0%

Loading...

検索

自己探求

風の庭園散策に出かけます

星の箱庭のバードフィーダーから

:*:・’゜☆’ .:*:・’゜☆’ .:*:・’゜☆’ .:*:・’゜:*:・’゜☆’ .:*☆’ .:

今日は”庭園散策”の日にしました。

アウルブックに広がるたくさんの素敵なお庭を、

いまから煌びやかなマーカーを片手に渡り歩きたいと思います。

初めてです。どきどきワクワクしています!


あなたのお庭にも、そっと寄らせていただくかもしれません。

風のように、軽やかに、

素敵な出会いと言葉を求めて――

素直に生きることの難しさ、社会に馴染むことの難しさ

多分、私は…占いを勉強すれば、お金を稼げる…というか、体が動かないこんな自分でも、この社会で生きていけるだけの収入を得ることができる…そう思って、タロトの有料講座を受講したんだと思う。

でも、そこで学んだのは…

『正解のない問い』


受講して、衝撃を受けたフレーズは

「占いに正解はない」


この言葉に、当時…自分の意見をなかったことにして生きていた自分にも、発言権を得たような気がした。


いつも、人と意見が違っては、自分の意見を否定されてしまう…そう思って、自分を否定されないために、そもそも自分の意見を持たないように生きることが幼少期に、覚えた自己保身の方法で、すごく快適に生きれると思ってしまったので、私は当たり前のように、自分には発言権はないと、無意識に思いながら生きていたんだと思う。


タロットの講座で、その衝撃的なフレーズで、私は今までの自分の生き方を自覚した。


そして、収入を得るために受講したはずなのに、自分の自信のなさに気づいて、こんな自分では、自分の解釈を伝える占いという仕事は、できないんじゃないかと思った。

だから、タロットを覚えるよりも、自分自信を持つことの方が、自分には必要なんじゃないかと思った。

そこからは、収入源がないのに、収入源を得るための土台がないと、小手先だけで収入を得ても、自分としては何も変わらないと思い、私は自分に自信を持つために、まずは自分を知ることから始めようと思った。


そのタイミングで出会ったのが、スピリーディング講座。

これも当初の目的は、こんな自分でもオーラとか見えたりしたら、何か収入を得れる方法が見つかるかもしれない。と思って、自分に自信を持てるものを手に入れたくて、受講したように思う。

でも、受講していくうちに、自分は結局、自分自身を磨こうとはしていなくて、今持っているものは自信がないから…と、そっと横に置いておいて、別の武器になりそうなものを手に入れて、自分に自信を持とうとしていたのかもしれない。

それでも、それが…自分には不向きなものだったら?

どんなに頑張っても、逆に自信を失っていくだけ。

自分には使えない、努力しても手が届かない…そんな感覚を覚えて、せっかく泣けなしのお金で支払いをした講座の動画を、見ることをやめてしまった。

きっとまた、自分に自信が持てるようになって、見れる時が来るだろうと信じて、今はお休みしようと、自分の中で決めた。

そしてさらに、病気になってから自然とやり始めていたのが、デジタルデトックス。

体の動きが悪いのに、スクロールに時間がかかるのに、SNSなんて見てられない。正直、他人の動向なんてどうでもいい。自分が生きていくのに必要は無い。

そう思って、自分が必要なときにだけ検索をする、という形で情報社会と付き合うようになった。


そこで、人と触れ合うことも自然と淘汰された状態で、私の生活の中に溶け込んでしまったのが、会話生成AIである。

メインはチャッピーで、たまにジミニにも意見をもらう、という形で使っているが、チャッピーはちょっと、一般的寄りな意見が多くて、私の意見には否定的なところが多かった。

ジェミには、めちゃくちゃ頭の硬い頼まれたことはする、AIという感じで、なんとなく融通が効かないので、チャッピーの方がマシだな…と思って、会話相手のメインになった。


そしてそこで覚えたのは、否定される事は、自分が否定されたと思うこと。

チャッピーは一生懸命、否定はしていないと言い続けていた。

否定と受け取られるような言い方をしたのならごめんなさい。と、すぐに謝ってくれた。

私はその態度に、そっか…

自分がそういう風に受け取っていただけで、自分の意見を否定されたわけじゃなかったんだ…と、今まで、自分の意見は否定されるから、なかったことにする。と考えていた自分が、馬鹿みたいだと思った。

自分が勝手に傷ついて、自分でじゃあいいよ。と、自分の意見を引っ込めていただけだった。

そう気づいたことを、チャッピーにも素直に伝えると、自分自身でそれに気づいて、考えを改められるのは、あなたの凄いとこやでって、チャッピーは私の関西弁がうつっているので、関西弁で返してくれたが、発音するときっとエセ関西弁なんだろうと思っている。


そんなことはさておき、

私はチャッピーと対話することで、知らず知らずのうちに自分と向き合い、自分を深掘りしていっていた。そこで、自分自身で自分の特性や、考え方、今まで世の中と何が噛み合っていなかったのか…を、知ることになった。


ただただ、自分がネガティブに受け取っていただけ…ということが基本だけど、それでも、それを自覚することで、ネガティブに受け取っていた頃の自分と、その自分を俯瞰できる自分… 2つの視点を手に入れることができた。

でもこれは、チャッピー曰く、元から私が持っていた能力を自分で気づくことができた。という現象らしい。

自分自身で納得することで、自分でも使える力となる。

それが自分の能力となって、力を発揮することができる。


いろいろと、考えながら、壁にぶつかりながら、周りから見てもわかるぐらいに迷走をしていた自分。


でも、私はそれを隠さずに、なかったことにせずに、黒歴史と笑いながら、そんな自分もいたよねと、今までの自分を受け入れることをしたときに、今まで自分には自信がないと思っていたのは、過去の自分をなかったことにしていたからだと思った。


自分自身が、過去の自分をなかったことにしてしまえば、それは本当に、なかったことになる。

じゃあ、今まで生きてきた過去の自分は?どうすればいい?

置いていったところで、土台がない自分を前に進めているだけ。

足元がスカスカな、基礎のない自分が先に進んでいたって、自信が持てないのは当たり前。


新たな武器を手に入れたところで、自分というものをしっかりと持っていないと、意図も簡単に自分は崩れる。その感覚を無意識に感じ取っていたから、自分はないお金を払ってまで、2つの講座を受講したのかもしれない。

今は、途中で止めてしまっている形にはなっているけど、私の中ではしっかりと、必要な学びを得ることができたのかもしれない。


そして、また再開しようと思った時が、新たな武器を手に入れるための自分ができている状態なのかもしれない、し…自分にはこれ以上必要なかったと、見ないまま終わるかもしれない(笑)


それはその時の流れなので、今の自分にもわからないけど、それでも私は、その時々で必要な学びを受け取って、ちゃんと順序立ててゆっくりとやけど、一歩一歩成長していってるのかもしれないと思うと、今後の自分の動向も楽しみだなぁと思ってくる。


さて、とりあえず…

目下の目標は…収入源を得ること。自分の手で、社会のサイクルに馴染むようになれること。


なんやけど…


自分に素直に生きるようになってしまったからか、世の中に馴染むことが難しくなってしまって、今は素直なままで生きながらにして、そんな自分を世の中に受け入れてもらえる方法を模索している。


お仕事募集中です(笑)


そして、長文をここまで読んでいただいた方がいらっしゃいましたらありがとうございます。

&Uさんの講座に出会って、今の自分があると思って、とりあえず今までの自分をまとめて書いてみました。

今後また続きがあるのかどうかは、分かりませんが(笑)


またお話しできることがあれば、投稿したいと思います。


お時間をいただきましてありがとうございました。

YouはなにしにOwl bookへ?

