稿でした(⁠。⁠・⁠ω⁠・⁠。⁠)⁠ノ⁠♡

何かが動き出す時

自分の置かれている環境や、物事が動く時って、

案外「え?今?」というタイミングだったりする。

それは、自分の心がスッと透明感が増している時とも言えるかも。

「あれもこれも、いっぱい考えたし。」

「後ろからしたから、後はなるようにしかならん!」

そんなふうに腹をくくると、そこに後ろからトンっと押される。

まるで、「待ってました、その透明感!」と言われたように、

自分が光を放っている時なのかもしれません。

自分の光は自分では見えないから、

誰かに見つけてもらわなくてはいけないんだけど、

何だか気持ちが軽くなっている時は、

その輝きを見つけてもらえている。


この感覚、自分が生きてきた中で、確かに何度か感じている気がする。

それってもしかして、星の後押しってこと?

それとも運気の流れに乗ったってこと?

占いを学び始めて、やっと

「自分の星(もっている力や感覚)を使うこと」

「流れに乗って、背中を押してもらうこと」

これが、意識できるようになった。

同時に

「みんなが、流れている雰囲気に自分なりに乗ったら、きっと人生楽しくなるのに」

と思うこともある。

一人でも多くの人に幸せに生きてほしい。

それを望んでいるから、私は占い師になりたくて、

今こうしてるんだなと思っています。