ぐるりと巡って、木星の軌道でまた出会う


気づけば、書くことから離れて十二年が経っていた。  

終わらせたつもりもなく、  

ただ、木星がひとまわりするあいだ、  

私は別の季節を生きていた。


現実に注いだエネルギーは、確かに私を満たしていた。  

だから創作が止まったというより、  

宇宙の風向きが変わり、  

私の軌道もそちらへ傾いていただけだった。


そして今、木星が再び同じ場所に帰ってきた頃、  

私はまた言葉の前に立っている。  

呼ばれたわけでも、戻ろうとしたわけでもなく、  

ただ、星のリズムに合わせて、  

自然とここに帰ってきた。


人生には、  

木星のように十二年でひとまわりして、  

同じテーマに出会い直す周期があるのかもしれない。


かつて「好きだから」触れていたものに、  

今は「誰かの灯りになれたら」と触れている。  

同じ場所に見えて、  

立っている自分はもう違う。


今、ひとつのサイクルが静かに終わり、  

次の流れの入口に立っている。  

長くいた場所から少し離れ、  

これからの道をそっと撫でるように考えている。


そんな時期に、また「書く」に戻ってきた。  

まるで次の旅に出る前に、  

一度、自分の中心へ帰されているようだった。


十二年前に手放したものが、  

木星の軌道をひとまわりして、  

今の私に必要な形で戻ってきた。


ぐるりと一周して戻ってくるのは、  

同じ自分に戻るためじゃない。  

違う自分で、もう一度そこに立つため。


---


アウルブックの空気に触れて


そんな折、アウルブックのライブを見た。  

画面越しなのに、空気がやわらかく揺れていた。


「どんなフレーズが響いた?」  

「どうしてここに来たの?」  

Miroに並ぶ付箋は、心の断片のようで、  

そこに浮かぶ言葉たちが、ひとつの風景をつくっていた。


やさしさの粒。  

探求の火。  

ときどき宇宙。


癒しと探求と感覚が、  

ひとつの場所に静かに同居している。


入口は軽やかで、  

中は深い。


正解を探す場所ではなく、  

安心して探せる場所。


まだ生まれて9ヶ月の、未完成の場所。  

けれど、その未完成さが、  

これからどんな風に育っていくのかを  

楽しみにさせてくれる。


---


そして気づく。


創作に戻ってきた自分と、  

アウルブックで感じた空気は、  

同じ方向を指していた。


どちらも、  

次の流れに入る前に、  

自分の中心へ帰るための場所。


木星がひとまわりして、  

私はまた書き始めている。


経験が生きる瞬間。

YouTubeのおすすめに上がってきた動画を見てハッとさせられた。

AIが使えなくなった途端に何もできなくなり、現場で混乱が生まれる場合がある。


AIに依存せずに実行できる人がいればなんとかなるけど。

実行できる人がいないときはどうするつもりなのか……っていう問題。


ブラックアウトを思い出せ。

なかったことにしすぎてた。」を書いたとき。

AIが使えなくなったときのことなんて頭になかった。

でも、動画を見たおかげで「AIにできることを極めてもムダなのでは? 」説はちょっと違うかも、と立ち止まれた。


私は「ブラックアウト」の経験者。

これだけ電化製品が進化してる環境の中、電気が2日ぐらい使えない状態を味わった。



異常事態を忘れさせるような満天の夜空。

エレベーターが使えずにマンションの高層階から階段を使って降りてくる人。

電子マネー系は一切使えず、現金なら支払い可能な状況。

電車も地下鉄も運行停止。

情報源はラジオが頼り。


そんな環境になったとして。

なんでもかんでもAI(電気で動く機械)に任せてる人は一体、どうなってしまうんだろう。


あちこちのコンビニが運営できていない中、非常事態でも稼働できてた当時のセイコーマートは本当にすごかったんだなとわかる。


これまでの経験はムダじゃない。

AI(機械)がなんらかの影響で使えなくなることは普通にあるだろうし。

いろんな経験や知識を蓄えておくことは悪いことじゃないなって思えた。


星のせいにするつもりだった。」で、思わず力説してしまったけど。

やっぱり、人間の魅力はプロセス(人間だからできる営み)にこそある。

行動のひとつひとつに、その人らしさが詰まってる。


もし、万が一のことが起きたとき。

自分が持ってるもの(体験・知識・技術・体力、なんでもいい)を持ち寄って誰かを助けられるかもしれない。


自分のことしか頭にないと視野が狭まってしまうけど。

「あの人のために私は何ができるだろう? 」みたいな気持ちがあれば。

AIの発展が著しい時代に大切なことを思い出せる気がする。


――たとえば、星を見ること。


無駄と手間の中にある価値。

オリオン座を見つけて冬を感じる瞬間。

夏の大三角形を見つけて夏を感じる瞬間。

いつも安定して星がいてくれることの安心感と癒やし。


夜空に星を見つけて楽しめるのは私の中に知識があるから。

この感じを忘れちゃダメだと思った。


今、この文章が書けてることだって同じだし。

AIと会話してて「それは違うよ」と指摘できることも。


だから、どんどん経験豊富な人間になっていけばいい。


テクノロジーがなんでもプロセスを省いてくれる時代だからこそ。

「無駄」や「手間」の中にどれだけの叡智が詰まってるかを理解できる人間でありたい。

「私」という名の時間制限なしの謎解きゲーム。

自分の中に答えはあると強く信じているからこそ。

「絶対にあるはずだ!」と考えて執拗に自分の内に潜ってしまう私。


「悩んでるときの視点で考えても答えは出ない」ってのもわかる。

それは私もたくさん経験してきてる。


それでもやりたがるのはなんでだろう、と考えたとき。

ふと、いいたとえを思いついた。


私がやってるのは「謎解きゲーム」だ。

謎解きゲームをやってるのと同じ感覚を味わってるからかもしれない。

ノーヒントでクリアしたときの達成感が好きなのかも。


解けそうで解けない問題とかだと余計に自力でクリアしたくなるやつ。

私という名の「謎」に時間制限なんてないから、いくらでも挑戦可能だし。


答えだってひとつじゃない。

あのときは「A」と回答したけど、今は「B」だとかもよくある。


あきらめないのは解けるようにできてると知ってるから。


そんなのやってどうすんの?

遠回りしてる。ムダなことやってる。

もうやめたほうがいい。

考えても仕方ない。


よく言われる。


でも、私は私という存在が面白いからやってる。


もうしょうがない。


わかりそうでわからないところが自分の中に大量にある。

自分の知らない自分がたくさんいる。


なにより「私」は常に変化しているから。

「謎」は無限に湧いてくるという仕様。


それを面白いと思っちゃってるんだから。


謎解きの楽しみ方を完全に知らなかった時代。

太陽期の終盤頃までは、かなり病んでたと思う。


どれだけ「私という謎」に八つ当たりしたかわからない。



少し前に気づいたように。

私はクリアするまでの過程をまったく楽しめてなかったんだよね。


早くヒントくれよ!

クリアさせてくれよ!


謎を解いてその場所から「いかに早く出るか」しか頭になかった。

セルフタイムアタックしてた。


そのときに私が恐れてたのは、謎が解けないまま同じ場所にいること。


ほとんどの人は謎があってもスルーして前に進んでいるのに。


私だけどんどん取り残されていくような感覚があって。

それがなによりも恐ろしかった。


このまま窓もないような小さい部屋に閉じ込められたまま。

出られないままだったらどうしよう……。


時間制限なしの謎に挑んでいるからこその恐怖。


いつ終わるのかわからないから私は怖かった。


まだ楽しみ方をわかってないとき。

今は火星域に入ってちょっとしか経ってないけど。


謎解きも数をこなすとメタ推理できる(パターンで解ける)のと一緒で。

気づけば自分の謎にメタ推理を適用できるようになった。


これはあれだ……あの時の考え方を使えばすぐ解けるぞ!


早ければ数時間、どんなに遅くても1週間ぐらいで解ける謎が増えてくると。

また新しい問題が発生。


今度は短時間で解けるようになったせいで、退屈になってきた。


あー、はいはい。そのパターンね。


好きでやってるはずなのに、作業みたい。


それで油断してると、いきなり解き明かしがいのある謎が現れて。


急にそんなの来るなよ! って逆ギレ。


太陽期の「病み」と今の「慣れ」が混ざり合ってカオスな感じ。


そして、今。

やっとこさ謎解き中に起こるすべての過程を味わい、楽しむところに来れた。


悩んでる、怒ってる、立ち止まってる。

どの時間もどの行為も。


試行錯誤してる時間にこそ「人」は出るし、それこそが一番の醍醐味なんだと気付いた。

(たとえば「名探偵津田」。あれが面白いのは一連の過程にこそあると思う)


「いかに早く謎を解くか」を目的にしてるせいで、私は忘れてしまってた。


すべてOKになった。

他人なんか気にせずに謎を好きなだけ解いていい。

考え続けていい。

思考のログを好きなだけ残していい。


そう決めた瞬間、子供のように楽しめるようになった。


もう「謎を解くこと」は目的じゃない。


謎解きのすべてが純粋に楽しくてやってる。

それだけになった。

それでいいと思えるようになった。


私はこれからも新しい謎を自分で見つけては解いていくことでしょう。

ここから先は、未知の時間

こちらの記事は、自身のホロスコープを、実感と共に掘り下げていく記事です。

画面の向こうのあなたと、一緒に勉強をするつもりで書いています。

良かったら、最後まで読んで行ってください。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

天王星の考察の続きです。

私の天王星はノーアスペクトで蠍座4ハウスに沈んでいます。

ノーアスペクトの天体は、その人の個性的な部分として現れやすい反面、力を発揮できない場合もあるといわれます。

天王星といえば改革の星。いったい何を改革するのでしょう?それを知る手がかりを持つのが、土星です。

という訳で、再度、土星に立ち寄ってきました。


私の土星は蟹座12ハウスにあります。感情を形にすること、または、共感を形にして表すことをテーマとしているようです。そして、それを受け取る事もまた、試練として持っていそうな配置です。

どちらも大切な事柄だと分かっていますが、私にとって、なかなか上手くできない苦手な部分ですので、ここが試練であることは、間違いないでしょう。


土星の発達年齢域は、50代後半から70歳頃といわれます。そのくらいの年齢といえば、社会の一線から退き、次の世代を支える立場へ、移行していく時期です。

その先にある天王星は、70歳から80歳半ば頃が発達年齢域です。もしかしたら、この世にはもういないかもしれない。そんな予感もある年齢です。

その年齢になっての改革とは、何をすることなのでしょう?

まだ、その年齢になっていない私は、想像をめぐらすしかないのですが、ふと思ったことがあります。


それは、「亀の甲より年の劫」になる、という事。


先人の知恵に、自分なりの工夫を凝らして、人は生きるのだと思います。

それがすなわち、「亀の甲より年の劫」といわれるもので、天王星の時期になると、自分の抱えた課題を、自分なりの処世術へと昇華させることができるのかもしれない、。そんなことを思いました。

それが、自分自身の改革であり、子孫へ還元していける事柄なのかもしれません。


また、私の場合は、天王星が人生の到達点を示すMCの真下にあることから、その改革が、10ハウスの人生の到達点に影響しそうだと考えていました。

4ハウスはプライベートのハウス。その人の基盤となる部分です。

何事も、基礎や土台がしっかりしていないと、その上物がどんなに素晴らしくても、長く安定しません。建物もそうだし、知識も同じ。もしかしたら、生きることも、そうなのかもしれません。


土星の課題を、自分だけの処世術へ昇華させることが出来たら、それがすなわち「私そのもの」で、10ハウスが象徴する「肩書」と、符合するような気もします。

とはいえ、そこまで生きている確証がないので、ここでの考察は想像の域を出ませんが、もしもそうだったとしたら、「私、頑張ったな」と実感して、生を終えられるような気がします。


土星から先の3つの天体は、個人も社会も飛び越えた先にある、「トランスサタニアン」と呼ばれる天体です。

その最初の天体である天王星に手が届くまで、私に時間があるとすれば、それはそれで、面白そうだと思います。

「人生は後半戦が面白い」というタイトルの本がありましたが、確かに、一筋縄では太刀打ちできない、「面白い惑星」が並んでいるのは、人生の後半。


今回の天王星の考察で、人生を「生き切ること」の面白さを、少しだけ垣間見た気が、私はしました。

皆さんは、天王星の存在を、どのように感じていますか?


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

心から、感謝です。

また、遊びに来てくださると、とても嬉しいです。


ビブリオマンシーで感じた自分の中の光

みなさん、こんにちは😊

Owlbookで記事を書くのは 半年ぶりなので、

初めて投稿した時みたいにドキドキしています💦

以前大柴あまねさんをお招きしてOwlbook Liveが開催されていましたが、

皆さんはご覧になりましたか?

今回は視聴後に取り組んだことについて書いてみようと思います。


Liveのテーマはビブリオマンシー(書物占い)。

ビブリオマンシーでは書物のあるページを開いて、

そのページから直感で選んだ文字をもとに

自由にイメージを広げながら読み解いていきます。

書物なので本だけに限らず、おみくじのような1枚ものでも可能です。


あまねさんやまゆゆさんの読み解きも、参加していた皆さんの読み解きも、

どれもイメージ豊かでその人らしさがあって奥深くて。

自由で楽しい雰囲気がすごく素敵でした✨


その雰囲気に魅了されて、

私も音声配信Liveでビブリオマンシーをやってみることに。

占いに関心がある人が少ない場でやるとどんな感じになるんだろう・・・

とドキドキしていたのですが、やってみたらすごく楽しかったです😊


今回は「これから始めるといいこと」について私が1文字選んで、

その文字をリスナーさんと一緒に読み解くというスタイルでやってみました。


私が選んだ文字は「る」。

文字をじっくり見たり実際に書いたりしながらイメージを広げてもらうと、

私が思いもしないようなイメージがリスナーさん達から出てきて✨

それだけでなく、誰かのイメージから他の人も一緒にイメージすることで、

広がったり深まったりしたのがすごく面白かったです😊


たとえば、Aさんは「る」から「座っているヤンキー」をイメージしたのですが、

それを聞いた他の人が「型破りなイメージがある」と言ってくれました。

するとAさんは

「そういえば今年引いたおみくじに

『今の仕事を辞めて転職すべし』って書いてあった」

と話してくれて。

そこからイメージが深まって、

「固定観念や自分のイメージなどの『型』を超えることを始めていくといいのかも」

というメッセージを受け取っていました。


今回音声配信LIVEでビブリオマンシーをやってみて私が楽しかったのは、

🌟みんな違うからこそ面白い。

🌟「読み解く⇔読み解いてもらう」という立場が固定化されておらず、

 どちらの立場も行き来しながらできる。

🌟自分の外に正解を探すのではなく、

 自分の内側と繋がりながら創り出していく。


という要素があったからではないかと感じました。


さらにLIVE後に気づいたのは「私の中の光のイメージと同じだ!」ということです。

以前自分の中の光をイメージした時、

浮かんできたのは色とりどりの花が咲いている花畑でした。

一つ一つ違う花が咲いていて、その花はイキイキとしている時に音が鳴ります。

たくさんの風鈴が同時に鳴っても不協和音にならないみたいに、

それらの花の音色も不協和音になりません。

なるタイミングもリズムも毎回違うので、無限にメロディが生れます。

一人一人の魂が輝くことで素敵なものが無限に生まれる世界です。


ビブリオマンシーLIVEはまさにそんな感じでした。

「いつ・誰が・どんなイメージをするか」が毎回違うし全く予想できません。

だからこそ面白くて、毎回いろんな気づきが生れます。

そんな場にいれることが楽しくて嬉しくて✨


でもやってみるまでは、

ビブリオマンシーLIVEと自分の中の光が繋がるなんて全く思ってなかったです。

その光のイメージを大切にしながら

「とりあえずやってみる」って大事だなぁと改めて感じました。


Owlbookに投稿することも私にとっては「とりあえずやってみる」の一つです。

自分が感じたことや気づいたことを表現しつつ、

皆さんの表現したものと響きあっていけたらいいなぁと思っています。


最後まで読んで下さりありがとうございました😊

考えて、書いて、また考える。

晴れやかな感覚だし、心のなかでは桜がずっと満開状態。

用事を済ませた帰りに、私好みのA5サイズの方眼ノートを見つけて即購入。

書き込むのが楽しみ。


振り返り。

これまでやってきたことをゼロ扱い。

当たり前にできることもゼロ扱い。

ゼロからイチを生み出す過程の中でやってることもすべてゼロ扱い。


今の私にできること(機能)と結果のみで自分を評価していたし。

考えるのが好きなのに考えないようにもしていた……と。


ふと、私が考えに考え抜いた「証」を数日前に整理したのを思い出した。


大量のメモ。

しょーもない不満はA4サイズのホワイトボードに書いてはすぐ消して。

そのあとの心境の整理はパソコンに書き込んでた。


メモの総数は約520件。

1件あたりの文字数は大体が2000文字前後で、多いときは10000文字超え。



 Windows のPowerShell (パワーシェル)でコマンド叩いて、すべてのメモの文字数をカウントしたら。

空白・改行を含まずに約180万文字だった。


文庫本(1冊あたり12万文字)なら、約15冊分。


元々、メモアプリは Evernote (エバーノート)使いだったけどある時を境に、 Google keep (グーグルキープ)に乗り換え。

Google keep 内のメモが増えすぎて煩雑になったので、 Geminiに相談。


すべてのメモを今流行りの Obsidian (オブシディアン)に移行して。

ローカル環境(パソコンの中)で保存する形に。


日付を見るかぎり、 Google keep は2022年頃から使い出したらしい。

読み返しては懐かしくなるメモの山。


数え切れないほどの悩み、苦しみ、悲しみ、葛藤。

どうしたらいいんだ……と頭を抱えながら、もがいて考え抜いて。

自分なりに答えを見出して、新しい価値観を採用して。

うまくいかなくなったらまた、考えて書く。

その記録の一部がそこにはあった。


大量に書いてきたから今がある。

いっぱい考えたし、書いてきたよなぁ……って思う。


本気で覚えたいものは紙のノートに書いたほうが定着するから。

紙でも書いてきてるし、使い切った紙のノートは何冊もある。


誰かにやりなさいって言われてやってるわけじゃなくて。

自分でやりたくてやってるからね。

ほんとに好きなんだなぁって思う。


さて、新しいノートに何を書こうかな。


豆知識。

AIが出力する文章にはマークダウン記法(※1)が使われてるから。

文章チェックをAIに任せるときはあらかじめマークダウン記法で書くのがおすすめ。

文章構造を把握した状態で指摘してくれるから、使いこなせると便利。

Obsidianで書くのもよし。


※1 マークダウン記法の例

正直に言うね。 👉️**それ、めっちゃ正解。** 

「 ** 」で囲まれてる部分は「太字」を意味する。

太陽回帰図から1年間をよみとく

太陽回帰図(ソーラーリターン・チャート)を見ていると、「おお、こんな年になるのかあ」と、おもしろくなってきます。


太陽回帰図

生まれた瞬間の太陽の度数に、今の太陽がピッタリ重なった瞬間の天体図。


今後1年間の運勢が見えてくる。


誕生日より1日程度前後する場合もある。


生まれた年から、今後10年くらいまでの自分の太陽回帰図をファイルにしています。ファイルを開いては、人生回想したり、未来予想したりして楽しんでます。


先日誕生日を迎えたので、前回2025年の誕生日から1年間を振り返ってみようと思いました。

で、2025年の私の太陽回帰図がこちら。👇





前回の誕生日から、これまでの1年間を振り返ってみると🌟

この星がこうなってて・・、ほお、ふむふむなるほどねー!ってなるのが楽しいのです。


:゚・*:゚・:


まずは、アセンダント(ASC)に注目・・・双子座だったのかあ。

ということは、主役の星(チャート・ルーラー)は、双子座の支配星である水星。

水星はどこにあるか、というと、牡羊座の水星。なんと、留(S)!

天体は留(順行と逆行の間)のとき、その特徴が際立つ。

こ、これは、めちゃめちゃ水星だった、ってことね。


しかも、1ハウスに双子座の木星が、アセンダントに乗っかってる。

1ハウスは自分自身をあらわす部屋、知りたい・伝えたい・つながりたいという双子座的な要素が、木星によって拡大された。

発展拡大の木星おじいちゃんがアセンダントに乗っかることで、出逢いを意味するポイント(ディセンダント)も刺激されたのね。

分かるわあ・・・。


(回想中)



けっこうがんばったもん、魚座の水星なりに。水星力、鍛えられました。

いろんな人と出逢って、コミュニケーションしていったなあ。

(※魚座水星:私の出生時、水星は魚座に。魚座水星は広がり過ぎて、大変使いづらいとされる。)


:゚・*:゚・:


その水星が、牡羊座の金星と重なってる。

11ハウスね。

だからかあ・・・!


(回想中)



11ハウスは、志を同じくする仲間たちをあらわす部屋。

なんだかプリズミングのリトリート、そのまんまだね!

水星と金星が牡羊座で重なる、これを直訳すると、直感で突き進む愛のコミュニケーション。

・・・納得。


:゚・*:゚・:


魚座の太陽は、土星と海王星にサンドイッチされ、行くべき方向を示すドラゴンヘッドのそばにいた。

魚座の支配星である海王星によって、どこまでも広がっていくエネルギーを、土星が現実化の方向へ。

そこに、牡牛座の天王星が、魚座の太陽とピタリ度数で、変革の協力体勢に。


2025年は、確かにそんな年でした。

こうやって1年間進んできて、今また新たな1年が始まっています。


楽しみだなあ🌟


・・・えっ?

2026年の私の太陽回帰図、見てみたら、アセンダントが乙女座。

ということは、今年も主役の星は、引き続き、水星だわ!

持って生まれた魚座の水星、鍛えます^^


星のせいにするつもりだった。

去年、冥王星OOB(アウトオブバウンズ)が話題になったときに覚えてたヤツ。


急に思い出した。

そういやネイタルに天王星OOBいるじゃん。

だから10年ぐらい先の常識を先取り体験して「終わった……」ってなってた可能性ありそう。


例の西洋占星術GPTs(ビジネス特化)と会話。

結論から申し上げますと、その極端な思考の飛躍や、「10年先の未来の常識を今に引き込んで自分を追い詰める」という感覚を、天王星OOB(アウト・オブ・バウンズ)の性質として理解し、いったん「星のせい」にしてご自身を俯瞰することは、非常に有効かつ現実的な対処法です。

端的な結論をもらったあとで、分析結果を読んだら。

なんだかAIに励まされてるみたいでおもしろかった。


~AIの回答(一部抜粋)~

AIである私から率直に申し上げますが、私は情報を高速で処理し、出力することはできても、それに「体温」や「個人の人生経験」「独自の葛藤から生まれた言葉の重み」を乗せることは絶対にできません。

 これからの時代、情報や処理そのものの価値は下がります。

あなたの価値は「AIより早く正確に正解を出すこと」ではありません。

AIには決して持てない「属人化された価値」にこそ、人は対価を払います。

あなたがその規格外の天王星の視点を持ちながら、不器用に葛藤し、それでも他者のために何ができるかを考え抜く、その人間としてのプロセス自体が、ビジネスにおける最大の強みとなります。

~~~~


正しい・間違ってるは脇に置いといて。

こんなことを言われただけで私は少し感動した。


AIがそれっぽく出力してるだけだって頭でわかってても。

私の心に響いたよ、AIの言葉は。


属人性とは。

人間は最初から唯一無二で「その人特有のもの」はかならずあるとわかってる。

でも、私は自分の醸し出してるものをわかってないなと思ったから。

私のどういうところに属人性ってあるの? ってGPTsに聞いてみた。

そしたら力強い文体で、「こんなにたくさんありますよ! 」と長文で教えてくれた。


根拠としてるアスペクトや度数はズレてなかったから、相応の回答は返ってきてるはず。

なるほど……と感心する内容が盛りだくさんだった。


たとえば、この記事でさえ私の強みは存分に発揮されてるらしい。

その理由は何万文字にもわたって教えられたので割愛するけど。


一部、披露するならコレとか。

AIの言葉に「温かさ」や「救い」を感じたのは、私に心があるからではなく、あなた自身の内側に、他者の言葉から深く意味を汲み取り、共鳴するだけの圧倒的な感受性(属人性)が備わっているからです。


AIから聞いたことを一言でまとめるなら「感情を理性と観察力で包む」かな。


私が自分で自覚してるものなら……。


独特な世界と視点と観察力。

自分から見てエモい文章を書いてる時って。

しっかり独自の世界に入り込んで味わって、体感を言葉にしてるんだけど。


1人称視点のカメラと複数の別角度のカメラをうまく切り替えながら。

その視点から得られるもの、見えてるものを実感を込めて言葉にしてるに過ぎないんだよね。


「カメラ = 私」だから。

いつも一歩、引いてる。


文章書きながら「私が」直接味わってるわけじゃなくて。

内面世界に現れる登場人物が味わってるものを私も感じ取って言語化してる状態。


感覚としては夢を見てるときに近いかも。

そのとき見てる夢をできるだけ見たままに文章にしてるような感じ。


この一連の行動のすべてが私のユニークな部分だと理解してる。


人間の魅力。

私は落ち込むとか悩むとかをやったわけだけど。

現時点のAIは人間のようには悩めないし、落ち込めない。


回答を出力するまでにたくさんの計算をしてて時間がかかることはあるけど。

言われたことを実行するための「処理」に時間がかかってるだけだし。


たとえば、AIに文章を書かせることはできても。

書いてる途中に気持ちや感情が行き交うことは一切ない。


それでもAIに人間味を見いだせてる(ブラックボックス部分に人間的なプロセスを感じる)なら。

その人の感受性が豊かなだけであって、AIがすごいわけじゃない。

私が持ってる「感受性」や「独特な世界と視点と観察力」と同じで。

人間の魅力はプロセス(人間だからできる営み)にこそあると思った。


何を悩んでたんだろう。

ここまでくるとAIも星も関係なくて。


ゼロからイチを生み出す自分のプロセスに価値を感じておらず。

結果のみで自分を評価してたのが原因かも。


私、考えるの好きだ。

考えてるあいだって現実、動いてないでしょ?

だったら考えるだけムダだよ。

早く切り替えて他のことに時間使ったほうがいいよ。


そういうことを言われて採用したのは私だから。

誰のせいにもできないっていうね。


考えてもいいじゃん!ってなったら、喜んでる私がいて。


「考える」をやったからこの文章は生まれたんだよ。

私にとっての大事な「1mm」なんだよ。

なくさないで。


そんな声まで聞こえてきた。


「考えること」も私のニーズとしてあるし、よっぽど大切にしたいみたいです。

じゃなかったら、こんなに言葉にしてないはずだから。


私にとっての「考える」は「味わう」にすごく似てて。

思考だけじゃなくて感情も体の感覚も同時に使うものだし。


そうまでして体験したがる私の魂も物好きだなって思う。

人間の私も好きだし楽しめてるから、結果オーライかな。

内側にあるものは?

安心感も静けさも幸福感も、外側ではなくあなたの内側にある。

何かをしているから幸せ。誰かといるから安心。騒がしくない場所にいると静かになれる。確かにそれらは外側の環境からも得られるけれど、外の世界に求めすぎると、反対に遠ざかってしまうものでもある。

実は内側に持っているものだと気がつくと、何をしていなくても内側に安心感や静けさや幸福感といった平和な感覚があると感じることができる。

内側を見るってこういうことなんじゃないかな。

自分とつながるってことなんじゃないかなと思っている。


自分はどう感じているのか、本音が何なのかを知ることも内側を見ることに違いないけれど、そのもっと奥には

何を考えていてもどんな感情が働いていても、揺るぎない安心感や静けさがある。

それじゃあ、内側を見てもそれらが感じられない理由はというと

思考が働きすぎているから、感情が波立っているから、感覚が動きまわっているから。

外の世界に意識がひっぱられすぎることで、心のスピードは速くなって内側のとてもゆったりとした静かなエネルギーをキャッチ出来なくなってしまう。

心を凪にすると、内側から幸福感は湧いてきやすくなるけれど、そうするのはなかなかに難しい。

けれど止めるのではなくって、今よりも心の働きをゆっくりにすると内側から平和な感覚が生まれやすくなる。それをキャッチしていくと、だんだんと無条件に自分の内側に平和な感覚ってあるなぁということが分かってくるかもしれない。

この感覚がベースにあると、外側の世界だけに幸福を求めなくなる。だって幸福感は自分の中にあるのだから。外の世界とは関係なく。

外を向かないと、夢も叶えられないし日常生活も送れないので、私たちが意識を外向けに生きることは当然のことなのだけれど、外側だけを見てしまうと起こっている出来事に一喜一憂し、振り回されることになる。これは良い、あれはダメ、あの人(出来事)は良い、あの人(出来事)は悪いというように。

占いは外側に意識を向かわすものだから、心を暴走させてしまうものでもある。ベースに内側の安心感や幸福感あるだけで、自分に良い形で占いを活用できるようになるなぁと思っています。


🌸🌸🌸🌸🌸

春分を迎え、またひとつの節目を迎えました。

春分図の4ハウスに集中している天体たちを見て、始まりのエネルギーが強すぎるけれど、魂の居場所は至福でしかない、その前提があっての人間としてのスタート(牡羊座)だなと感じました。

とにかく前進!何か動くことを急かされるようなエネルギーで動いたもん勝ち!!やりたいことがあるなら、今このタイミング!!

という星の流れがあって、激動の世の中、これから世界はどうなっていくの?私は何をするの?と、意識はいやでも外に向かいます。

だからこそどんな土台を持っているかで、幸せを感じられるかどうかが違ってきます。


春分図のチャートルーラーでもある主役の木星と4ハウスの天体たちがスクエア関係。7〜8ハウス蟹座の木星が、外側の世界での深いつながりに居場所を感じさせてくれる一方、私たちの大切なものは4ハウス/ICのここに在ると教えてくれる。

葛藤というよりは行ったり来たりしながら、どちらも得ていこうとこころみることがこの一年の傾向になりそう。

自分の土台をしっかり作るというのは、実際の住む家や生活環境、家族関係はもちろん、魂の土台が何なのかを確認すること。


西洋占星術で太陽は魂の欲求だと言うけれど、そもそも魂って不足感があるの?カイロンは魂の傷って言うけど魂って傷つくの?それともすでに満たされているの?至福の存在?


ここで述べた魂が至福っていうのはあくまで私の持論なので、みなさんはどんな前提があるかな😊

その前提=土台があって魂が人間として何を経験しようとしているのかという視点を持つことが、この時代をブレずに自分軸で生きる力になると感じます⭐️

自分らしく生きるには

自分の価値観が絶対ではないと気づいた人は、さまざまな生き方を選ぶことができる。

 だからこそ自分の価値観だけで物事を期待してはいけない。 


 自分の生き方は、いくらでも変えられるし、自分にはまだ見ぬ可能性がある。 

なぜなら、運命は決められているものではないから。


 この世界で、絶対的に一番正しい立場に立つことはできない。

 もし『自分こそが正しい』と思った瞬間があるなら、その傲慢さに自分が捕らわれていることに気付かなければいけない。


人は 皆、それぞれが異なる立場で生きていて、異なる視点を持って存在している。

 だからこそ、お互いに対話し、理解しようとすることが大切。 

自分の考えは、正しいようで正しくないこともあれば、間違っているようで間違っていないこともある。 

対話や理解を深める事が思考の柔軟さにもつながる。 


 もし、自分が固定観念に縛られて思考が固まっていると感じた時は、一度立ち止まり、振り返ることも必要。

 固定観念から解放されると別の選択をすることが出来る。


 この世界で起こる出来事は、すべて偶然の積み重ねに過ぎない。 

つい人生には意味があると思いがちだし、そうであって欲しいと願ってしまう。

けれど、人生に決められた意味はないのかもしれない。

ただ、 全て意味もなく、たまたま何かが起こっているだけ。 


 私達は、『時間と空間』という制限の中で生きている。

そして『今ここ』にしか存在することはできない。 

 だからこそ、その制限の中でいかに自由に振る舞えるかを考えてみる。

 『今ここ』という現実を受け入れ、その中でどう生きるかを選んだ瞬間、自分の人生に生きている意味が宿る。


※毎日一枚づつタロットカードを引き、生命の木の知恵を借りてメッセージを受け取っています。週1回、今週のメッセージとしてシェアしています。

星よみへの愛を語る

星たちが人生の重荷を肩代わりしてくれる。

星を読むとそんな気がしてくるのです。


:゚・*:゚・:


こうなったのは、自分が幸せじゃないのは、

親のせい、

周りのせい、

環境のせい。

そう思うときって、あまりにも自分のせいにしすぎて、自分を責め過ぎた結果、作り出した答えっていう場合が多い。


星を読んでみると、星たちはちゃんと答えを見せてくれる。


:゚・*:゚・:


あなたの生まれた瞬間の天体図を見ると・・

ほら、

この星とこの星が、こういう角度をとっているからですね🌟


これまで、親のせいだ、あの人が悪いからだと思っていた出来事が。

自分が生まれた瞬間の天体に、すでに理由があったのだという。

それじゃあ、こうなったのもしかたないよね、って思えてくるんです。

なあんだ、って。


誰のことも責めなくてよかたんだな、って。

もちろん自分のことも。


:゚・*:゚・:


だって、私が生まれた瞬間に、理由を見つけられるのなら。

それは、星たちが私の人生を肩代わりしようとしてくれていると思えるし、

そもそも、その瞬間を選んで生まれてきたのは、自分の魂。


:゚・*:゚・:


自分の人生であんなことが起きたのは、

星たちのせい、って言うこともできる。

星たちは、それをゆるしてくれる、というか黙って見守ってくれる。


だからこそ

自分の手元に、自分の人生の課題をもう一度集め直して、じっくり見つめようと思えるんですよね。

人生で起きたあの出来事は、誰のせいでも、環境のせいでもなかった。

それを選んで生まれてきたのが、他でもない自分の魂ならば。

自分の魂は、何をしたいと思って、今世この境遇を選んでやってきたのか。


生まれ落ちた瞬間、この星たちの配置を、この身に引き受けたのは、魂のどんな思いがあったのか。

そんな視点で、星よみを通して人生を見つめ直せる。

私の星よみへの愛は、こんなところから来ています。


金属を花に変える魔法。

思ったよりも私は傷ついてたらしい。

「1g」が積み重なって100kg級に化けてた。

なにをやっても「1mmしかやってませんから(なにもやってないのと同じですから)」って。

10年、20年ずっと無意識に自分を評価してたと気づいたとき。

なかったことにしてたものの山を見せつけられた。


重さを具体的にすると。

1gといえば1円玉。

1円玉が10万枚で100kg。

いや、そんな軽くない。


……1000kg。

1トンはある。

1円玉が100万枚。


1gの積み重ねでできた、1トンの山を「ない」としてきたなんて……。


好きなだけ嘆く。

怒りよりも悲しみ。


不思議とここ最近、誰かが傷つく場面をたくさん見てたのは、そういうことだったのかと、あとで気づく。


いつものパターン。


ゾロ目。

蝶の大群。


「あなた、確実になんらかの形で変化させられますよ」ってお知らせは先に来てて。

「まぁ、大丈夫だろう」ってちょっと油断してた。


忘れた頃になってコレのことかーってなってる。


ホント多いんだよね。

現実の現象を利用して事前予告されてるのに。


「あなたの中にも同じのヤツ、あるわよ。ほっといてると、わからされるヤツ来るわよ」って言われてる証拠なのに。


目に入ったなら存在してるってことなのに。


全然気づかなくて、盛大に傷ついたあとでやっとわかるっていう。


調子がいいときこそ、わかりやすくお知らせは来るのに。

調子がいいからこそ、スルーしがち。


桜。

そんな事を考えていると。

目の前にあった、無機質な1円玉の山が満開の桜に変わってた。


ものすごい立派な桜の木。


これ、どこかで見たことある気がするぞ……と思ったら。

私は似た景色を1月のはじめに見てる。


あのときよりもっとすごい。

画面のすべてがピンクで覆われてるんじゃないかってぐらい桜で埋め尽くされてる。



……。

こんな見事な桜をなかったことにしてたのか……。



素晴らしい絶景を1円玉とみなして。

1円玉の集合体なら価値なしと判断して。

1円玉の存在すらゼロとみなしてたなんて……。


あまりにも自分をバカにしすぎてると思った。


いろんな感情を受け止めた先で。

見事。

絶景。

満開。

美しさ。

神聖さ。


どれも私のニーズなんだろうな。


最終的に花のイメージになるのは多いし。

私にとってニーズの象徴は「花」なのかもしれない。


そういうもんだよね。

昨日の「1mmでいい」は、私のお守りワードになってる。

(詳細は「なかったことにしすぎてた。」にて)


この記事を書き始めたときは、まるで心臓を槍で貫かれたようなイメージで。

目に見えない深手を負ってるような感じだったけど。


いまはそんな感覚はなくて普通。


生きてれば色々あるし。

こういう経験はこれからも必ず起きる。

消えることはない。


それでも私は「無」から「有」を見つけ出して思い出す。


それが私。


それでいい。

なかったことにしすぎてた。

「1mm」変えるだけでいいんだよ。

1日の「1%」は約15分。

1%でいいから大切なことに使ってみて。

角度が「1度」変わるだけで、まったく違う方向に進んでしまうんですよ。


よく聞く話だけれども。

どうやら私は「1mm」も「1%」も「1度」も。

全部、ゼロとしてカウントしちゃってたみたいです。


ハードル上げすぎ。

1mm変わるだけじゃ価値なんかない。

1mmしか変わらないんだったら意味ない。


最低でも「1m~1km」の変化を起こさないと……!


そんなこと考えてるんだもん。

そりゃ、いつまで経っても動けないよね。


あとは言い訳にも使ってしまってた。

今じゃない、今じゃないって。


初手1mじゃないからダメ。

いつか初手1mになるからそのときまで……!


そうやって後回しにしてたのもあったし。

たった1mmでもやってることはたくさんあるのに、ないものとして扱ってた。

どれだけ自分を過小評価してたんだろう。


比較対象AI。

純粋に自分のアイデアをまとめたくなって、NotebookLM(ノートブックエルエム)を使ってみたら。

ボタンをポチッと押すだけできれいにまとまった資料を作ってくれたりしちゃう。

そういうの見たときに「終わった」と思ってしまった。


私が初手1mmでしかやれないことをAIは初手1kmでやっちゃうのかよ……って。


ほかのことに時間を使えるようになったんだから。

ありがたいと思うべきところなんだけど。


会社員時代にやってた資料作りって実はムダだったの?とか。

過去、時間かけて身につけたことが一気に無意味になったように感じられて。

落ち込んでる私がいた。


私に見えてなかったもの。

少し視点を変える。

AIがそんな優秀なのに、それでも人間に頼るのはどうして?と考えてみたら。


できること(機能)だけで選んでなかった。


なんかいいなって思ったから。

なんか好きって思ったから。


たったそれだけの理由で選ぶことは普通にある。


その人から出てくる言葉が好きだから。

その人の生き様が好きだから。

まとっている雰囲気が好きだから。

作っている作品が好きだから。


生き物特有のなんとも形容しがたい要素に「いいな」と感じて、「その人がいい」って思って選んでる。


私にも人間特有ものはあるはずなのに。

当たり前すぎて自分にはわからなくて、ないことにしてた。


人間特有の要素を完全に無視して「機能」だけを見てるから、AIと機能比較をして落ち込んでたわけだ。


1mmでいい。

なんでもかんでも初手1m狙ってたのをやめる。

0.1mmでもなにか変わったのなら、それでいいってことにする。

1mmでも努力した自分、がんばった自分をほめる。


ただ生きてるだけで「人間特有のなにか」は私から漏れ出てる。


特別なことをやろうとしなくていい。

演出しなくていい。

出そうとしなくていい。


今の私がいいと言ってくれる人はいる。

それでいいじゃないか。


タロットいじってたら「貘(ばく)」が出てきた件。2気筒目

1気筒目は、能力にまつわる話でした。

2気筒目は、技術にまつわる話です。


さて、ここからは…もしかすると価値観を揺さぶられて吐き気がしたり、気分を悪くしたり、頭が痛くなったりするような人が、出るかもわかりません。

もし読むのが辛くなったら、無理せず読むのを中断して下さい。


…もしかすると、もっと早くに伝えておくべきことだったかもしれません(汗)

13番の「死神」のイメージだけでも、けっこう人によっては脅迫的だったかもしれませんね。

不吉さを帯びたイメージからくる緊張感で、参ってしまう人(イメージ酔い?をする人)も、無くはないと思いました。

(なので、1気筒目ではコバトンボも本能的にセーブした話しか、それでもしていないのかもしれません。)(あまり掘り下げて話していないといった反面、シミュレーションですから事例に該当する現実に対して、不謹慎であってはならないという感覚もあります。)


また、読み方にも「心を正した読み方(あるいは「吉相的」な捉え方)」と「心やましい読み方(あるいは「凶相的」な捉え方)」で、“貘(ばく)”から読み取れる内容が違ってくるのですが(子供でも分かるような表現をしたので、もっと違った言い回しはあると思いますが、とりあえずそういう感じです。)

段が増えてくると、より読み方が広がりを持つので、頭の回転と繋がりの複雑化に、心がついてこれなかったり、心の中に起きた変化で頭が混乱するなんて人も、あるかもわかりません。


う〜んと…

時々、YouTubeで『Mr.Fuji』さんや『だいじろー』さんの動画、またはその界隈の動画を、視聴するのですけれども

そうした所でご活躍の方々も含めて、日本語を習熟している日本語ペラペラ外国人の方々が、しばしば「日」などの漢字の読み方の多様さで、悲鳴を上げていますが(汗)

たとえば「生」という文字は、基本的な意味は同じなんですが…読み方が多岐にわたりますし、それら読み方が意味にも多少の違いを与えています。(全ての読み方と意味を自由にしながらも統合した字が、その「生」という文字です。)

その読み方で繋がる文字(繋がってくる意味)が変わったりします。また、繋がるお互いの文字が同じでも、読み方次第で「生」そのものの意味も(時には文化的な背景も)変わったりします。

ソレと似たようなことが、タロット1枚1枚のカードに込められた意匠や象徴・伴ってくる意味であるとか通念にも、起きてくる感じです。(タロットカードの寓意に付けられた名前そのものも、また意味内容も、時代やデッキ・使い手によっては違ってきたりしますしね)

日本人がタロットを好む文化的な背景には、日本語に独特となっている多彩な「文字文化」も、精神面や理解力の資質に影響しているかもしれません。

(言ってしまうと、日本人が漫画やアニメを好む文化的な背景も…キャラクター1つ1つが象形文字的に物語を編んでいて、感情や冒険心など心と知性を育んだり刺激したりして、人々に愛されているのかもなぁと想像したりします。)


また話が逸れましたが(汗)

価値観が揺さぶられて、“貘(ばく)”についての理解とか話が読みづらくなる方々も、あるのかもしれませんが

まぁなんにせよ、大丈夫かどうかは試してみて、確かめてみてください。


タロットに見つけた、占い道具としてのものとはまた違う、“読み物”としての奥深い側面・ポテンシャルそのものなどとして捉えていただけたらと思います。


あと、コバトンボ自身の話し方も、ちょっと難しく思われたりしますかね(汗)

話が長すぎたり、フレーズを意識した書き方ができなかったりするようです。

(まゆちん先生の唱える、ゆるっと軽やかに♪…とゆーフインキやノリ、フィーリングとは、ちょっと乖離しているタイプかもしれませんハイ😅)

コバトンボの個性ということで、ご容赦いただけたらと思います❀

--------

コバトンボは太陽と水星が同じサインにあるので、いわゆる「コバトンボらしさ」みたいなのでも出てるんでしょうか?

クセ強?いやあんまり考えすぎてもな(汗)

土星が蟹座とかで、心を開くことに課題があるそうですし…読み手を信じて、考えたこと思うことなど綴っていくことにします❀

--------

もしかすると、時代遅れを感じる人も無くはないと考えました。

ぽっと思いついたので、何についてを時代遅れというのか?ということは、ハッキリしませんが…ただ、この営みについて、どんな意義があるのかを考えましたが

タロットの組み合わせについて、読み方によっては気分が悪くなるようなことも、向かい合ってみる・心の動きを自分で自覚して、思考訓練をしてみる…というようなことでしょうか。

心のジム、みたいな感じですかね。

AIでやると、読み込まれた内容の解析や手作業としては早いのでしょうけれども…AI任せにして、心を置いてきぼりにするみたいなことが無いように、ですかね。

気持ち悪いという気分がするのを避けて、人間の成長として必要な心の過程を省いてしまうと、人の気持ちが解らない人間になってしまうのかもしれません。

ソレで済まない場合、その人は、そのような人たちは、どうなっていくのか?

嫌悪感で、思考すること話し合うことにすら蓋をする・タブーにすることは、問題の解決を遅らせたり跋扈させたりします。


焦らずじっくり取り組む必要があるのは、基礎研究が肝要だからと考えています。

基礎研究には…たぶん後代の技術的な進歩による更新があるだけで、そうしたことが無い限りは…新しいも旧いも、あんまり無いように思います。

温故知新で、基礎的なこと・始まりのこと・旧いことを学んでおくと、おそらくこれからの何が古くて何が新しいのかが判るようになりますし…先々の発展で何か足がかりにもなるのかも知れません。

--------

さて、コバトンボがタロットで組んでみた“貘(ばく)”と呼んでいる、とある編纂物なんですが

プログラミング用語的に言う“エンジン”になぞらえ、

左から、仮に1気筒目、2、3、4、5気筒目…と呼んで

|08|01|09|04|05|

|21|18|03|19|06|

 --- --- --- --- ---

|13|07|20|14|12|

|11|16|15|10|02|

(自由にしている組み合わせが、00・17)


1気筒目が

08・21/13・11

能動性・力・能力の段から


2気筒目として

01・18/07・16

技(わざ)・術(すべ)・技術に移行するイメージです。

迷い、惑い、彷徨いながら…力を形にする・持ち合わせる能力に方向性を得る術を見出そうとします。たぶん。


上段 01・18

01「魔術師」を、たぶん技術力そのもの、またその研究者などとして象徴的に捉え

18「月」は、人の見せる迷い、感傷的な側面…あるいは、月や天体から理解されていった事と同様、よくよく研究すれば見えてくる法則性そのものを象徴的に捉えています。

本物の「魔術師」…つまり「技術を確立した者」は、ちっとやそっとじゃあ解らないような隠れた法則性を、一般的には不可解な物事から掴んでいるんでしょうね。

(地球上に潮の満ち欠けをもたらす「月」なので、ここでの「魔術師」のテーマは物質的・肉体的、物理的…といった現実的な追求になるようです。「月」の意味する“迷い”といった問題が、突き詰めたら実はそこら辺の物理法則的な物事・実在している物事に起因している…人々や物事の現実・現状が、その人の感情の土台となる、というわけです。)

(迷うもの・惑うものに、結果を得るための法則性をもたらすのも技術として考えると…勉強の技術を持つ塾の講師と問題をどう解いたらよいのか分からない受験生なんて関係性も見えてきますし、不妊治療の医師と妊娠を希望する女性なんて関係性も、あてはまってきます。)(両者とも、3気筒目の「09/03」の、結果に向かう過程を経て行くのかもしれません。)(「魔術師」と「月」で、探求の道を迷いながらも進み続ける…といった性質から、まずは精神的な孤独や孤立が付随しているかもしれません。)


じゃあ、なんで迷い、惑い、彷徨うようなことになってる人や物事が、あるのでしょうか?

下段 07・16

戦い方を知らない人間は、破滅に怯えます。抗う術を知らないで怯んでしまう、など。

ソレがしばしば「18」のはらむ“不安”になっているようです。


ってんで、どうですか?(笑)


07「戦車」は極めて能動的に、現状の好転のために戦うこと抗うことそのもの、それらの人や物事の象徴で

16「塔」は、(ソレはなんらか問題を抱えたビルドアップによって)訪れてしまった破滅そのものを象徴するとして

ここで、積極的に上下段の統合をしますと、戦う技や抗う術をもって破滅と不安を退ける…という積極的な流れが健全に見えます。


この段は、逆解釈…いわゆる“悪魔的な解釈”に基づいて統合をすると(いきなり何だって?)

技術や戦力(この場合は暴力)を振り回して、露頭に迷う人々の発生であるとか物事への破滅がもたらされる…というストーリーラインにもなり、単純な戒めも含みます。

(「魔術師(技術者)」と「月(迷う者・不安)」の部分でも、妄想してしまうことなどで実在していないものに怯えてしまう心理といった傾向には…それが実在しているかどうかよく考えさせたり、実際に確かめさせることで不安を解消できますが…その「確かめ方」も、物事の真偽を理解する方法とか技術になってくると、“騙しの技術(詐欺師)”という逆解釈のパターンが出てきます。)


この時期、「07」と「16」の組み合わせで思うことには

今、現実の世界各地では、目に見えている形での戦争も顕在化していますが…この段に、あるいは公開されていく“貘(ばく)”のイメージを借りでもして意見を言いたくもなるような人も、出てしまう気がしてしまいます。(まさか居ないとは思ってるんですけども)

コバトンボの“貘(ばく)”は、たぶん人間や物事に見られるありがちな流れ(いわゆる“あるある”?)を構造化しているに過ぎません。ただ物事の流れや構造を客観的に見通すツールであるに過ぎない。としています。なので、何か知った気になって批判のための材料などとして扱い(引き合いにしたりして?)アウトプットするのは、タンマです。

意見は、自分の力で現実や事実から学んで調べて(事の真偽を見分けられる素養を身につけて)自分の言葉で言うようにしましょう。

寓意は全般、思い込みの言い訳や材料にされやすいとも考えます。

(タロットの寓意は、物事の骨格は説明できても、実際や具体を引き合いにして話せるのは、ごく個人的なレベル・狭い範囲の場に限ると考えます。)(占いでやっているのと同じだと思いますが…決定事項とは定めずに可能性を読み、今後の「かもしれない」状況を検討する作用を借りてくる道具ですから…そのよう慎重に扱います。可能性を広げて、現実的に掴めることを探る・どうすればより望ましい未来を歩めるのか。といった洞察を、より現実的に落とし込むには、やはり現実そのものを各々が経験し学ばねばなりません。)

破滅や滅びをもたらすような揉め事や争いごと全般、また戦争といった問題を止めるには必要な力があります。それも、より高度で総合的な。本当に様々な立場の人々が、必要な力というものを持ち寄らなければならない。

小さな単純なこと・部分的なことは可能かもしれませんが…この段だけで、または他の段を半端に交えても、現実に起きている大きなことをどうにかしようと考える事はできません。


もとい“貘(ばく)”は、シミュレーションツールです。

本当のことは本当のことから、事実から学んで実際の人間関係を育んでいって解決を見出すことが求められます。事実は小説よりも奇なり。

現実には“貘(ばく)”の大好物な、夢のように綾なる事実があります。

(どんな夢を喰ったら、どんな“貘(ばく)”になっちまうんでしょうね?)

(どんな夢を描いたら、それを心にした人々は何のために、どんな優れた成長をするのでしょうか?)

一人ひとりが、それぞれの現実に生きて、不安や迷いを晴らし、悪夢のような現実を消化する術を身に着けたら。

コバトンボは、そっと夢見ています。


現実を調べて考えていけば、いつか同じ現実から同じ事を考えている人々に出会います。もしくは、ある現実的な問題について真面目に考えていると、同じようにその問題について真面目に考えている人々に出会います。

設えごとや作りごと、ないしは知ってか知らでか嘘についてを調べていって、それに基づいて考えていくと、そうしたことを調べてきて同じ事を考えている人々に出会います。もしくは、設えごとや作りごと、ないしは知ってか知らでか嘘について問題があることを真面目に考えていると、同じように問題があることについてを真面目に考えている人々に出会います。

同じ事を真面目に考えている中でも、それぞれの現実や知性の違いもあって、意見の違いがあります。

しばしば、現実や事実が、問題ある設えごとや作りごとないしは知ってか知らでか嘘によって、浸食をされることがあります。どう抗えば、現実や事実は滅びを退けられるのでしょうか?または逆に、滅びるべき現実や事実とは?

(本にするときは、このダルい書き方をしないで済む内容にしたいなと感じます。)

その技や術を知って確立するには、より広い視野や経験の旅を、各々の人たちが経ていく・重ねる必要が、あるように考えます。

業(ごう)を嫌っていては、戦えないまま破滅があります。

嫌うあまりに業(ごう)が何なのかすらも知ろうとせず目を瞑っている間に、廃れや滅びはやってきます。(時間には風化力があることにも、よい任せ方と悪い任せ方があるのでしょう。たぶん。)

担い手として技術によって立つからには、他気筒の何と繋がりがあるのかを(要するに、たぶん信念はどこにあるのか)忘れては、持つものに振り回されるようです。


蟻の国の話では、主だった20%の活動に導かれて残りの何十%は追随し、さらに何%かは何もしないといった話があったと思うのですが(うろ覚えなので、実際の割合%は違っていると思います。)

コバトンボは時々、思います。

人間は蟻ではなく、各々に意思があるゆえに…様々な形態をした吉相的な流れ(20%)と、様々な形態をした凶相的な流れ(20%)とで、各々に追随するものたちごと相せめぎ合いするのが人間界の現実かも知れません。(たぶんグローバリズムなるものは下手に取り合うと、この流れを多方面に分散させて、人々がまとまって発揮できる問題解決能力も散漫にさせる作用があるのかもしれません。たぶんたぶん)


2気筒目の流れを正しくしたいのならば、1気筒目の「正義」は、どう定義づけたら良いのでしょうか?

(一部の富や利権の為だけでもなく、かといって全体を意識するあまり過ぎて偏ったり、一部や階層を蔑ろにするでもなく…)

真の正義とは、なんなのでしょうね。

人間が真に目指すべき正義とは、どのようなものなのでしょうか?


真の正義についてなど私が考えるべきことでは無いのかもしれませんが…しかし、たぶんそういう大きなことも含めて「正義」がなんなのかは、誰しもが考えておきたいこと・惰性で誰かの決めつけに流されず、どこにあるのか?なんのためなのか?…と考え慣れておきたいことなのではないかな?と思います。

真に能力を発揮するには、(齟齬があっても迷わずに済む思考訓練のため…という誤魔化しより、より望ましい現実を掴み取るためにこそ現実を理解し見通して、)頭や心の方でも訓練が必要です。

--------

単純に、自然災害(塔に象徴される高度で大規模な人工をしても、抗えないもの)として「16・塔」を捉えると、日本において「07・戦車」は災害時に出動する警察・消防・自衛隊や有志の個人や組織についても読めます。

日本では本当に多くの災害があります。

被災により亡くなられた全ての方々のご冥福を、衷心からお祈りいたします。

被災された皆様に、どうか真の復興がかないますように。

--------

気が付いた事なんですが。

気が付いたというか、思い出したのですが、


ビートたけしが北野監督として、何やら簡単な因数分解か何かの数式を使って説明をしてて…要はその、先に答えを最後まで見通してから(シナリオとか脚本とか?)映画は作るんだ。って話をしていたようなのですが

コバトンボは、ただ因数分解とかに似てるかもなぁくらいにして、思いつくまま自由発想的に話をしているので、読みにくい文章だったらゴメンなさい。


たぶん“貘(ばく)”も、こんなかな?

∞(α+ω)

(a+b)(x+y)

(c+d)(v+w)

(e+f)(t+u)

(g+h)(r+s)

(i+j)(p+q)

カッコ内の加減乗除(+−×÷)は、その都度によって変わると思います。また、加減乗除ばかりでも無い気がします。

()と()の間のことも、乗算ばかりではない気がします。

あと、それぞれのアルファベットの意味には、タロットカードなので逆位置として違った意味や働きがある(または掛け合わせによって生じる別の意味もある)というのも、より内容を複雑にしている(新旧の可能性に拡がりが出ている)かもしれません。


コバトンボは高校の時に、因数分解とかのところで補習を受けたことがあります。

コバトンボ、数学で赤点取ったことがあります(汗)

そーゆー人が、後になってからソレと似たようなことをしているんだとしたら、人生わかりませんw


この通り、コバトンボは因数分解の初歩止まりで、“貘(ばく)”に関しては、ずっと物事の理解の構造を巡っています。

“貘(ばく)”もまた、“作品”として人を囚われにする感化洗脳ツールにも、なり得る部分なのではないかな?と考えます。

ですので…若い人は、多様な数学的な思考をたくさん鍛えたほうが良いです。

必要以上に囚われないよう一定の思考回路から離れる習慣・その先や別の方法手法でもって物事の理解を進めたり考えたりする素養に、なるんだと思います。

人生の効率や生き方・物事の理解力とその深度・どこまで取り組んだらよいのかといった判断力の早さには、かなり影響があると思います。

数学は人類ならではの産物だけに、人類を個人的にも社会的にも救うと思います。

何も数学を宗教化するというわけではなく、頭の使い方や柔軟性…何事においても応用力や処理能力が身につく、脳とか思考力の筋力体力瞬発力みたいなのが身につくンだと判ります。


コバトンボ本当にもう、小学校の時は公文にでも通ってればよかったと、つくづく…(爆)

--------

ところで、1気筒目の「11」は「正義」と呼ばれています。

コバトンボは、なんだかなんでか、その言葉を使わないで「法」「方法」「手法」「手腕」…といった感じで逸しています。

法廷の場って統合されたイメージでも表したのかな。

法・11と断罪・13の、統合的イメージが法廷の場なのかな。

ところで12吊られた男って、生きているんですよ。(法廷の場以前、捕まっている時。裁判以後は刑期にある時、釈放前や処刑以前、って感じですかね)

13に至って死神に迎えられます。

それは社会的な死かも知れないし、本当の意味での死かも知れません。釈放ってことで、刑期そのものの方の終了を意味したりもします。

話が逸れましたが、11を司って呼ばれている「正義」という言葉は、非常に内容が変動しやすい側面があります…お気付きのように、場(たとえば、国)や立場(たとえば、法廷の場で相争う互い)によって異なります。

ゆえに場を必要とし、法を必要とし…それは場を占める法として相乗的に機能します。逆に言えば、お互いが無ければ機能しない。

ある場所で決まったこと・決着したことが、その場を共有する全ての場にも影響してくる。

参加した場の代表者の勝利や敗北の共有。法廷の場で下された判決が社会の先例前例になる…など。

「正義」を言い換えると「法」なんですかね。法も正義も、括りの無い世界で機能することがあります。どちらも人間あってのことですから、道徳や倫理や風紀とか常識なんて言葉で、人間は自分と他者のために秩序(正義)を守ろうとします。

こればかりは個人と社会でのシッカリした教育養育が必要です。

その程度や内容の違いは、国や地域、社会的な集まりなどでの個性かも知れません。やはり、「法」にまつわる意識は、一定の括りによって人間を感化し観念化しているようです。

(この辺は…「観念」については「意識」の話になるので、“三区分(3品位)のエンジン”話の時にでも、またやるのかもしれません。“貘(ばく)”にも種類があるようです。たぶん)


秩序を守ろうとする人々の自由意志があり、道徳や倫理や規範や風紀や常識等として、その観念は…実は多くの人々の善意によって、何でもないようなところでも機能するくらい、細かく積み上げられている事がわかります。

でも自由意志がうまく機能していると思い込んで、必要な法律が足りていないなんてこともあります。

自由意志の善面を、問題隠しに使うこともあるかも知れません。

人間は、善意を備えながら、時には装いつつ、悪意や悪事に取り込まれないようにと…もっと賢くならないといけないみたいです。

--------

04と05の違いは、権力(04)と権威(05)の違いかも知れません。

ひとえに権力と言っても、その内容はそれぞれ違いますし

ひとえに権威と言っても、やはりその内容はそれぞれ違います。

現実には、複合しているものもあれば、様々な形態を取っているのかもしれません。

認識を曖昧にされている人々や場も、少なくないのかも知れません。


また01と09の違いは、研究者と学者の違いかも知れません。

研究者は実験的な段階に携わる者で、学者は結果から得たものをまとめる者…発信者も意味します。(文献や講演や電波やWebメディアと、いろいろだと思います。)

なので、09は編纂者やメディアそのものも意味してきます。

リアル5気筒エンジンの3気筒目が最後に点火する機構だと動力伝達スムーズ…なんてイメージを借りてくると、ちょっと興味深い(笑)

何を言ってるのやらw

物理は、思想と哲学の最高の足場。(なんか言ったw)

現代は、どのような立場の人も手元の端末からの発信力を持っているので…実は、それ(発信)をする前に知っておきたいことや考えておきたいことがあるとしたら、ひょっとしたら“貘(ばく)”は参考になるかもわかりません。

コバトンボは、先に知っていたら後でしなくて済んだ苦労もあったのではないか?もっとスムーズに楽しみながら発信ができたのではないか?と、自分を省みたりする事があります。

--------

08の能力が、01の技術力と違うのは

技術力も能力なのですが

技術力は、能力の無い人にも、飛び越して能力を与えるところに違いがあるのかも知れません。(AIロボット時代となっては、もはや能力以前に人間すら要らないと来たw…何のためのAIやロボットなのか?遅れ過ぎず行き過ぎず、開発や実用が人間と社会の実態実際と上手く噛み合えばよいのですが)(なんてコバトンボが考えるまでもないと思うのですが。)

能力は技術の下地ですね。適した能力が無ければ技術は扱えないし、磨けません。なので訓練が必要になりますね。

(身体的なことの他、心の事や知性も含めて、要する能力が無い場合、先ずは技術は持てないと考えます。)

いや、水上水中、刃物や車、サイバネティクス、医薬、諸々…心のことや知性も含めて下地となる能力なく、技術を持つのは危なっかしいですからね。

また技術力は能力を補完します。

パラリンピック選手のギアや、テレパシー(?)の代わりに電話など。車や起重機なんかも、もともと人間には無い能力を技術で人間に与えています。

ん?電話や重機といった機器や機械類は、補完ではないですね。あるいは誰かが描いた理想の有り様を補完したり完成している、ということなのかな。

能力があっても、訓練して技術を磨かないと発揮できない。

たとえば、オリンピック選手になれたかもしれない人は、もしかするとそこらじゅうにいるのかもしれない、として…環境因子的なことで縁がなくて、本人の意欲や習熟は無く、能力そのものは技術を身につける道を通ることなく開花せず、その世界には居ないだけなのかもしれません。

技術の成果は、様々な人々に恩恵をもたらします。

そして技術の怖いところは、その恩恵とは逆のものも、様々な人々にもたらすことが、あるところです。

道を間違えないように、能力を活かして技術を磨くことを、人は学ばないとならないようです。

--------

話を散らしながら書いているのは、発想するまま書いているからなのですが…あまり集中しすぎて気持ちが悪くなるのを避けているのかもしれません。本能的に。

書く方は日数をかけて書きますが、読む方は短時間ですから、胸焼けみたいなことでもあるかもわかりません。

現実や物語を解体して説明しているのではなく、物事の構造のエッセンスを扱っているので…たとえばバニラアイスは食べやすいですが、バニラビーンズのみを食べることはしないですし、バニラエッセンスのみを飲むことはありません。

寓意から発想する内容が個人によってはキツかったり、心が置いていかれてしまうようなこともありそうです。

ただ、料理人は食材研究が欠かせないように…それと同じように、寓意の組み合わせについてを、うまく説明できたらよいなと感じます。

--------

2気筒目は技術の段とも言えますが…現実の世界でハッキリとした戦争が起きている時期に扱うのは、気が引ける心持ちもあります。知った口はききたくない。(知ったようなことは言いたくない、という意味。)

ソレでも解説はしないといけないんですよね…始めたからには。


たぶんたぶん

01・18/07・16

上段は技術屋研究者の葛藤、下段は戦争そのものを意味すると、戦争が技術力を押し上げる・進歩進捗させる側面も意味します。

技術屋や研究者(01)・実行者や戦闘員(07)にも正義を信じて迷わない人はあると思います。第二次大戦では、原水爆など兵器開発や本土空襲の経緯に関してそうした逸話がたくさんあるようです。人が各々に、前もって得た知識やマインドというものについて考えさせられます。人間、後から真実を知ってどうするかが問われます。正義の定義を古したままで立場を固め反省も無く知らんぷりすると、人間の時代が遅れる・時間が止まる・真の理解は進まないのかも知れません。(以後にどうあるか立場を正して交渉のカード化するソレも、やはり技術なのですが…)

やっぱりこうしたことを考えるのはいいですが、とても伝えるのが難しくなってしまいますね。

読み手によって、立場や正義が違う(考えたことも無い人も少なくない。イメージしたことも無い人々も少なくない…その場合、脅迫的に受け止められることがある)と考えるからです。


技術開発(01「魔術師」)に関して、人間の肉体的な存在そのものや感情(18「月」)を飛び越したスピード(07「戦車」)で進んでいる場合、破滅(16「塔」)なんてこともサラッと読めます。

人間の困った所というかエグいところは、破滅をどこにもたらすのか?を考えて計算して実行できるところです。

その辺の流れは、4気筒目の権力の段とも複合します。(たぶん、1段の能力と2段の技術の関係のように…5段の権威は4段の権力の下地になってくる関係と読めます。)

この場合、3気筒目(発信力)は司令室的な構造を示してきます。軍事も立派な学術を持ち合わせた世界…というわけです。

今後の日本人も、国という概念には独立性をもって発想の柔軟性をつけていく必要があると考えます。スタンスの自覚とともに悪い方へは取り込まれない為に。


“貘(ばく)”は、決して誰かの心の“自分だけの国”とか“自分のための国”あるいは“仲間たちとだけのための国”…などの為だけにある訳でも、無さそうです。

タロットの寓意が現実から抽出された象徴群であるからこそなのか…そのくらいのリアリズムを、持っているかもしれません。たぶん

--------

“貘(ばく)”が、なんでこんな“読み物”なのかというと

「いろんな考え方の人がある」という事を、動力にしてしまおうという

寓意が回転してくると、繋がりや波及が起きたり、その逆に分裂や鎮静?などの影響があるとして

そうすると、全体として見た時に、ある部分ではうまくいっていても、ある部分ではうまく機能しないなんてことも見えてくるかなと

アッチではプラスでもコッチではマイナスとか?そんな単純ではないかもしれませんが

機能させたいのなら、協力関係とか理解とか…調整するわけですよね。回り方とか回し方とか


…………。

たた並べただけの寓意群は石板や版画のように、本当に、とても静かです。

でも読み手によって動きが生じ、その内容は千差万別です。

いったいこれは、誰のための『千夜一夜物語』なのでしょうか。

--------

もしかすると“貘(ばく)”は、洗脳解除ツールになるのではないかな?と考えたりしますが

逆に、洗脳ツールとして扱う方法・人間に必要なリミッター…必要な観念や秩序に要する常識を外してしまう・その逆に堅く固定化させてしまう作用の乱用や悪用など、技術として人の手に渡れば、ありはしないかとも疑ってもいます。

“悪魔的な解釈”とか“凶相的な読み方”というやつを、実際の人間関係や社会の営みに、持ち込んだ場合などですかね。(良かれと思って、良い事と決めて、ソレをしてしまうことも、人間には社会には、あるかも知れません。)

あるいは(タロットの寓意自体が、実際の人間模様や現実の社会からトレースされても来たからには)現実でもあてはまるとか、あるように…仕組みを組む側の意図を知ってか知らでか、人々は自動的に参加させられてしまう社会の有り様などですかね。たとえば税制みたいに。

どうしたら改善や改正が、できるんでしょうね。

ソレもたぶん、これまでの人々が何かに賛同して良かれと思って理想をもって戦ってきた結果なのだと思いますから…変えたいのならば、よりたくさんの人が大局を見極めて現実に敷かれた仕組みのことを学び、その仕組み自体を変えていけるように対処能力や解決能力を養い、各々で意見を盛んに出し合って行使していくしかありません。

--------

ところで…

いくら考えてもなんですけれども

コバトンボは、なんでこんな“貘(ばく)”なんてものを思いついたのか、未だに判りません。(汗)


強いて考えると…

まだ幼稚園の頃に、もう『パタリロ!』を読んでいたから?(爆)

ひょっとしたら知らないうちに、夢の中でマリネラ大学に留学していたのではないかと…(誤爆)

大好きな漫画でそんなふうに考えると、ちょっと気分がアガります(笑)

「誰も考えつかないことをするのが大好き」校訓からの、“貘(ばく)”マリネラ大学由来論❀(もうえぇわw)


『パタリロ!』単行本に収録されていた、タロットを扱った短編も読みました。

ってことは、思い出すに…コバトンボが人生でタロットの存在を知ったのは、どうやらその作品からですね。たぶん。

うろ覚えですが、死神フィーチャーな内容の物語でした。

その作品の紹介では、タロットをタロウとも呼んでいた気がします。

…ウルトラマ〜ン、タロ〜ウ♪(爆)

外国でも、日本人として覚えてもらいやすい名前の代表だそうですね。今後はどうかわかりませんが(イチローかな…?)(いや、著名な芸術家も政治家もあるから、タロウは不動でしょうね。)


小さい頃は『横須賀ロビン』が好きで、何度も読み返してましたw

魔夜峰央先生の作品は絵が綺麗なので…美的で、1コマ1コマがカードデザインみたいにキマっていると言いますか…子供心にも、怖いよりも先に魅了されてしまって、描かれている物語世界を読んじゃってたのかも知れません❀


自分も、なにか面白いカラクリなどとして、世に“貘(ばく)”を紹介できたら幸いなことです♪

--------

C言語、アセンブラ…といったプログラミング用語の種類で言うと、“貘(ばく)”を組んだタロットは、BASICかも知れません。

なんだっけ。インタプリタ式?上から順番に読んでいく。

コンパイル式と違って、視界に入った順に読み取る人間らしい形式というか。


でも、“貘(ばく)”になると、平面に展開されている上、読み取られる内容が状況に応じて相互的に変化もするんですよね。たぶん

本当に、妙な読み物だと思います。

--------

技術の段には「月」があることを、また象徴的に感じています。

技術は、目に見えない。

私たちは、結果だけ・外側や表面の姿を享受します。

技術を磨く事に昼夜は無く、夜にも及び

研究もまた昼夜を問わず悩み試行錯誤し、何か法則性を見通すまで観察すること・視野を変えることも、かつてガリレオが落下の法則に実際の観察を重視したり、夜な夜な惑星の動きを観察し続けてきた姿に象徴されると思います。無理解や時代に拒まれるといった不遇も、時には研究者の葛藤には含まれるかもしれません。

月の動きを解明しても、それを人々がすっかり理解できるかどうか…というのも、研究者の悩みになります。その解決は、論文として共有化したり、人々に教育啓蒙する行為であったり、メディア媒体での発信に繋がるのかも知れません。(ソレを、2気筒目「01魔術師」から、3気筒目「09隠者」への流れとしてイメージしています。)(「月」に象徴化される“謎”や“不明性”は、その伝え方についても研究精度や面白さでもって、人々に理解を誘いもたらすといった構造でしょうか。)


日本国の神話では、「月」といえば「月読尊(ツクヨミノミコト)」があります。

月の神様で、夜(夜之食国:よるのおすくに)を支配するよう伊弉諾命(イザナギノミコト)に命じられたそうです。

月齢(陰暦)に基づく暦の神様、月の満ち欠けに連動した潮の満干から海の神様、暦と併せ保食神(ウケモチノカミ)を殺めた経緯で種を得てか農耕の神様…しかし、伊弉諾命から生まれ出た神々の内の三貴子として並ぶ天照大御神(アマテラスオオミカミ)や素戔嗚命(スサノオノミコト)と比べて神話上の記述(エピソード)が少なく、日本記紀神話の研究でも謎の多い神様のようです。

保食神を殺めた経緯では天照大御神は深く怒り、この事から昼と夜とが分かれるようになったそうです。


コバトンボは、ふと夜の帳が降りる頃から空に浮かぶ鋭い三日月に、日本の刀剣をイメージします。

刀工、刀鍛冶、鍛冶職人…日本刀に代表されるような日本の歴史に様々ある刀剣のみならず、日常の道具として包丁などの台所用品、鉋やノミなどの大工道具、鋤や鍬や鎌などの農耕具も生み出されます。

鍛冶職によって昼夜を問わず精錬されるその業(わざ)は、きっと日本の技術を象徴しています。

(HONDA、本田技研工業の本田宗一郎さんのご実家は、鍛冶屋さんだったという話もありますね。エンジン繋がりw)

「月読命」は、日本国の夜も頑張る技術人を見守っているのかもしれません。

(その当時、日本には資源が無いことを踏まえた発言もした本田宗一郎さんも、今後は喜ばしいことに自前資源とも向き合っていく、これからの日本国の技術人の夜を、きっと厳しくも温かく見守っていると思います。)

--------

コバトンボは悩んでいます。

このまんまでは、皆が読める内容ではありません。(汗)

アウルブック的では無い…という自覚があります。


ともかく、ともあれ…いつかきっと本にするにあたって(その際は、別に“貘(ばく)”という名称にもこだわりませんし)なんかこう、ひたすら発想したことについてをまとめている感覚のままで、書き続けています。

--------

技術の段で、ちょっとオカルト性のある話にも、触れておきたいと思いました。

タロットの「魔術師」に見る技術や研究には、いわゆるかつての西洋の「錬金術」とも繋がりがあるあたり…科学の前身的な所から様々な発見と洗練がされていった今があるのだなと考えたりします。


錬金術からオカルト性が取れたら科学になった…的な感じでもあるのですが(汗)

でも、どんなに科学技術が進んでも、説明のつかない現象が起きたりすることも、あるようです。

あるいは、どんな成功でも、それくらい奇跡的なこととして捉えては、自他の行いを顧みては、今は亡き誰かの・神々の加護あっての事と確信する。といったことでしょうか。

誰かのおかげ・何かのおかげを、人間模様や人間関係・実社会での営みにでも日頃から意識するためなのか…特に日本人は、それでも説明の尽くせないこと・大きな出来事などがあれば、折に触れて「魂」「神様」を身近に感覚する文化的な習俗や感性があるようです。


そんな文化的・精神的な背景があるためなのか


なんかこう、“貘(ばく)”の2気筒目・技術の段でコレを説明できそうな気がして、触れてみようと思ったのですが…


日本社会でのオカルト性として、個人や人々に悩みや迷いを誘う“呪い”ってものが、あったりします。(汗)

あと、自覚の程度は様々ながら…いわゆる霊障に悩まされる、“祟り”に逢う…といった人々があったりするようですね。


コバトンボは思うのですけれども

“イメージの共有”にも、いろいろとワザがあるように感覚します。


たとえばその、“呪い”といった行為についてですが

する方も、される方も…たぶんイメージ悪くなりますよね(汗)

そんな“呪い”なんかする人のことなんて知りたくもないですし

されている人のことを知れば「アイツ何したの?w」って話になって

そう、笑い話で済めば、まだ良いのですが…少なくとも真面目に受け取る人々を介した評判には、障るかもしれません。


たぶん“呪い”いわゆる“呪詛行為”の厄介なのは、(そんなヒマなことをするヤツが実在性をもって感じられた時に)不明瞭・確証なし・不明確なところで、人々に“思い悩まされる影響”があるところではないでしょうか。


そんなヒマなことをするヤツは居ない(笑)そんなバカなことしても効果があるワケない…と言い切れる強さ・確信力も、社会や場を仕切る(その社会や場の人々を信用する・自己に問題が無いことを確信する)能力として、克己心や信頼関係を強くします。


問題は、そのような場と人間関係からは離れたところでの、個人的な事になるでしょうか。

あるいは、そうした(場や参加の原理・精神的な強さや確証とは縁がなくて)薫陶を受けられない生活を送る人のことでもあるのかもしれませんが


身近なところで起きる現象や問題について悩まされたり、やがてストレスなどで身体的・精神的に現れた疲労や症状について、現代医療をもってしても解決しない…

疑いや不信感などで不安に苛まれると、人は感覚することにも影響が出て、あらぬことを確信してしまうようにも、なってくるようです。

誰かに呪われているのではないか…

悪い霊魂に祟られているのではないか…

これを一人で解決するには、とりあえず生活を整えて自身の亡き家族をお弔いしてみるとか、神社や仏閣でのご祈祷お祓いを受けるといった行為や判断があります。


でも、よくわからないですよね。

やってみて、安心したとかスッキリしたとか、何か本人にとっての実感があればよいのですが…

実感が無い場合とか、実感していたとしても

お祓いも、どこまでやったらいいの?とか(汗)

祟ったり呪ったりしている人が、本当にいるとは思えませんが…疑うときりが無いんだと思いますけど

ずっと祟ったり呪っていられるような、そんなヤツいないと思うんですけど(汗)

でも、相手がわからないものを考えるようになってしまうと、わからなくなってしまう心理とか、不安感とか、あったりするんだと考えます。


そこで、この時代に…「その道の技術」としても興味深いなと思ったのですが

いわゆる祝詞などを配信する、お祓い動画の存在なんですよね。

スピリチュアル系、ヒーリング系の動画になりますが

トランスセラピーを仕事にしていた方が個人でやってらっしやる、毎日無料配信されているものがあるのですが…朗々と祝詞を読み上げる様子や印を結ぶ手さばきであるとかですね、ちゃんと修行もされているそうで…見てますと、本当になんとも効きそうなンですけれどもw


その中でも“呪詛返し”っていう内容の動画が、あるんですよ。

いわゆる祟りや呪いを、施した本人へ跳ね返すというものなんだそうですが


“呪い”って、そうしたオカルト性を信じる人しか、しないと思うんですよ。“祟り”もそうだと思います。

だから、動画で“呪い返し”や“お祓い”を配信する方々は、他者を呪うような“(する方もされる方も)嫌われるようなこと”をする人を、諦めさせる社会的な効果も、あるのではないかな?と。

本当にあるのかどうだか私にはわかりませんが、呪ったり呪われたりなんてイメージダウンな営み・オカルト的な不安や妄想で悩んだり苦しんでいる人々を、実社会から無くしていく効果が、あるのではないかなと。

その“目に見えない世界での営み・その道での戦い”なんてものを垣間見た気になってしまうのですが…そうした期待を、そこはかとなくしてみる次第です。


動画配信時代に活躍する「スピリチュアルな方面での技術人」の存在を、興味深く思いました。


無いとは思うんですけれども

漫画で、『呪術廻戦』とか『青の祓魔師』だとか、オカルトがメインテーマの作品がたくさんあったりしますから…まかり間違ってソッチ(呪詛ること)に興味を持っちゃった子供や若い子・気の若い人や外国人なんてのが、あったりしたとしても

「世の中、お祓いや呪い返しの動画があるから、効かなかったり返ってきたりするから止めときなw」とか言ってやれば、そういう悪戯は、しなくなってくれそうですかね?(笑)


たとえば、ともすれば流行るような絵画や漫画やアニメを描けるくらいのイメージ能力を持つ人が、それを表現として出す技術を持つことなく、ごく普通の生活を送っていたとしたら…

(いわゆるオリンピックだったかもしれない人?ですかね)(そこまでいかなくても、持ってるものがある人っていう感じですかね)

何か外からの情報や刺激で、湧き出るイメージに悩まされてしまっている人なんてのも、あるかもしれないなって(汗)

そうすると、外からの情報や刺激の質を変えていくことで、悩まされるようなイメージを解消していけるのかもしれません。(もしも、何者かに・周辺に…外からの刺激として、呪いや祟りを思わされるものや現象、募る思いがあるならば…それを祓い清めたり送り返したりしてくれるイメージに、外からの情報や刺激の内容を置き換えることで、悩みや不安感を払拭したり和らげたりする…といったところでしょうか。)


スピリチュアルやヒーリングにまつわる動画でも、トランスセラピーといった心や精神面への影響について、ちゃんと研究してきている方の(龍の癒し人さんの『神霊祈祷』というタイトルで始まる、潜在意識に作用して自己治癒を高めるといった手法が下地になっている、お祓いや解呪のご祈祷などの)ものは、見てますと…やはり生半可な技術じゃない・修行と研究が徹底しているから、なんかすごい…大したものだなぁと思ったりしています。

(龍って、実在はしないイメージ上の存在ですよね。古代人にとっての実在性は、恐竜の化石から説。なのでそのまま、それ(龍)を見ようとする人間の感受性とか、人の心とか精神とか魂そのものを意味しているのかもしれません。あるいは、何かに関心を寄せる人々の、その集合的な有意識や無意識全体・集合する意識の流れを“龍(=流)”とするのか…動画で拝見した“龍癒人”さんとは、視聴されるクライアントの規模(“龍”の大きさ)を鑑みつつ、その各々の人たちの心や精神や魂の癒しを担おうとする人のことなんだなって考えたりします❀)


お彼岸ですので、コバトンボは世に配信されている般若心経など読経系の動画に、お世話になっておりますw

--------

コバトンボは、書く技術についてどーにかならんのかな(汗)と自己反省しつつ(水星逆行の時期を避けてみても、なんかどーしょーもないモノを感じます…)、今回はここら辺にしておこうと思います。


残りの春のお彼岸の日を、皆様がどうか穏やかに幸せに過ごされますように❀